「統合失調症統合の軌跡」 四次元ストーリー ビックバン伝説完全版
四次元ストーリー
ビックバン伝説 完全版
高橋 章
目次
プロローグ
善と悪のバッキング
突然の変化
四次元の世界に
バッキングによる混乱
徳と才
借金と金権政治との戦い
中国女性「春華」
父の死
資格試験に挑戦
政治の立て直し
不動産営業活動
第四宗教の概念
母の死
交通事故
山積する問題に挑む
聖霊・生霊
四次元ストーリー
プロローグ
私が統合失調症を発病したのは、今から約18年前、ホテルの増築現場で現場監督の仕事をしている時から始まりました。
光の戦士~統合失調症統合の軌跡~では、統合失調症の症状、統合失調症の統合に必要な考え方、統合失調症の統合には、哲学の完成が必要であることを、私なりに本にまとめたつもりです。
統合失調症のいろいろな人の症例をたどっていくと、それぞれの人にそれぞれのストーリーがあります。症状の中には共通して登場する神々(イエス・キリストや仏)、また共通して認識される事項(UFOなど)において、ストーリーが展開し、あたかも映画の主人公にでもなったかのようなドラマがあります。症状において、光の戦士論でも述べましたが、光のネットワークという魂の会話により、三次元と四次元という概念の中でストーリーは展開して行きます。目に見える世界である三次元と、心の世界である四次元。
三次元を生きている我々にとって、四次元的物事の考え方は、統合失調症の統合の中で初めて語られるのではないかと思います。四次元の世界は、心の世界であり、宗教的な世界でもあり、また神との交わりの世界でもあります。光のネットワークと称しますが、症状を持つ人の中には、テレパシーであるとか、超能力と表現する人が多いのも事実です。
四次元の光のネットワークにおいてなされる事柄、人間の魂、人生というストーリーを、四次元ストーリーとして書き綴ったものです。精神医学的には、幻覚であるとか、幻聴と捉えますが、その四次元ストーリーは、三次元とリンクしていくのも事実です。統合失調症の統合は、心の統合であり、統合されて初めて心の平和がもたらされます。この四次元ストーリーをビックバン伝説として、本にまとめたものです。
ここまで来るまで多くの支えてくれた人たち、東城クリニックの東城先生、友人達には、心から感謝したいと思います。
同じ症状で苦しむ人たちの症状の改善に、少しでも役に立てれば幸せです。
また本を出版するにあたって、武田出版の皆様のご協力にも、本当に感謝致します。
この本で人の輪の大切さ、神の存在を感じていただければ幸いです。ありがとうございます。
著者 高橋 章
この物語は、1992年冬から始まる。
善と悪のバッキング
私は、大学を卒業し、家業を継ぐために実家に帰り、現場監督の仕事していた。会社は建設業で地元では中堅クラスの規模の会社であった。仕事は主に一般住宅の在来工法、リホーム等を中心に担当していた。大学卒業してからあまり時間もたっておらず、現場監督としてはまだまだ経験も実績も浅かった。そのころ、一級建築士の資格を取得するために、日建学院に日曜日になると通っていた。
ホテルも経営していたので、その縁で青年会議所の活動に参加していた。会議所の活動は、私には新鮮で、会議所の仕事にしても、ネオン街での飲み会や、ゴルフなどはそのころの私の生活の一部になっていた。
社会活動における基本やマナーは、やはり学生時代とは異なり、政治、会社、お金、女性関係など、社会人となって学ばなければならないことばかりだった。
私も年頃になったので、嫁さん探しを始めなければならないと、気になる子を探し始めていた。そのころ気になる子は2人いた。一人はネオン街の子で、もう一人は銀行の子であった。ネオン街の子は、その頃付き合っていた友人の妹が務めているからと誘われた店で、その店でチーママをしていた子だった。
年は、22歳と若いのだが、すでに子供が2人いて、旦那と別れてアパート住まいをしていた。何故かその子に惹かれ、猪苗代湖までドライブをしたこともあった。大学では麻雀と大学の宿題に明け暮れていたので、女っけはぜんぜんなく、ただ女性を愛の対象と捉えていただけで、女性の免疫はまったくなかった。
もう一人の銀行の子は、叔父が、会社を経営していくのには銀行の子を嫁にするのが良いというような話を雑談の中でしたのがきっかけで、その頃地元のサークルにいた髪の長い子に気を留めるようになっていた。
青年会議所のクリスマスパーティーでバンドを呼んで、ダンスパーティーを開くことになった。その頃私は会員委員会で、青年会議所のパーティーなどの段取りをするのが、青年会議所での仕事だった。私の地元サークルでバンドをしているグループがあったので、そのバンドにクリスマスパーティーのバンド演奏を頼むことにした。そこで私が考えたのが、銀行の子をクリスマスパーティーに呼んで、そこでオンリーユーを歌おうと考えた。まだ声をかけたばかりだったが、その子の気を引くためにはこれは良い機会だと思い、英語の歌詞を一生懸命覚えた。クリスマスパーティーが近づき、銀行の子を誘おうとしたら、車を廃車にしてしまい、クリスマスパーティーには行けないと言われた。それでは私の車を貸すから、ぜひ来るようにと私の車のキーを渡した。
パーチィーが始まり、その子が来るのを待っていた。しかしその子は現れず、私のオンリーユーは会場に響いただけだった。
翌日だったと思うが、鍵を返してもらった。
私には、耳があまり良くなく、太っているという欠点があり、その子に声をかけるのに84キロまで体重を落とした。地元のサークルでもずいぶん痩せたと言われ、ダイエットしながらふらついていたのは、今でも覚えている。銀行の子が、パーティーに来てくれなかったので、それでは電話攻勢しようと思い毎日電話をかけ始めた。しかし毎日電話をかけるのだが、その子の家の電話は全然出ることはなかった。私は腹が立ち始め、一か月電話をかけて電話がつながなければ、その子のことはあきらめようと思った。最後の日、結局電話はつながらず、その子のことはあきらめようと思った。
銀行の子にさよならをして、一級建築士の勉強もあるので、仕事と勉強に打ち込もうと思っていた。
数日たって、地元のサークルで、銀行の子にあった。態度を見ていると、クリスマスパーティーでその子にオンリーユーを聞かせようとしていたことが、その子の耳にも伝わったらしい。ただ自分の気持ちはその子に対して切れていたので、どうしたものかと考えてしまった。結局一度会って、付き合いはやめようとその子に伝えようと思った。電話がつながらないので、その子に直接電話のことを聞いてみたところ、どうもその電話はその子の家の経営している店の方へ掛っていたらしい。
しかし、その子への気持ちは切れていたので、その子に会って別れ話をした。
それまでの間、親とも話をしていたが、どうも私の父とその子の母親は何度かデートしたこともあったらしく、その子の両親の縁結びは、私の両親であったことを聞いた時は、さすがにビックリした。
それからは、勉強と仕事と青年会議所活動に打ち込んでいたが、ある夜に従兄の母親が現れ、私の母と話し込んでいた。話の内容を聞いてみると、従兄がそれまで付き合っていた彼女と別れて、私の声をかけた銀行の子と結婚すると言い出したと、私の母に相談を持ちかけに来たらしい。私としても少し異様な気がしたが、私がその子に声をかけたことがあることは、従兄の母親には話さなかった。
しばらくたってから、地元のサークルで宴会の段取りをする委員会の集まりがあった。そこでの話は、次の委員会の集まりに銀行の子が来るという話を盛んにしていた。しかし私のいる委員会にその子が来るのは、その子の真意は私には解らなかった。
次の日、その子の努める銀行に直接電話をかけ、その子の真意を聞きたかった。委員会が終わった後で会いたいというので、会う約束をして電話を切った。
委員会の日、会場は私の会社の応接室を使うことになっていた。ソファー全員揃い雑談が始まった。すると突然、銀行の子がその子の隣にいるサークルの一人に交際を申し込み始めた。
私には、その光景が信じられなかった。サークルの話に私は参加せず、車を乗り回していたのを覚えている。
突然の変化
おかしなことが私の周りに起こり始めたのは、それからである。
私の付き合っている、交際関係が全ていっぺんに私を、交際関係から外そうと動き始めたのである。私は、なぜか一連の事件で物事が動き始めたように見えたのである。友人関係、会社、青年会議所、私の取り巻く友人関係の雰囲気が違うのである。あまりにも突然の動きに、私は床で寝込んでしまった。母は心配して私に、教会の牧師のテープを買ってきてくれた。有名な牧師らしく、その牧師のテープは、まるで私には泉のようであった。あの日の出来事をバッキングと名づけたが、私にしてみれば善と悪の衝突であり、自分の持っている哲学を壊されたと同じであった。しかし、まだその頃の私は、自分の魂の持っている哲学を言葉では全て表現出来なかった。
仕事に戻るようになったが、自分の哲学が壊され生きる力がバラバラになっている状態である。仕事に身を入れるという状態ではなく、自分の持っていた自信ややる気がバラバラにされた状態である。世の中というものに対して、無知というものを肌で感じた。
まず自分を立て直さなければならない。少し仕事から離れて自分を整理する時間が欲しかった。父に話すと父は、教会に行くように勧めた。母からもらったテープの説教をする牧師のいる教会へ行って、自分を取り戻すように父から言われた。仕事は先輩の現場監督にまかせ、しばらく教会に行くことになった。
母と教会を訪ねた。その教会はカウンセリングやキリスト教を通じての社会活動等を積極的に行っている教会で、教会での生活を快く迎えてくれた。しかし、母に泣かれたのは辛かった。教会で生活するのに、アパートを見つけリサイクルショップから生活必需品を買い揃えた。社会人になってから、ただ親に甘えるだけの自分に、辛い気持ちと教会で生活する安堵感が入り混じっていた。
教会での一人暮らしが始まった。朝教会に行き、牧師の説教を聞いた。教会で仕事をしている人たちに、毎朝説教するのである。教会の人たちは、みんな優しかった。教会は人の優しさで満ち溢れていた。教会の仕事を手伝ったり、教会の社会活動に参加していくにつれ癒されていった。一連の事件の中で思ったことは、世の中には目に見えない力が働いているのではないかと感じたことである。教会で生活をしている中で、その見えない力を見極めようと必死になっている自分がいた。
教会で生活すると、自分を取り戻す時間は早かった。自分を社会の中でどう表現するのか?教会に来る前の自分より気を遣うようになったのは確かである。人の気持ちというものに対しての気の使い方は、少し過敏な状態になっていたかもしれない。気の使い方は人それぞれで、細かく気を使う人もいれば、まったく気を使わない人もいる。この細かく気を使うことが、世の中に働いている力に大きく作用しているのではないかと、勝手に解釈したようなところもあった。
教会での生活で、自分を取り戻すことが出来た。教会では、自分に与えられた環境と時間にひたすら感謝していた。仕事に対する意欲や青年会議所活動に対する意欲など、やる気はほとんど回復していた。
教会の生活は、六か月間ぐらいだったと思うが、教会の生活に別れを告げ、仕事に復帰するようになった。
家に帰ると、ホテルの増築の話が、着々と進んでいた。ホテルの増築は。ジョイントベンチャー共同企業体で施工するようになっていた。ホテルは自分の家の会社がオーナー会社で過半数の株を持っていた。自分の家の会社からも、だれか一人共同企業体に参加することになっていた。建物は、SRCで私はまったく経験がなかったが、共同企業体では現場事務所内での雑用係が欲しいということで、私が共同企業体に呼ばれた。
ホテルの増築が始まった。仕事は、現場事務所内での雑用である。教会にいた時に、一級建築士の試験があった。二次試験は製図で図面は書きあがっていたので、少し自信を持っていた。
現場事務所がホテルのそばに移された。駅前であったため、ホテルと隣の大型スーパーの通路帯の上に現場事務所が造られた。
その日は、朝から机に向って、現場作業を説明するための、パネルを作っていた。すると後ろから主任の声が聞こえた。振り返ると主任は机に向って仕事をしている。私を呼んだ形跡はない。私はまた向き直って、仕事を始めた。するとまた後ろから主任の呼ぶ声が聞こえる。また振り返ると、主任に私を呼んだ形跡はない。統合失調症の始まりであり、
四次元に入った瞬間でもあった。
四次元の世界に
私は最初、戸惑いの中で四次元という概念ではなく、光のネットワークという概念で、この現象を整理した。四次元に私は神であるという存在が現れた。しかし、突然死ね死ねと言われた。私はそれまで神を信じ、少し悪さをしたことはあるが、神から死ねと言われるような生き方をしていない自負があった。私に死ねという神に対し、全然聞く耳を持たなくなっていた。精神病にかかったなどという認識はなく、大人になるとこうなっていくのかなどと思っていた。自分の状態を考えると光のネットワークの中心におかれ、平井和正の書いた幻魔大戦の主人公東丈になった気分だった。幻魔大戦は長編の大作で、高校時代全部読破した。平井和正の世界が好きになり、犬神明で有名なウルフガイシリーズなども全部読んでいた。善と悪の戦いであり、東丈は光のネットワークを説いて、超能力者となり幻魔と戦う。その幻魔とは人間の心に現れる悪を具現化したものであり、その幻魔から光のネットワークによって宇宙を守るというのが幻魔大戦のストーリーである。大学の時に吉祥寺に住んでいたが、小説の中で東丈が住んでいたのが吉祥寺という設定だったので、幻魔大戦の感化から東京で住む所を決めた大きな理由の一つでもあった。
四次元に入ると、はじめ私の過去のバラシが始まった。私の過去で何をしてきたのか。その過去で何を思ってきたのかなど、現場事務所内の三次元がリンクして行われていく。四次元で協力的な人は、三次元でも協力的であり、四次元で非協力的な人は、三次元でも非協力的である。その現象は、一連の事件の原因探しを始めていく。四次元には大学時代の友人や、中学校時代好きだった子、その時付き合っている青年会議所のメンバーなど、ごちゃまぜになって一連の原因探しをするのである。そこに政治や経済におけるお金の話が絡むという状態で、登場人物も多岐多様である。
その頃はバブルのピークの頃で、政治的には政治不信の塊になっているような時代でもあった。金権政治が国民の怒りを買い、政治そのものが混乱し、政界再編、二大政党政治への混乱期でもあった。それまでの私は、それほど政治には関心はなく、政治というものはそういうものなのだろうとぐらいしか認識していなかった。ただ自由民主党の言っていることは、子供の頃から当たり前のことを言っているように聞こえていた。私の考え方は政党政治をする場合、柱になる政党がなければ、政党政治は機能せず、二大政党であれば、大統領制でないと政治が機能しないと思っていた。
政党政治を行う上で、いろいろな考え方とそれぞれの理想の中で、一つの政党の考えを柱として政党政治を行う方が良いのではないかというのが、四次元の中での私の意見だった。
私の父は、いろいろな政治家の選挙応援を頼まれ幹事長なども数多く務めていた。政治家との付き合いも多く、私も父の応援している政治家を応援していた。その頃の私は、いろいろなお願いというのは政治家に頼むものだと思っていた。また父が応援しているので、お願い事は聞いてもらえるのだと思っていた。
それは三次元であれ、四次元であれ同じだと思っていたところがある。
その内にだんだん自分が四次元の中心になっていくことに気付いてくる。はじめは一連の事件の中心であったが、だんだんと四次元の中心になっていくのである。はじめ四次元に対して遊びの感覚であったが、周りの三次元の状態が異様な感じになっていくことを感じた。その頃はまだ四次元ということに対しての概念は頭の中になく、光のネットワークでの東丈の気分だった。自分の持っている正義感は、だれよりも強いと感じ始めるのはこの頃からである。
三次元と四次元がリンクは、まず周りの態度がリンクしているのである。三次元の周りの態度がリンクするので、四次元を無視できるものでもない。
ホテルの現場事務所内での生活も一年近く過ぎようとしていた。青年会議所に一度戻ったのだが、青年会議所での活動が面白くなくなっていった。結局、その青年会議所はやめることにした。
四次元の状態のせいもあると思うが、自分の正義感を大事にしたかった。
その生活は、まさに東丈であり、戦いの日々の連続でもあった。
一級建築士の試験は合格できなかったらしい。合格したかもしれないと思っていたので、残念だった。
たまに小中学校時代の友人と飲みに行くのが楽しみだった。みんなで溜まり場にしていた店は、高級感があってカラオケのない店だった。私のお目当ての子は、飯島直子似の美人で一生懸命口説いていた。あまりしゃべらない子でいくらデートに誘ってもOKしてくれなかった。教会で生活を始めた時から通い始めた店で、付き合いは長かった。その子にも子供がいて、私が惚れる子には決まって子供がいた。ネオン街の子には、子供がいる子が多いが、子供を産んでから、いい女になるというのは、ほんとの話なのだろう。
仕事の方が、急展開していくのは、それからである。
現場事務所の主任が転勤するらしい。現場には所長がいたが現場の実務は主任が仕切っていた。この主任の声から四次元に入るようになるが、主任は協力的で一級建築士の資格も持っていた。もう一人係長がいたが、この係長は別の会社の社員で、きちがいじみたところがあった。三次元の態度を見ていると、泣きながら狂っているようなところがあり、見ていて気持ちが悪かった。主任が転勤になったら係長が現場を仕切るらしい。転勤していく主任も不安がっているところもあった。
四次元では、主任といつも動いていた。主任も正義感が強く、ロマンチストなところがあった。
主任の転勤が決まってから、四次元で、完璧全部俺に渡せと、突然ある政治家が言い出した。しかし私はそれを拒んだ。主任が転勤になってから、現場を仕切り始めた係長が狂いだした。笑った顔などとても見られたものではなかった。
四次元で今度は別な政治家から、県から出て行けと言われた。その一言は、さすがの私にも堪えられなかった。
現場事務所にも、行くのが嫌になり、かといってなかなか親に現場事務所の状態を言えなかった。それまで、東丈の気分で過ごしていたが、主任がいなくなったことで、現場事務所に誰一人味方がいなくなってしまった。現場事務所の雰囲気が一遍に最悪になったことで、精神的に追い込まれてしまった。その晩、しばらく非難するつもりで、北海道に車を走らせていた。
津軽海峡の連絡船の乗合室は、ほんとにさびしかった。津軽海峡を渡り、北海道に車を下ろし、札幌でも向おうかと車を走らせた。夜はまだ明けておらず、港の倉庫の街灯だけが輝いていた。夜の北海道の道路を走らせていると、四次元に父が現れ、帰って来いと私に告げた。今思うと、父が四次元に現れたのは初めてだった。私は父の声で車の進路を家に向けた。
夜が明けて行き、北海道にも朝日が昇り始めた。私を県から出て行けと言った政治家が四次元に出てきて盛んに私を責め続けた。函館の連絡船に乗り込み、船の中では一等席の部屋を取った。部屋で休み、これから家に戻ってからのことを考えていた。その時、猪苗代までドライブした子が出て来て、海に飛び込めと言った時には、信じられない思いがした。それまでの私の四次元の感覚は、ほとんど半信半疑である。ただ三次元と四次元はリンクしている。私自身の行動として、四次元で行動を起こしているのが自分としては自然なのである。
家に戻ると父と母が和室の居間で心配そうな顔をしていた。警察に捜索願を出す相談をしていたらしい。父は現場事務所での私の生活をなんとなく解っているような雰囲気だった。私は初めて父と母に四次元のことを話した。私は精神病院に連れて行かれ、即入院、典型的な精神分裂症だと言われた。私はそこで初めて精神分裂病という病気であることを知った。患者棟には入院している人たちが、喫煙室でタバコを吸っていた。病院のベッドで、なぜ私がそこまで責められなければならないのか考えていた。どこから考えていっても、私は間違っていない。私は正しいのである。四次元に政治家がいろいろ出てきて私にいろいろ言うが私が正しいのである。寝ていると四次元にゴムエックレムという謎の女性が出てきた。ゴムエックレムは私の気持ちを分かってくれた。私は家に電話して、すぐに退院したいと父に告げた。母が迎えに来てくれた。車の中で憲法と法律の勉強をしようと思った。
家に帰ってから、日本国憲法を調べた。自分の今の状態を考えたときに、四次元の中心におかれるのである。この状態をアートフォースと名づけるのだが、この状態を政治家に頼ることによって自分の存在を維持しようとしていた。国を統治しているのは、憲法・法律であり、権力は政治家に渡されるが、またその政治家も憲法・法律に支配される。政治家の権力は国民の恩恵のためにあると謳う。その当時、日本では金権政治を壊さなければならないという雰囲気があった。金権政治で有名な政治家が政治の実権を握っているという時代でもあった。その頃の私は、四次元におけるアートフォースの力というものをまだ認識してはいなかった。
一級建築士の合格がかなわなかったので、宅地建物取引主任者と行政書士の資格をダブルで取得しようと思っていた。早速、勉強を始めていた。
私の両親は、勉強をすることに関して、本当によく応援してくれた。宅地建物取引主任者は、学校に行くようにして、行政書士は自分で教材を購入して、独学でするようにした。
宅建の学校は、まだ始まらないので、行政書士の勉強から始めた。行政法の勉強をしているときに、法規裁量行為形成的特許と代執行という法律を知った。法規裁量行為形成的特許とは強制的に憲法・法律を守らせるものであり、裁判官の裁量によって与えられるものである。また代執行とは、有害物などを除去することを、国に代わって執行する法律があることを知った。
四次元で裁判官と国会議員に頼んで法規裁量行為形成的特許にしてもらった。法規裁量行為形成的特許とは自由裁量行為形成特許と違い、国会議員にも口をはさませさせない強力な法律である。代執行する権利を頂けるように頼み、おかしなことを言っているヤツを四次元で代執行するようにした。
四次元に入ってから生きる心地がしたのはそれからである。
四次元の中で、金権政治を代表する政治家が、四次元全体を仕切ろうとしていた。それを支持する会社もあり、その姿は、日本のフセインのようでもあった。政治家の乱暴な権力により恐怖心を与え、人をコントロールし、一部の特権階級を作り出して、世の中に動くお金をコントロールしようとするものだった。私はそれをパンドラモンゴル至上主義と名づけたが、四次元の中でさまざまな思いが交錯していた。
三次元でも、金権政治を壊そうという動きが、徐々に出始め自由民主党が分裂し、新進党が出来上がった。二大政党を作ろうとする大きな動きであるが、政治のうねりのようなものを感じていた。昔の社会党は、子供時代の私の目から見ても、少しおかしなところがあり、自由民主党の言うことは何でも反対し、当たり前のことでも、反対していた。吉田茂元総理大臣のバカヤロー解散は有名な話であるが、国全体が望むのは、自由民主党と同じ考え方のできる政党によって、日本を良くし、政治の浄化を図ろうという考え方である。日本はアメリカのマネをしようとするところが、多々あるが、形だけまねても仕方がない気がしていた。日本の選挙制度も、中選挙区制から、小選挙区制に移行し、より政党分けを明確にしていった。
私は、遠赤外線に入っていた、宅建と行政書士の勉強を続けていた。四次元で法規裁量行為形成的特許にしてもらってから、精神的に落ち着いていた。ホテルの増築は完成し、現場事務所にもいかなくなったので、気は休まっていた。しかし、ホテルでの現場事務所の騒ぎは、まったく異常でしかなかった。
自分自身まだ勉強不足なことが多く、資格は何も持っていなかった。その悔しさから、宅建と行政書士をダブルで取得を目指していた。
四次元に、県から出て行けと言った政治家が出てきた。私に県から出て行けと言ったのは、金権政治で有名な政治家を倒さなければならないと私に言うのである。私が現場事務所でしていたことは、社会を作り上げていくという哲学がまるでないと私に教えるのである。その金権政治で有名な政治家は、政治家として一番強い力を持っていた。私には、その政治家を倒すなどという発想が出てくるわけもなく、現場事務所にいたときは、四次元で、その政治家に、若き経営者なので、よろしくお願いしますと挨拶していたぐらいである。私にとっては、まったく雲の上の存在で、その政治家を倒すなどという考え方をする訳もなかった。しかし、県から出て行けと言った政治家は、社会というものを築き上げるためには必要なことなのだと私を説き伏せた。私はここで覚醒させられた。県から出て行けと言った政治家と仲直りした。資格を取得しているようだが、宅建一本に絞って、集中して勉強した方が良いともアドバイスしてくれた。覚醒した私にとって、政治というものの見方が180度変わってしまった。それまで政治家というものに対して、ものを頼むという考えしかなかった。政治家の持つ理想に対して、支持してそれを応援するという姿勢に変わった。自分自身としても、政治にというものに対して哲学をするようになった。人間というものに対してや、友達であるとか、人間関係や人生に対して、少しばかりの哲学をしたことがあったが、人間、政治、経済、世界、文化あらゆるものに対しての哲学を深めていくようになった。
四次元でも、特に選挙が近くなると、どの政党、どの政治家を応援してほしいという動きが激しくなる。私は正義感が強いせいもあって、おかしな政治家は応援したくなかった。私の父は政治家の付き合いが多く、四次元の中にも、相変わらずいろいろな政治家が出てきた。
一番ひどかったのは、完璧全部渡せと言った政治家で、この政治家はすべて命令調で自分に従わないと、ほとんど暴力団である。これにはさすがに参った。父の関係もあり、四次元でされることは、ほとんど暴力団であり、
それを延々と繰り返すのである。さすがに応援する気は、全然なくなっていった。選挙の投票日、雨の降っている中、父と投票所に行き選挙をしてきたが、完璧全部渡せと言った政治家には投票しなかった。父には黙っていたが、自分の応援する政治家がいないというのはむなしかった。完璧全部渡せと言った政治家の四次元の暴力行為は続いていたが、突然、完璧全部渡せと言った政治家が倒れた。私は神に守られている気がした。暴力団行為を続けられていたのでは本当に気がめいってしまうところだった。この政治家は金権政治で有名な政治家とつながりがあり、光のネットワークにおいて、自分のアートフォースが一つの力になっていることに気付き始める。
パンドラモンゴル至上主義、金権政治を倒すためには、金権政治で有名な政治家を倒すしかない。行き付けの店の、飯島直子似の子にようやくデートの約束をしてもらった時である。サザンオールスターズのコンサートを一緒に見に行く約束をしてチケットを買った。私も楽しみにしていたし、その子にはプロポーズしたこともあった。いい加減な気持ちでは付き合っていたわけではなかった。しかし四次元で戦わなければならない。買ったチケットを2枚封筒にいれ、借りていた千円を封筒に入れた。握りしめた拳は今でも忘れない。
四次元の現象は三次元にリンクしている。
それは、半信半疑の部分とすべて現実なのだという思いが交差していた。彼女に送ったチケットは今でも半分後悔しているが、今思うと、そのチケットが2人のチケットだったら、ただ辛い思いをさせただけだった。その子は、四次元では、父に評判が良かった。素直な子だと、いつも父が褒めていた。
四次元の、光のネットワークのつながりがよく解らないままだった。ただ私がアートフォースになる前、父がアートフォースだったということを優秀な叔父から初めて聞いた。
四次元に関して、昔からのストーリーがあるのである。それは祖母の時代までさかのぼるのである。祖母たちの時代、アメリカナイズの考え方が、日本をおかしくしていくのである。祖母たちは、それを食い止めようと三次元でも四次元でもアメリカナイズから国を守ろうとするのである。父はアートフォースとして、誕生する神の父とされた。
我が家の家系は、菅原道真公の子孫で学問の神の子孫であると、祖母が昔から言っていた。父はアートフォースとして会社を経営していくが、父は経営者として、早くして祖父を亡くし、家業を早くから継いだ。製材所をしていたが、祖母と父とで会社を切り盛りし、お金の面ではずいぶん苦労したようである。母と結婚し、私が誕生するが、私の名前を章と名づけた。
私は四次元では、神と予言され成長していく。
バッキングによる混乱
会社にいる叔父や、叔母たちは私を守り、私を教育していく。病院に入院したとき、ゴムエックレムとして出てきた名前の女性は、実は、従妹で昔から妹のようにして育てられた女性である。私が四次元に入る前、父たちに、金権政治で有名な政治家から、父たちを死刑にするなどという暴言がなされ、父たちは、自分の身近な政治家と連携を強め、金権政治で有名な政治家に、歩調を合わせる態度をとった。父はアートフォースであったが、その当時、金権政治で有名な政治家の力は強く、金権政治で有名な政治家の軍門にくだっていた。
そして、バッキングが起こったのである。
それまで四次元ではさまざまな動きがあったようである。日本の国がアメリカナイズで蔓延し、国の形が少しずつ変わっていった。
アメリカナイズが人類の教えを少しずつ破壊し、人類の教えを軽く考えるようになってしまった。そこには人類が宇宙へ足を踏み入れたことも関係するのだと思う。人間としての絶対感は、人類の教えにあると私は思っている。それが、人間のおごりにより、自由を価値観とし、人間の幸せだけが絶対であるというような、社会的な雰囲気を造り出してしまった。お金がなければ生活はできない。経済の繁栄が人類の命であり、経済の繁栄こそが人類にとって一番大切なことなのだと、造り上げていく。経済を繁栄させるものはアメリカナイズであり、人類の教えを大事にすることより、アメリカナイズには、目をつむった方が、人類繁栄のためにはよいのだというような考え方が経済の考え方の主流になっていく。アメリカナイズとはSEXは自由、なんでも自由というような考え方であるが、そこには人類の築き上げてきたものを、経済のために壊すというような考え方になってくる。人類を繁栄させてきたものは、人類の教えである。四次元において、金権政治で有名な政治家の出現は、日本の国の形を変えていった。その姿は、人類の教えを破壊しながら力をつけていくのとまるで同じであり、経済優先の考え方が、経済の繁栄は、アメリカナイズであるというような錯覚を造り出しているのに気付かないのである。
日本は戦後、計画経済のもと成長していく。日米安保条約により、防衛はアメリカにまかせ、経済に力を注ぐことにより、成長していった。20世紀の考え方は、心には善と悪があり自由にすればなんでも、うまくいくというような考え方が支配していた。自由を絶対の価値観として、人類の統合を造り出そうとしているようにも見えた。
しかし、自由とは良識のもとに成り立っていることにより、代えがたいものである。憲法・法律上も、思想・哲学以外、自由とは公共の福祉の上に成り立っている。自由の意味だけ、極論していくと、その姿は破壊である。四次元における戦いは、人間の心に発生してくる悪との戦いである。スターウォーズで例えるならば、悪とはダークサイドである。アメリカナイズ、嫉妬と妬み、悪の煩悩、心の三悪と名づけたが、四次元には心の三悪に染まった魂が多々登場してくる。それが三次元とリンクしていくのである。光のネットワークの戦いは、幻魔大戦のようでもあり、スターウォーズのようでもある。ある意味で哲学と自由の戦いでもある。ギリシャ哲学に、コスモスとカオスがある。コスモスとは秩序であり、カオスとは混沌である。コスモスとカオスとは混在するというのが、ギリシャ哲学である。ウルトラマンシリーズとは、このギリシャ哲学のもと創られている。コスモスを守っているのが、ウルトラマンであり、悪となったカオスが怪獣である。子供のころ見ていたウルトラマンシリーズが、四次元で意図するかのように、四次元のストーリートとリンクしていくのである。国において権力は政治家が持っている、その権力は国民の恩恵のためにある。憲法・法律は国の繁栄のためのルールであり、国は憲法・法律が支配する。いつのまにが、自由への価値観は、権力者の自由に変わり、その権力が自分のために使われるものという乱暴なものとなっていた。そこで生まれていったのが、パンドラモンゴル至上主義であり、乱暴な政治家と特権意識のある会社で作った、兵法による一種の恐怖政治である。悪の煩悩によりお金を動かし、悪の煩悩を肥大させ、乱暴な政治家が私腹を肥やすというようなことがなされていた。
経済界は混乱し、悪の煩悩による恐怖政治に対する恐怖により、人間不信になっているものが多く、中には破滅願望を持つ者までいた。
四次元で自由民主党と話すようになった。それまで自由民主党は、ずっと静観していた。社会は政治不信になり、金権政治に対して怒りに近い感情もあり、そのうねりが自由民主党の分裂と二大政党の動きを加速させた。
新しく生まれ変わろうとする自由民主党と約束をした。それは憲法・法律を守ること。
四次元において、そこには憲法もなければ、法律もなく、まったく無法地帯だった。私のアートフォースは一つの力になっていることを感じていた。自由民主党と共に長い戦いが
始まった。私の四次元の戦い根っこは、バッキングにある。私はバッキングしたときは、まだ四次元には入っていない。私はその時は三次元だけで動いていたが、何か私が知らないものが、動いているのを何か感じていた。四次元にしても、一生懸命になり出したのも、これは、お墓に入ってからも延々と続くものだと感じたからである。四次元から聞こえてくるのは、いろいろな有名な人物が、アートフォースだったことが聞こえてくる。池田隼人、毛沢東、ヒットラーはアートフォースだったと光のネットワークの中で、語られている。アートフォースとは仏教芸術の曼陀羅の中心におかれるというのが、アートフォースの状態であり、四次元で自分の声が通りやすくなる。そして自分の声に対して曼荼羅における周りが反応するという状態である。魂の会話であり、いろいろな魂が存在する。四次元における魂の性格は、三次元の性格そのものであり、信頼できる人であればあるほど、四次元での光のネットワークも信頼できる。四次元で信頼できない人は、三次元でも信頼できない。そのアートフォースに対して、いろいろな反応がある。それは個人であったり、全体であったり、さまざまな反応がある。日本であったり、それは世界であったりもする。
バッキングが原因で、四次元全体が全てのものを巻き込んで混乱していた。この混乱を落ち着けなければならなかった。社会が混乱すれば、四次元も混乱し、四次元が混乱すれば、三次元も混乱していく。四次元の破壊は人類の破壊になってしまうと、四次元で騒がれていた。光のネットワークが人類の縮図であると考えるようになっていった。
青年会議所の混乱がひどかった。そこに自由民主党の新しい政治家が現れ、青年会議所の混乱を鎮めていった。青年会議所という団体は若い団体であり、考え方は青年の域を出ない。政治の乱れが、そのまま青年会議所の乱れとなって現れる。正しいリーダーの存在が必要不可欠であり、経済を担っていく若いリーダーたちの心の主柱というものは、必ず必要なのである。コスモスとカオスの考え方と同じで、コスモスがあって初めてカオスが成り立つ。理想主義と現実主義は二つで一つなのである。アメリカナイズで統合しようと思えば、そこは猿の山と化してしまう。猿の山とは、人類の理想の姿ではなく、あれは人類崩壊の姿なのである。
日本経済は、ついにバブルが崩壊する。リゾート法により、銀行が土地にお金を貸しまくった。日本に土地神話があった時代で、土地は値下がりしないという神話があった。日本は土地本位という経済体系をとっており、土地の税制などで、土地の値段をコントロールしながら組み立てていた。しかし、バブルにより、銀行本来の役割を忘れ、善のタガをはずしてしまう。バッキングも同時期で、バッキングしてから、土地の値段が上がり始めた。バブルの崩壊は、国が大幅に規制を強め、バブルを留めることにあった。それから、日本経済は、空白の十年となる。大型銀行が不良債権により、倒産するということが次々とおこった。
私の家の会社も、住宅需要の急激な落ち込みに耐え切れず、会社の整理を余儀なくされた。多額の負債を抱え、ホテルのオーナー株を売却し、会社の不動産の整理をしながら、負債の返済に充てる計画をした。銀行から会社の整理の話をされてから、建設業界の見通しなどから早目に整理を始め、不動産部門を残し、団地分譲していた土地を、売っていくだけの形にかえ、不動産業だけの形に変えるようにした。会社は、父と私の二人だけになり、会社の整理を始めて行った。何年かかるのかまったく解らないが、借金は返さなければならない。結婚は、借金返済が完了するまで出来ないだろうとあきらめていた。
四次元では、金権政治で有名な政治家との戦いが続いていた。アメリカナイズに染まった個人や会社の魂が相変わらず攻撃を繰り返して来ていた。そんな時、皇后陛下から励ましのお言葉を頂いた。皇后陛下とお言葉を頂き、お話しさせて頂いている中で、天皇陛下も現れ、ご一緒に励ましていただいた。お話をさせて頂いている中で、陛下たちに失礼なことをしている会社もあると、お話になっておられた。失礼な会社は、昔から四次元で戦っているパンドラモンゴル至上主義の会社で、ほとんど暴力団である。四次元においても陛下たちに、失礼なことをするなど信じられない思いがした。また金権政治で有名な政治家などは、陛下に対してヒットラーをさせてくださいなど、とんでもないことを発言していたらしい。いろいろと、お話をさせて頂いている中で、皇后陛下は、昔から四次元で戦っておいでになり、幻魔大戦の主人公東丈は池田隼人元総理大臣であり、東丈の姉三千子は皇后陛下だとおっしゃるのだった。金権政治で有名な政治家は世界的に嫌われ、金権政治で有名な政治家を倒さなければならないのは世界的な動きが続いていたらしい。経済、自由競争で弱肉強食、アメリカナイズが経済を発展させるのだという考え方は、社会を荒廃させ、経済と人とを分離させ、人類がいつの間にか猿の世界となんら変わらなくなってしまう。世界的な戦いが、四次元の中で繰り広げられて来ていたのである。四次元の世界では、幻魔大戦やスターウォーズの世界がくりひろげられており、私はバッキングにより四次元に入って来たのである。
両陛下と、ひたしくさせていただくようになると、県から出て行けといった政治家や自由民主党で力の強かった政治家が、頻繁に話をかけてくるようになった。その頃から、自分の脳裏に浮かぶイメージ、寝ている時の夢が全て四次元とのかかわりの中で生まれてくるものだと気が付くようになり、さらに自分の中で、地球に誕生する前の、天国での記憶が蘇ってくるのである。それは、天国を直しに来たというイメージであり、それは断片的で、さまざまなイメージが混在し、天国での平和な生活や、なぜ地球に来るようになったかなど、断片的なイメージの基、蘇ってくる。
世界における現代のテーマは、経済の永遠性である。人類が地球で生活していく上で、経済というものは必要不可欠で、経済が人類の命になっている。経済の永遠性を創り出すものは、自由だとは思えなかった。バブルの崩壊にしても、経済の永遠性を生み出すものが自由であるならば、バブルのような現象は起きるわけもなく、バブルの崩壊もない。建築計画において、ただ無秩序に計画すれば、スプロール現象を起こす。町の中心は、スラム化し、外側にスプロールするが、その膨らんだ輪においてもスラム化していく。そのスプロールは一時的な繁栄を作り出しても、その輪は虫食い状態でスラム化してしまう。何事も計画があった中で初めて成功がある。ただ単に、自由の中には、何の成功もない。成功は計画があった中から生まれてくる。
自由民主党の力の強かった政治家とも話しても、やはり計画経済のもとで経済を造らなければ経済全体の発展というものは難しいという話を話していた。今の、中国経済やソビエト連邦経済の急速な発展を見てみても、自由経済の仲間入りはしても、決して計画経済を手放してはいない。
経済理論は、いずれはお金のいらない社会を築き上げるのが経済理論である。現在は、その経済理論上の過程の中にいるにすぎない。現在の世界の姿が、最終形ではない。
経済理論の根っこの根っこは、物が欲しい・必要だという購買意欲から成り立っている。その購買意欲をもう一つ根っこを捕まえと、自分を愛する心というものがある。そこから考えていけば、国の繁栄、世界の繁栄は、心から自分を愛せる国、愛せる世界を創り上げることが、本当に必要なことだと思う。心から自分を愛せるために必要なことは、人類の教えを大事にすることである。宗教を含めて、すべての人類の教えには、答えがあるように思う。イデオロギーにもなっているように見える。それは善が命で、愛がすべてである。このイデオロギーで、人類の創り上げようという姿があると思う。経済だけに限らず、男が善となり評価され、女は愛となって評価される。そこには、神と人類の関係も、そこに存在し、人類の善が命であるならば、神の愛がすべてである。人類を繁栄させるのは、人類の教えである。人類とは愛であり、経済とは愛である。自由競争の創り出すものは、善に対する努力と善のバランスである。競争の原理とは、それぞれの善に対する努力を生み出すものであり、そこにあるものは弱肉強食といった恐竜の世界ではない。経済活動そのものは、愛がすべてである。家造りなどは、まさに愛がすべてそのものであり、それぞれが本当に必要なものしか買わないのであれば、経済は成り立たない。経済の創り上げている姿は、人間の機能的な姿そのものにも見える。頭脳が国会、心臓が銀行・公共の仕事(官僚)でお金を体に流す機能、骨盤が不動産で体を安定させ、背骨が衣・食・住・車の生活必需品が体全体を支え、肝臓は医療・大学などの研究機関となり全体のバランスを調整し、ITなどの情報通信・道路は血管であり神経。肺は世の中の雰囲気、胃腸が購買意欲である。健康の基本は、血液がきれいであること。つまりお金が善であること。お金が善であることは、経済の命であり、それが人類の命となっていく。お金を流す役割がある銀行・官僚にはお金が善であることを守る経済的・社会的役割がある。一時期騒がれた不良債権は、体に付く脂肪で、脂肪の付く量は健康体の体として考えるのが一番良いのではないのかと思う。アスリート経済は、ある意味では修行経済であり、地球で生きていく上で、みんなで修業をしましょうというのはナンセンスである。経済の永遠性を考えたときに、大事なことは、体の健康を維持することであり、人類の一人一人が一つの細胞であると思う。
日本経済だけではなく、世界経済全体において赤字財政の中で、経済運営を強いられている。今の経済の造り方は、借金をすることにより経済を支えている。ある意味では、マイナス経済で、各個人・会社が借金の中で生活し、国においても国債の発行などをして財政を支えている。国の財政が苦しくなっている最大の原因は、マイナス経済では、現在の経済のボリュームを支え切れなくなっているからである。このままの経済体系では、マイナス修行経済になることは目に見えてあきらかであり、経済理論でもそうだが、現在の経済体系は経済理論上の進化の過程の中にある。
今、世界はグローバル化し、世界経済全体で考えなければならない。世界経済の進むべき方向性はプラス経済にあると思う。プラス経済とは、国はある程度、自由にお金を使える環境にするのである。公共事業や社会福祉など、国民が満足しうるために必要とされるお金は、新しく発行して、ある程度自由に使うのである。国全体の、お金の帳尻合わせをする作業を無くしてしまい、国からお金が出る一方なのは、相続税などで対応すればよいし、物価のコントロールは、土地の値段を規制していけば対応できると思う。今、生産における技術の進歩は目覚ましく、生産性の向上というものは、プラス経済を可能にしていると思う。生産性の向上、パソコンの普及・コンピューターの向上、機械化の推進は、プラス経済を可能にし、経済を劇的に進化させる。経済において大事なことは、経済をイデオロギーの上に乗せることである。そして一人一人がイデオロギーを大事にすることによって、経済の発展がある。経済を永遠とするためには、プラス経済にすることが必要である。
四次元で、一番有名な経済学者と話をしても、私の考え方と同じである。
後から、気がつくのだが、四次元ですべてがつながっていて、絶大で圧倒的な力を有する神と交われる場なのである。人類が神と呼ぶ存在は、宇宙の絶対神と人間として使われた神がいる。宇宙が、正物質と反物質の融合によるビックバンによって誕生したことは、最新のアメリカのNASAの発表でもある。四次元という場は、神と交われる場と言ったが、人類に予言されるピラミッドの予言や聖書の預言、地獄の黙示録などさまざまな予言がある。現代においても、いろいろな占星術、霊的なもの、人類が築き上げてきた教えはすべて、四次元における神との交わりの中で築き上げられてきたものだということを知るようになる。すべての宗教は四次元において神が、創り上げたものだと私は思う。すべての宗教は、すべてつながる。すべてが正しく、神の言葉となり、人類最古の宗教バラモン教誕生から2500年、ピラミッド文明から5000年、そして今の人類の姿がある。魂に人類の教えを刻みこんで人生を送って、その輪廻による魂の進化が、人類の進化の姿になっていくのである。憲法・法律の統治というのが、現代の姿であるが、憲法・法律の後ろには、人類の教えがある。憲法・法律で缶ヅメを造っているわけではない。憲法・法律は、絶対であり、みんなの安心である。その憲法・法律を含めたうえで、人類にはベクトルが働いている。そのベクトルとは、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配し、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っているというのがベクトルである。マッカーサーが創った日本国憲法は、世界の理想憲法とされ、理想郷を創り上げようとしたのが日本国憲法である。その中核である良心は、結局宗教である。日本国憲法は、宗教の自由を保障するが、宗教を否定して自分の心が良心だということはありえない。
自由民主党と共に闘っているうちに、自由民主党が私のことを、人間としての絶対の神と呼び始める。自由民主党の力の強かった政治家は、総理大臣となった。そのころの日本は日本の立て直しで、バブルを止めなければならなかった。バブルにより土地の値段は上がる一方で、その急激な土地の値上がりは経済を壊していった。土地の値段は上がっても給料は上がらず、サラリーマンは一生働いてもマイホームは持てないというような状態になってきていた。国土法により土地の値上がりを規制し、経済を安定させようとした。国土法は効果を発揮し、上がる一方だった土地の値段は落ち着きを見せた。また日本の財政事情から消費税率のアップを実行し、国の財政を安定させようとした。経済はバブルから反転して土地のデフレが始まった。
自由民主党で力の強かった政治家は、国の混乱を、どう収めるかを考える中で、政治不信に落ち入っていた国民と、政治家をつなぐのに苦労していた。大臣を選任するのに、犯罪歴のある大臣を起用してしまい、それまで高かった支持率は急落してしまった。国民はクリーンな政治を望んでいたのに対し、政治家は聖人君子になれないというのが、その理由だった。それが国民から総スカンを食う原因だった。政治家は先生と呼ばれる。聖人君子になれなくても、社会の先生でなければならない。政治の仕事の中で、コスモスを創り上げるというのも政治の大事な仕事の一つである。政治にとって一番大事なものは、哲学である。哲学のない政治は、何を創り上げようとしているのかまるで解らない。世界全体、そして国全体のことを考え、国の形、国民の幸せを踏まえ、各政策を創り出していかなければ、ただ単に支持拡大のためだけでは政治とはいえない。政治家の権力は国民の恩恵のためにある。決して私利私欲のためにあるものではない。正義と理想を国際協調とし、国民のために政治を行わなければならない。政治家としての資質は正義にある。政治は正義であり、経済は愛である。その二つを結ぶのは哲学である。すべてを統合しているのは哲学であり自由ではない。
自由民主党で力の強かった政治家は、総理大臣としての任務を終え、派閥の首領へと帰ってゆく。その後、政治献金問題で派閥の首領としての責任を取らされる。コスモスを守るためである。自由民主党で力の強かった政治家は、私を責めた。自分には責任はなく、どうして私が責めなければならないのかと。
政治献金問題に関して、自由民主党で力の強かった政治家は、その件に関して何も知らなかったらしい。絶大な圧倒的な力を有する神に聞くと、何も知らなかったと言っている。本人として、無念でならなかったようである。私が、三次元で就職活動に苦労していると、いろいろ協力してくれた。自由民主党の力の強かった政治家は、古い政治家の一人であったのかもしれない。世の中には、善と悪があって、その両方を認めた上で、社会構成していかなければならないという考え方に近かった。しかし、そんな事をしていれば、人の輪は壊れてしまう。善に対する破壊が悪である。光の戦士論でも述べたが、憲法・法律で謳っているのは社会理論である。人類の長寿と繁栄が絶対であるならば、すべてにおいて絶対なのは、絶対の良識であり、神々の長寿と繁栄にある。憲法・法律の後ろには、人類の教えがある。自由民主党で力の強かった政治家は、優しかった。彼の考え方は、優しさが良心であったと思う。その優しさが、善と悪を両方認めるのであれば、人の輪は壊れてしまう。宗教が良心であり、良心とは宗教である。悪を認める宗教などというものはない。
自由民主党で力の強かった政治家は、その生涯を閉じる。みんなにコスモスを気付かせるために、その生涯を送ったと感じている。いまでも四次元で私のところに遊びに来るが、まじめなのは相変わらずである。
徳と才
私は、借金返しを続けていた。四次元では、
おかしな連中が騒ぎ続けていた。心の三悪に染まり、悪霊のような騒ぎをする魂である。
悪霊の中でも一番たちの悪いのが、生霊である。幻魔大戦の戦いと同じであり、何せ人類の教えを破壊しようと騒ぎ立てる。生善説・生悪説というものがあるが、人間の魂は本来絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、その魂が前世の行いにより、魂に刻んだものが、今世に現れてくるのである。四次元において、神と交わりを持てるのだと後から気付くのだが、大事なことを神は教えてくれる。
人生は、魂に人類の教えを刻みこみ、憲法・法律を大事にすることによって、神の言葉が理解出来るようになる。ベクトルに努力することにより、人生幸せになっていく。それぞれの魂は、地球での役割という運命星を持って、地球に誕生する命にその魂が宿るのである。そこに存在するのは、人類すべての教えの答えであり、善が命で愛がすべてである。
中国の教えで、立派な人を大人(タイジン)という。大人にとって大事なことは、才と徳である。才とは、才能のことであり、勉強していろいろな知識を吸収し役立てることや自分の持っている才能を磨くことにある。徳とは、日本でも昔から徳を積みなさいと言うが、良い行いのことであり、人を大切に思い、それを行いとすることが徳である。才と徳どちらが大事であるかは、徳が大事であると教えている。
才は徳により開かれる。才が善であるならば、徳は愛である。私は大学の時、麻雀が好きで渋谷にある競技麻雀道場に通っていた。その競技戦で九蓮宝燈という役を上がったことがある。九蓮宝燈は、幻の役満と言われるが、中国では、この役を上がることはあまり良く言われていない。しかし、アメリカではこの役は天国の門と解されている。孔子の教えや、リーダーの哲学本である貞観政要、三国志など中国文化から受けることは、生きることは善が命であると問いかけられているように感じる。またアメリカはキリスト教の教えが強く、愛がすべてである。中国経済は自由経済の仲間入りをして、今や経済大国であるが、眠れる獅子が愛に目覚めたと、私は感じている。
借金と金権政治との戦い
日本では、不良債権処理から土地デフレが続き下げ止まらなくなってきていた。私の借金返しも、思うようになかなか進まない。土地を売るのに、土地の値段を下げていかないと売れない状態がずっと続いていた。父が経験した時代は、経済は右肩上がりで、土地神話があり、土地が値上がりしていくのは当たり前の時代だった。土地は財産であり、前に買った人より値段を下げなければならないというのは、借金の返済においても、前に買った人のことを考えても大変なことだった。土地は思うように売れず、会社の売上は立っていかなかった。会社が解散になったのは、父の健康状態が悪くなったのも原因の一つで、会社を解散し土地の分譲を進め、借金を返済しなければならない。不動産会社の友人に協力を求めながら、団地の分譲は続けていた。なんとも私の給料が出てこないので、働きに出るしかなく、不動産会社に勤め始めた。自分の会社の団地の土地で、県に買収される予定だった土地があり、その土地の買収話も県に予算がないという理由で買収計画のめども立っていなかった。四次元で、仲直りしていた県から出て行けと言った政治家に、何度か買収の話もお願いに行っていた。
四次元では、金権政治で有名な政治家を倒す動きが続いていた。私に県から出て行けと言った政治家も、金権政治で有名な政治家を倒す動きを活発に行っていた。
日本の政治は、激動の真っただ中で、政界再編を繰り返し、金権政治で有名な政治家は、政治の主流から、つまみだされた格好になった。二大政党政治を目指す政界再編の活発な動きは、自由民主党と片翼を担う政党との二大政党政治へと固まりつつあった。片翼を担う政党の主導を、金権政治で有名な政治家が外れることにより、四次元は少しずつ安定した状態を保つようになっていった。四次元において、パンドラモンゴル至上主義が崩壊したのである。その崩壊は、四次元に平和の兆しが見え始めて行った。それまでの四次元の状態は暗いもので、悪の連鎖反応を作りだしているようにも見えた。この悪の連鎖反応を作り出していたのが、パンドラモンゴル至上主義だったのである。
この崩壊は、両陛下、自由民主党、私に県から出ていけといった政治家みんなが守ろうとしていた正義の名のもとに、心に平和をもたらしていった。
2000年を迎えようとしていたが、私の心は、安堵感でいっぱいだった。また、飲みに出かけ始めたのも、この頃からである。昔飲みに行っていた場所に、今どんな店があるか気なったので、行ってみることにした。まだ夜の時間は早く、店には女性一人だった。黄色い服を着ていて、まん丸い顔をして観音様のようにも見えた。私は居つくことを決め、ウイスキーの響を注文した。女の子と話をするのは久し振りで、彼女は歌が上手で、サザンのテープをダビングしてくれる約束をした。
その頃、ニューヨークでアルカイダの飛行機テロ事件が起こった。世紀末である。今、世界の戦いはテロリストとの戦いである。イスラム教徒によるテロ事件であり、首謀者のビンラディンもイスラム指導者の一人である。まったくあの事件は、ビンラディン率いるテロリストたちのアメリカに対する嫉妬とやきもちで、嫉妬とやきもちは、いつの世もキチガイを作り出す。あのイエス・キリストにしても、ローマ皇帝の嫉妬とやきもちに殺されるのである。人類すべての教えは、嫉妬とやきもちを否定する。一種の同化現象がマイナスに作用したのが嫉妬とやきもちであり、それは魂を腐らせ異様な悪臭を放つ。隠しているにしても正しさを捻じ曲げ、世の中にしてもすべておかしな方向へ向かわせてしまう。心の三悪でもあり、それは否定しなければならないことであり、心で努力すべきことである。四次元でも、嫉妬とやきもちが、四次元を狂わせる原因の一つにもなっている。
中国の女性「春華」
不動産会社に勤めて、しばらくたっていたが、母の中国人の友人から、従妹をお嫁さんにしないかという話が持ち上がってきた。写真を見ると中国の女優さんのようでもある。母の中国人の友人は、日本語がペラペラで、ほとんど日本人と変わらない生活をしていた。国際結婚というものは、ぜんぜん頭になかったが、今の借金返しの生活では、嫁さんをもらうのは、なかなか難しいと思っていた。
一度、借金返しが終わってから嫁さんを探しますからと断ったが、父にしても母にしても、このままではいつになったら嫁さんをもらえるのか解らないという親心に押されてしまった。会社を休み、中国にお見合いに出かけることになった。
中国のビザの関係で、一度お見合いをしましょうという話になったからである。中国人の従妹と中国の長春に向かった。お見合いをする子は長春から一時間ぐらいのところに住んでいるらしいのだが、その近辺では長春が一番大きい街で、中国の北に位置し、冬に出かけたので、夜はマイナス20度にもなるらしかった。長春の空港に、夕方降り立った。あたりは少し暗くなっていた。空港のチェックを済ませ、空港の出口から出ると、中国人の波でいっぱいだった。正面を見ると佇んでいる女性を見つけた。綺麗な女性だった。一瞬、学生時代ずっと好きだった子に見えた。中国人の従妹が言うには、その子がお見合いの子らしい。写真の感じと違って見えた。一瞬、嬉しさと緊張とときめきが全身を駆け巡り、全部の細胞に電気が充電されたような感じになった。車で長春市内に向かった。最初カラオケボックスに向かい、そこで自己紹介を兼ねて、みんなでカラオケパーティーになった。中国人の従妹の兄弟や従妹など、総勢10人くらいのパーティーになり、私は日本でよく歌っている歌を歌った。カラオケボックスもカラオケの機械も新しく、日本語の歌も沢山あった。お見合いの子は、すこし恥じらっていて歌は歌わなかった。中国の人はダンスが大好きで、町の中に大きなダンスホールがあり、歌と踊りはパーティーに欠かせないようである。カラオケボックスで歌とダンスを楽しんだ。私はダンスがあまり得意ではないので、歌の方でみんなに楽しんでもらった。彼女もあまりダンスは好きではないらしい。でも私の歌は気に入ってくれたらしく、ほんとに喜んでくれた。カラオケボックスから夕食をとるために、近くの中華料理店に移動した。円卓のテーブルを囲み、中国人の従妹の通訳で、中国のみんなの話や、私の日本での仕事や家族のことなど、みんなで談笑した。中国の人は、人懐っこい人が多く、すぐ友達になれた。
夜もだんだん遅くなってきたので、みんなと解散しホテルに着いた。彼女も私の部屋にやってきた。今、長春で氷祭りがあるらしく、街の中心部にある公園で氷の彫刻が見ることが出来るらしい。外はマイナス20度であるが、厚着をしていけば少しの時間ぐらいなら大丈夫だという。彼女と打ち解けあいたかったし、いい記念だと思い出かけることにした。タクシーで公園につき、氷の彫刻のあるところまで歩いた。歩いている人は誰もいなく、私達2人だけだった。氷の彫刻のところまでは距離はなく、お城や人物など沢山の氷の彫刻で飾られ、色取り取りの光でライトアップされていたので、大変綺麗だった。マイナス20度のデートというのは初めてだった。2人で私のポケットに手を突っ込みながら、氷の彫刻の中で、夜の散歩を楽しんだ。ホテルに帰り、それぞれの部屋でその日は休んだ。次の日から、長春でいろいろな所を見物して回った。ダンスホールやディスコ、ボーリング場やデパートなど日本のことはすっかり忘れてしまっていた。最後の夜、彼女は結婚の約束をしてくれた。空港で日本に帰る時の彼女の顔が忘れられなかった。二月の冬の出来事だった。
彼女が日本に来るのは、ビザや手続きの関係で11月になるようになった。それまで中国人の従妹に頼んで、手紙のやり取りを続けた。彼女の日本名を考えなければならなかった。いろいろ考えた末、春華という名前に決めた。春華が日本に来る11月まで、あっという間に過ぎてしまった。彼女が日本に来る日、空港まで迎えに行くのに、バラの花を買った。中国人の従妹と空港に着いて、春華がチェクアウトするのを待った。春華が現れた。相変わらず綺麗だった。本当にうれしかった。これからの日本での生活を送る彼女に、家の借金返しや、日本の習慣をどう教えていくかなど、さまざまな思いが頭の中を廻った。
仕事は、不動産会社から新聞店に変わっていた。新聞店の社長に気に入ってもらって、働かせてもらえるようになった。新聞店の社長は、あまり年は変わらないが面倒見の良い社長だった。新聞店に勤めている間、四次元で、一つ出来事があった。私は昔から、一級建築士の試験を何度か受けていたが、学科は3回合格しているが、製図の試験がパス出来なかった。四次元の話を聞いていると、ホテルの現場事務所にいたとき、本当は一級建築士の製図の試験にパスしていたというのだ。私が四次元で神の誕生と予言されていることを知った金権政治で有名な政治家が、大きな顔はされたくはないと、自分の権力を使って私の一級建築士の合格を潰したというのだ。あの現場事務所の乱痴気騒ぎの原因の一つで、係長のキチガイじみた行動はそこから来ていたというのである。四次元の中ではほとんどの人が知っていたが、私にはだれも教えようとはしなかった。私が四次元に入る前の出来事で誰もが決して口に出さなかった。四次元の中で、私の怒りは頂点に達していた。飯島直子似の子もこのことは知っていたらしく、彼女が流していた不思議な涙の意味が理解出来た。その頃の世の中を暗くしていた原因とも言われていた。しかし、何年も前の出来事で、金権政治で有名な政治家に対し、怒りを超越したものを感じていた。
父の死
不動産会社に勤めていたころは、耳の聞こえがあまり良くないため、電話アポが多くなる仕事はあまり向かず、精神的にも仕事上に関しても差し障りが多かった。家から2~3分のところにある新聞店に仕事を変えてから、8ヶ月ぐらいになろうとしていた。春華との生活は楽しかった。2人でデニーズランドに行ったのは、いい思い出である。
相変わらず四次元では、どうしようもない生霊が相変わらず騒いでいた。
年を明け、1月の中旬を過ぎたころ、夜ベッドで寝ていると、四次元に病院に入院している父からの光のネットワークが入ってきた。少し雑音混じりで、母の事や会社のことなど、お前に任せるといった話で、父には死期が訪れたということ私に告げ、最後の別れを言うと交信は途絶えた。私は、ベッドでその光のネットワークを聞いて、三次元と四次元の間で意識が定まらなかった。ベッドでうとうとしていると、母が激しく私の部屋のドアをたたいていた。母から病院で父が亡くなったことを聞いた。病院から電話があったらしい。すぐに着替え、母と春華と病院へ向かった。父は病院のベッドで、静かに亡くなっていた。
当日の夕方まで元気だったため、病院で入院していたとはいえ突然だった。療養生活が長く、入退院を繰り返している父だった。父は一番良い友達だった。今でも四次元には顔を見せるが、一番良い友達であることは今も昔も変わらない。父は良い教育者でもあり、優秀なデベロッパーだった。父の葬儀には多くの人がみえ、亡き父を惜しんでくれた。気丈な母も、父がなくなったことは、そうとうショックだった。母と春華の喧嘩が激しくなったのも、その頃からである
春華と母が、どちらも嫌悪感を抱くようになってしまい、お互いの人間不信が原因となって、喧嘩の始めるようになってしまった。春華はまだ日本語を話すことが出来ず、周りとのコミュニケーションに苦労していた。どうしても部屋に閉じこもり気味だったので、中国人の友達が出来た方が良いかと、働きに出るのに賛成した。しかし、あまり良い友達が出来ず、母との亀裂を深めてしまった。周りから孤立し母と喧嘩ばかりしている春華を見て、2人で別居する計画を立て始めた。しかし、追い打ちをかけるように母と亀裂を深めてしまった。借金返しはまだまだ終わらず、母の協力も周りの協力も必要である。借金返しを放り出すわけにはいかなかった。仕方なく孤立する春華を中国に返すしかなかった。最後に日本の思い出の品と思い、ネックレスを買ってあげた。その帰り、ラーメン屋に入り2人でラーメンを食べたが、ラーメンを食べながら涙が止まらなかった。春華が中国に帰るのに空港までは、中国人の従妹が送ってくれた。四次元では今もなお彼女は、私の嫁さんでいてくれている。
資格試験に挑戦
春華と別れて、何も手に付かなかった。ボンヤリしていても始まらないので、寂しさを紛らわせるのに、新しい資格に挑戦することにした。一級建築士はやる気はなかった。そこで、不動産会社に勤めているときに、マンション関係の勉強をして、管理業務主任者というマンション関連の資格を取得していた。
その時勉強したことと、一級建築士の勉強したことを、無駄にしたくなかったので、マンション管理士の資格にチャレンジしようと思った。早速、参考書と問題集を買ってきた。
絶対合格しようと思い、計画を立てた。毎日、朝一時間、夜一時間勉強することを決めた。マンションの知識もあるし、宅建の知識もあるので不動産関係も大丈夫。一級建築士も学科は合格しているので、建築関係の知識もある。試験は10月にあり、6ヶ月勉強すれば大丈夫だと思った。新しい挑戦の始まりだった。マンション管理士の勉強は、スムーズに入れた。一度決めると、達成するまで辞めない性格なので、飽きずに勉強を続けた。
継続は力なり。よく言われる言葉だが、これは四次元に関しても同じである。四次元の努力とは、心の善に対する努力であり、努力すれば四次元において認められる。努力は報われるのである。
借金もまだずいぶん残っている。値段を下げないと売れないのは、ほとほと困ってしまった。売るタイミングと値段を下げるタイミングを失敗してしまうと、借金が残ってしまう。父が亡くなったので、私の宅建の免許を
自分の会社の免許に戻し、営業を続けていた。
会社を解散した時に、12区画残っていたのは、今残り6区画である。会社を縮小したので宣伝効果はあまり良くはなかった。そんな中で、不動産会社の友達が協力してくれたのは、ほんとに嬉しかった。私の会社が解散してから、友達の会社に顔を出すようになったのだが、その友達は面倒見がよく、私より10才年上で、不動産の事や経済学のことなど、いろいろ教えてくれた。若い時は、政治家志望だったらしく、私から見て坂本竜馬のようなところもあった。住宅メーカーにコネクションが強く、住宅メーカーの人たちも紹介してくれた。土地が下がっていく中、土地の値段は、売主と買主の折り合いのついたところが値段になり、まったくの相場的な値段の取り決め方に近かった。住宅を建てたいと思っている人がぜんぜんいないわけではない。まだまだ土地は下がると思っている人が多く、買え控えしている状況である。住宅メーカーの売り文句は、家はタイミングで建てるである。土地の買え控えをしているより、建てる人の事情により、家を建てるタイミングを大事にしなければならないというのが、セールストークである。土地を売っている身としては、少し救われたような気がした。
土地はやはり買った人の財産である。アメリカは、株本位で経済を創っているが、日本は資源のない国で、なんでもアメリカの真似をすればよいなどということはナンセンスである。日本は土地本位で経済を創ってきたが、日本にとって、財産であり資源は土地である。土地を安定的にコントロールすることは、日本経済にとって大切なことであり、その上に日本経済を組み立てなければならない。日本経済は輸出に頼っているところが大きいが、円高になると外国でモノが売れない。国の経済が強くなると、外国でモノが売れないということは、日本の会社はアメリカに比べ、不安定な中で経済バランスを取っているということである。日本の経済を株本位にすれば、非常に不安定な中で経済を組み立てるようになってしまう。やはり、日本は土地本位として経済を組み立てた方が、日本の持っている経済を創るための条件に合っていると思う。条件として、国土が狭く、資源が少なく、不動産を所有したがる日本人の国民性から経済を創るべきである。
世の中、煩悩で動いている。きれいに言うならば、幸せになりたいという思いであり、その思いが煩悩である。人の行動は、煩悩が支配し、世の中を動かしている。煩悩の中で、大きなもの三つは、力・お金・セックスであり、この三つの煩悩は、これらがなければ地球で生活する上で支障をきたすものである。しかし、煩悩にも、善と悪がある。善の煩悩の正しさは、理想社会を構築し、すべての宗教を完成させる。善の煩悩を守り、善の煩悩をつなぎ、悪の煩悩を否定することは、社会に活力を生み出す。これは、人類の永遠の作業であり、これはお金のいらない社会になっても、続けなければならない作業である。逆に考えて、お金のいらない社会になったとき、この作業によって社会は成り立っていくものである。政治家と経営者のつながり、会社と会社、会社と個人、個人と個人の結びつきが、この作業によって結ばれるときに社会に活力が生まれる。生きる力・生きる強さとは、哲学である。人類の永遠のテーマは暮らしやすい世の中を創ることにある。人間が心から楽しいと感じ、心から笑えるのは、善と愛のあるところである。善と悪の戦いは、人類永遠の戦いであるというような言われ方をすることがあるが、ただこれをよく見ると、そこには哲学と自由の戦いを表わしているのである。ギリシャ哲学のコスモスとカオスにおいても、コスモスがあるから、カオスが成り立つのである。コスモスは秩序でカオスは混沌。哲学が秩序であり、自由が混沌である。人類が進化してきたことにより、自由もまた進化してきている。しかし、その自由の進化は、哲学が進化させてきたものであり、自由とは良識のもとに成り立つ。決して、自由がすべてではない。哲学により、自由が成り立っていることを忘れてはならないのである。人類は、愛によって繁栄し、邪悪さによって破滅する。これは人類の方程式であり、人類とは愛であり、経済とは愛でる。それが答えである。
土地の売れ方は、年間2区画ぐらいのペースである。ぜんぜん売れない団地ではない。
私はまたネオン街に行くようになっていた。
観音様に似ている子に会いに行くのが楽しみだった。彼女は歌がうまく、店に行くたびに歌を歌って元気づけてくれた。実は、春華と結婚する前に、彼女に交際を申し込んだことがあった。彼女は結婚する意思はなく、春華と結婚したのだが、また彼女のところに帰ってしまった。彼女は高橋真梨子の歌が好きで、2人でコンサートを聴きに行くようになっていた。その頃は、歌を聞いたり、歌を歌っている時が、一番幸せだったかもしれない。彼女に歌の世界を生きたいと言ったこともあった。
マンション管理士の試験に合格することが出来た。難関を突破できたのも彼女のおかげだと思っている。自分の心の支えが一つ出来た。それまで、どうしても一級建築士のことが心に引っかかっていた。大学が建築科だったのも、自分の家で建設業をしていたため、子供の頃から一級建築士を取るように父から言われ続けていた。自分の夢と父の夢が重なり、そのことだけを考えていた時期もあった。四次元での話もあったが、自分の心に余裕というものがなかった。自分のこれからの事を
考えると、突破していくには、その一点しかないように思えた。マンション管理士は名称独占の資格であるが、一級建築士と弁護士の合いの子とされている。四次元においても、
自分の言っている法律関係のことが、でたらめでないことの裏付けにもなる。彼女と結婚したい一心だったのかもしれない。まさに愛の一点突破である。
試験の合格は、母も喜んでくれた。父が亡くなってから、良いことがなかったが、母が喜ぶ顔を見るのも久しぶりだった。
政治の立て直し
四次元ではその頃、自由民主党の救世主と言われた政治家と付き合っていた。その時の総理大臣であるが、彼の考え方は経済に対して、魂が全然ぶれなかった。その頃、経済情勢を反映してか、何せ世の中が暗かった。土地デフレで経済は停滞し、この先どう日本経済を立て直すか話し合った。経済立て直しにとって大事なことは、お金を善である姿に戻すことだった。不良債権処理の真っただ中であり、バブルにより、お金が善であるべき姿がブレていたからである。もう一つは、世の中を明るくすることであった。キーワードは明るく。世の中が明るくならなければ、経済は活性化されない。彼の取り続けた政策は、郵政事業民営化と行政改革が大きな柱となり、日本経済を立て直していった。郵政事業民営化は、お金の価値観がブレた経済にとって、お金の価値観を戻す起爆剤となっていく。その政策に反対する勢力もあり、反対勢力などと呼ばれたが、彼は自分の政策による意志を貫き、公約を果たしてゆく。もう一つ、行政改革を推進していったが、これは官僚の抵抗がひどかった。世の中の暗い部分にメスを入れ、その抵抗と戦った。その国会運営はドラマチックで組閣などは国民の期待に答えるものだった。エンターティナーとして振る舞い、新しい政治家像を創りあえたのはさすがだった。その頃の政治は、世界のどの国を見ても、見劣りするものではなく、その後の国会議員の姿を劇的に変えたのである。みんなが選んだ最初の総理大臣だったかもしれない。国民によって選ばれ、そのかじ取りにブレはなく、民意を反映するものであり、リーダーとしての資質を十分に備えた総理大臣だった。今なお総理大臣としての待望論者も多いのも事実である。権力者としての引き際も清く、善の煩悩の強い政治家ほど期待できる政治家はいないと思わせる総理大臣だった。総理大臣になって何をしたいのか、総理大臣としてどういう政策を実現させたいのか明確にした中での登板だったが、その実現能力は、見事だった。四次元では今もなお、ブレがないのはさすがである。物事を的確に捉える能力はさすがである。
四次元でも、私に県から出て行けと言った政治家が国政にまで口を出して、大暴れしていた。金権政治で有名な政治家を倒してからというもの、その発言には自分が倒したとでもいいたげに、政治家の中で一番偉くなってしまった。自由民主党に付かずに、俺に付けなどという四次元での発言は、まったく私には理解出来なかった。政治にとって、一番大事なものは哲学であり、その哲学によって進むべき方向性を定めるのが政治家である。政治家は選挙によって選ばれ、その選挙によって自分の理想とする世界の創造を選挙民に問う。理想とするその社会像の根本には、哲学がなければならず、その哲学に基づいた進化の過程の演出でなければならない。自由でなければならないというような政治家もいるが、一番自由にしたいのは自分だったなどという、ばかげた話はない。自由へだけのこだわりは、選挙の方便だけにしか聞こえず、自由に楽しみを求めていけば、人生には躓きだけである。哲学を大事にして生きなさいというのと、自由に生きなさいという言い方の場合、確かに自由に生きなさいという方が、聞こえ方は明るいかもしれない。アメリカは自由の国だと言われるが、アメリカへの憧れが、自由への憧れであるような気がする。しかし、アメリカナイズを一番嫌うのはアメリカである。自由の在り方を根本から治すために、学校教育で立て直しが始まっている。自由と権利という考え方だけで、暮らしやすい世の中が誕生するとは私には思えない。アメリカは暮らしにくくなったと言うアメリカ国民の言葉もある。暮らしやすい世の中を創るということが、人類の永遠のテーマである。アメリカの本質はベクトルであり、そこには人類の答えがある。
テレビのインタビューで、自由民主党のサラブレットである政治家から、初めて哲学という言葉を聞いた。政治家として肝心要なものを忘れて政治も何もないのである。本人はマンガが大好きだそうだが、マンガは哲学である。マンガのような話だと、マンガを馬鹿にしているような発言も耳にすることがあるが、哲学を忘れるほど、つまらないものはない。哲学なきはサルである。人類には答えがある。その答えである愛とは、人を大切に思う心である。
不動産営業活動
土地が一つ売れた。前から団地を気に入ってくれていた人で、メーカーの紹介である。
土地が売るには根気が必要である。焦ったからといって土地は売れない。土地を売るための作業は同じである。まず、定期的な広告宣伝。インターネットや新聞に広告を出す場合もあれば、ポスティングでチラシを配る場合もある。一番人目につきやすく、今はインターネットの効力が強く、掘り出し物の物件などは、お客さんが飛びついてくる。また、潜在客の掘り起こしにもなる。次に、自分のコネクションを使う。人脈であるが、土地をピンポイントで売るのには、人脈からの掘り起こしが必要である。3番目に、不動産会社のネットワークを使う。不動産会社は、業界用語で別れと言って、お客さんが付いた方と付けた方とで利益を分け合うので、業界の中は仲が良い。私は不動産業界が好きで、仕事仲間が業界全体となるような、業界は他にはない。不動産業界の良いところである。4番目に、住宅メーカーへの営業。5番目に会社に問い合わせのあった顧客名簿の掘り起こし。6番目に飛び込み営業。7番目に電話アポで、8番目に看板である。宣伝によって、お客さんからの問い合わせなどを反響と呼ぶが、そのセールス体系をカウンターという。不動産会社はたくさんあるが、会社ごとに営業スタイルを創り上げている。どの営業スタイルが効果的なのかは、売っている不動産の種類、地域性なども考えながら、販売していかなければならない。私の場合、7番目だけやらなかった。不動産会社の友達も、あまり好きではなく、田舎のせいもあり地域性を考慮して、やらない方がベターだと考えていた。
父の具合が悪くなってから、銀行との話は私が一人でしていたが、借金の辛さは身に沁みて感じていた。土地デフレしていく中で、借金を完済しなければならない。利益はまったくなく、会社の経費も捻出できない状態だった。借金返しの根競べだった。不動産会社の友達が愚痴を聞いてくれていた。県の団地の一角の買収の話も、一向に進まなかった。何度も県には通ったが、県の予算が削られているため、買収は応じられないという話だけである。団地を造った時はバブルのピークの頃で、県にも予算があったので、すぐにでも買収するような話でもあった。県の買収が決まれば、一遍に楽になるという期待から、買収に応じられないという県の話に、あっさり引き下がる気にはなれなかった。
そんな時に、ビックリする事が続けて起こるようになる。不動産会社の友達が、亡くなってしまった。心不全だった。ストレスの溜まり過ぎだと周りのみんなも言っていたが、面倒見が良いので周りの問題を一人で背負い込んでしまうところがあった。実家の家業の手伝いを頼まれていると、漏らしていた。正義感が強い人で、男儀があった。人にやさしく、自分に厳しい人だった。自分の苦労は人に見せず、人の心配ばかりしていた。社会に出てから、ほんとの友達は、不動産会社の友達だけだったかもしれない。会社のソファーの横にあるホワイトボードには、来る人も来る人も、皆、福の神と直筆で書かれてあった。彼の人柄を、表わしている言葉でもあった。彼とは、今でも四次元ではよく話をするが、明るい彼がいるだけで、心は救われる。
2人で飲みに行くことも何度かあったが、彼の歌う歌も明るい歌が多く、周りを明るくしてくれる人だった。彼が大事にしていた、ネパールの友人から貰った曼荼羅は、形見に私が譲り受け、私の書斎に飾ってある。四次元の輝きは、心の輝きであり、曼荼羅を輝かせているのはベクトルである。ベクトルが人の輝きであり、その輝きが、人類を永遠と導いてくれるのである。
不動産会社の友達を偲びながらも、借金返しは、頑張らなければならなかった。警備員の仕事を見つけ、2足のわらじでやっていくようにした。警備員の仕事は結構楽しく、自分に向いている仕事だと思った。警備員の仕事は、パチンコ店の駐車場警備で夜勤の仕事なので、土地売りの仕事で用事がある時は昼間活動して、要件を済ませていた。
その頃、四次元では、私に県から出て行けと言った政治家と話していることが多かった。
三次元の状態によって、四次元で暴れる魂は決まってくる。三次元の状態が、幸せであれば、四次元で暴れる魂はまずない。三次元で不幸な魂が、生霊のようになり暴れるのである。また、四次元が三次元を支配しているので、四次元を動かそうという魂も出てくる。私は、まだこの頃、絶大な圧倒的な力を有する神と話せることに、気が付いていない。ただ四次元全体で私を応援してくれる声を聞いていた。
第七宗教の概念
自分の中で、人類の教えはすべて正しく、すべてがつながり始めていた。宇宙と人類の教えのつながりに、気づき始める。人類が宇宙に足を踏み入れたとき、宇宙と人類の教えに分離が生まれてしまったのではないのだろうか。そこにあるのは人間の驕り。人類の絶対感は、人類の教えが生み出すものである。それが文明の進化という過程の中で、その絶対感を忘れてしまっていたのではないのだろうか。人類にベクトルが存在するのは、人類5千年の教えである。人類はベクトルの中に存在しているのである。人類には、哲学が存在し、絶大な圧倒的な力を有する神の世界を構築するために地球に存在している。すべて神の計画であり、その基でおこなわれると謳うのは聖書である。私に、霊界における密教という概念が誕生する。霊界宗教である第七宗教。三次元にある顕教三次元宗教というが、この第七宗教とは、キリスト教の芸術、すべての宗教と結びついて誕生する。イエスキリストの誕生日が西暦4年で示す西暦4年の謎もここにある。日本では、死という文字を、し、と読む。しは数字で表すと4である。その表す4は、四次元の4のように思える。ここに見るのは、四次元ですべてつながっていることを感じる。四次元は絶大な圧倒的な力を有する神との交わりの場であり、その交わりから人類を進化させ、正しく導いてくれる。人類最古の宗教はバラモン教である。今はインドの宗教でヒンズー教と呼ばれているが、仏教は、バラモン教から進化した宗教である。バラモン教の神はへんてこりんに描かれるのだが、神がへんてこりんだったのではなく、その当時の人類が、まだ神の言葉を理解出来なかったと見るもが自然で、バラモン教で描く神の姿は、四次元での神の姿であると思う。あまり神から怒られるので、仏教へと進化していくのが、バラモン教から仏教への進化だと思われる。2500年たって、仏教とバラモン教が融合することにより、第4宗教は誕生していくのである。人類文明の始まりは、四次元とのかかわりが随所に見られる。バラモン教の描く神にしても、聖書に書かれていることにしても、四次元との関わりの中での会話である。ピラミッドの予言にしても、四次元により予言されたものだと思われる。そもそもエジプト文明そのものが、四次元文明であるように私には見える。ここで現本に書き足したいのだが、霊界の主の言葉によれば、時空とは三次元であり、時空により「光のネットワーク」が存在しそれが曼荼羅だそうである。四次元を聖書では霊界と呼び、精神医学では精神世界・スピチュアリティーと呼ぶ。
母の死
警備員の仕事を始めて間もなく、突然母が心不全で亡くなった。亡くなる2週間ぐらい前から、胃が痛いと言い始めていた。町医者には診てもらっていたが、胃の痛みが取れないというので、会社が休みの日に、大きな病院に連れて行こうと思っている矢先の出来事だった。不動産会社の友達が亡くなって、まだ3ヶ月しか経っていなかった。さすがにショックは大きかった。父はよく人は寿命で死ぬとよく言っていた。天寿を全うするとよく言うが、人は誰しも天命の中を生きている。
そこにあるのは、善が命で愛がすべてなのである。中国文明の真髄でもあるが、生きることは善が命である。病気にかかっても、その病気を治そうという患者の意思が命であり、
その病気を治そうとしてくれるお医者さんの、
愛がすべてなのである。人間は善によって命を与えられ、神の愛によって、天国の門は開かれるのである。絶大な圧倒的な力を有する神と人類の関係に、人間の一番自然な姿があるのである。母は私にいろいろな事を教えてくれた。
母より愛の強い女性は、誰もいなかった。母の愛の強さが、周りを支え続けたのは誰もが知っている。究極の愛が春華ならば、一番愛の強かった女性は母である。四次元に入ってから、母の考え方がよく解ったこともある。三次元だけでは、人の心の動きはよく解らないが、四次元によって、心を大切にすることが、どれほど大切であるかが身をもって解るようになってくる。人間みんな心が大事。神の言うことは、いつも同じである。それで人類始めて一つになれるのだから。
母の葬儀には、たくさんの人が、母を惜しんで来てくれた。父の時と、ほとんど変わらないぐらいの人たちが集まってくれた。母ほど愛された女性はいなかったかもしれない。
その愛の強さを、みんなが愛したのだと思う。
交通事故
不動産会社の友達が亡くなり、母が亡くなった。辛いことが続いていたが負けるわけにはいかなかった。警備員の仕事を続けながら、
借金返しを続けていた。母が、少しお金を残してくれていたので、少し助かっていた。ローンの返済、未納の税金や銀行の利子の返済など片付いたので、少し楽になった。観音様に似た子に会いたくなっていた。しばらく会いに行ってなかったが、歌でも歌って気を晴らしたかった。一人になってしまったが、四次元があると寂しさは、感じなかった。
彼女に、好きなものを買ってあげようと思った。四次元で彼女に聞くと、テレビが欲しいらしい。店に行って聞くと、テレビが欲しいと言われた。この頃になると、三次元と四次元の考え方が解ってきていたので、あまり驚くこともなかった。光の戦士論の中で書いていったが、三次元と四次元のつながりを知ると、三次元にしても四次元にしても、自然の中を生きることが出来るようになる。第4宗教という概念が出来上がると、最後の段階が残っていた。絶大な圧倒的な力を有する神との交わりである。四次元では、誰の言葉であるのかが解らない。しかし、誰の言葉であるのか聞き返すと、神が教えてくれるのである。光のネットワークをテレパシーや超能力と表現する人もいるが、神の手の中にないテレパシーなど、使えたものではない。光のネットワークは人類の縮図であり、そこに霊界全体が存在する。
神との交わりを、疎外されていたのである。
私はその日、仕事が早く終わった。まだ夜の2時だった。一旦家に帰ったが、コーヒーが飲みたくなっていた。胃が荒れているので
コーヒーは飲まない方が良いのだが、一度癖になると、なかなかやめられない。車を走らせ、いつも行っているレストランと反対方向のレストランに向かっていた。レストランについてコーヒーを飲んでいたが、霊界では生霊が騒いでいた。レストランを出て、また車を家とは反対方向に走らせていた。少し、ドライブして帰ろうと思った。そこで交通事故にあってしまった。相手の方は、亡くなってしまった。私は、なぜこんなことになってしまったのか、一人で考える日が続いていた。
あの時ああすればよかった。ああしなければ良かったという思いだけだった。私は神を信じ、自分の行いも善を命として、頑張ってきたつもりであった。亡くなった人は、酒を飲んで道路に寝ていた。そこを通りかかった私がひいてしまった。
人の命は、一つのビックバンであり、その命に魂が宿っている。その姿は、一人一人が地球。私たちは地球という星に暮らしているが、地球で生きていく上で、一番大事なのは魂である。二番目に命で、三番目にお金である。悲しいことに、逆であるような魂も見受けられる。
魂が永遠であることが人類の本質である。その魂が、進化することにより、人類が進化していくのである。魂の進化無くして、人類の進化はない。魂が進化することにより、人類には壮大な夢とロマンが描かれるのである。全宇宙を永遠とするのが人類の仕事である。その全宇宙に笑顔で満ち溢れさせることが、人類の求める姿であり、そのすべてが幸せになることを願うのが人類である。絶大な圧倒的な力を有する神の世界の構築はそこにある。一人の人間として、ベクトルに努力することは、その人の人生を幸せにし、魂の進化が輪廻によって、壮大な夢とロマンに向かっていくのである。その壮大な夢とロマンは、それぞれの人生に幸せを生み出すものでもある。
山積する問題に挑む
私には、大きな山がいくつも出来てしまった。借金の問題、相続の問題、交通事故の問題、体の健康問題、就職の問題。これらの問題をクリアーしていかなければならなかった。
私は、これらの問題を前にして、四次元で、絶大な圧倒的な力を有する神と話すことが出来る事を知るようになる。私が四次元に入って、神が現れたとき、死ね死ねと言ったのは、私に県から出て行けと言った政治家だったらしい。私が四次元で、神と予言されていたことに対する、嫉妬とやきもちだった。あの一連の事件の中で四次元に入っていくが、バッキングにしても、その根っこは嫉妬とやきもちである。あの頃の四次元は、ベクトルを破壊しようという動きによって、めちゃめちゃになっていた。そこで私に県から出て行けと言った政治家は、四次元を落ち着かせようとしていくのだが、あまりにも乱暴だった。あの頃、現場事務所で主任と二人で、四次元を落ち着かせるように動いていたが、このベクトルを破壊しようという動きを、止めなければ四次元の安定は、図れなかったのである。
私の山越えは始まっていくが、まず体の問題である。小便に血が混ざるので、病院で診てもらった。病院の診察では、小さい石が尿管に詰まっているらしい。手術はしたくなかった。そこで水を多く飲むとよいと聞いたので、還元水を飲み、遠赤外線に毎日入るようにした。
すると、一週間ぐらいで石が出てきた。還元水も遠赤外線も予防医学の最先端のものであるが、病気を予防する意味では、これらのものは文明の利器である。還元水に関しては、病気を治す水と言われ、遠赤外線に関しては、最近、病気を治す機械として、厚生労働省から認定を受けたばかりである。
就職の問題は、車の免許が無くなってしまったので、仕事に就けなくなってしまった。警備員の仕事は、車を使うため、会社は退職せざるを得なかった。車の免許を取り直すまで一年かかるので、それまでは失業保険を貰うしかなかった。自分の会社の団地の分譲を進めていくことが、大事だと考えた。時間があるので、パソコンの勉強をしようと思った。失業保険の受給者に、職業訓練の講座があるので、パソコンの講座を受講するようにした。パソコンは独学で、マイクロソフトオフィススペシャリストの資格は取得していたが、パソコンを基礎から学ぶ、これと無い機会だった。
相続の問題は、叔父二人に相談しながら進めることにした。兄弟は三人だが、三人だけでは話はまとまらないと思った。相続の場合、兄弟三人いれば三等分という考え方をしがちだが、弁護士に相談したところ、そこに行きつく前に、社会的通念という考え方を基に話し合わなければならないと、アドバイスされた。父の相続の時は、母がすべて相続したので、課税の対象にはならず、兄弟のもめ事もなかった。しかし、今回のように、三人で分けるとなると、いろいろと話し合わなければならなかった。借金や銀行の抵当権の問題、分譲している団地が競売にかかった場合など、会社を整理中での相続の話は、精神的に辛い部分も多かった。相続確定するまでの段取りや三人の話し合いの調整など、二人の叔父に協力してもらい、父が生前兄弟に言っていた形に収まりをつけた。しかし、母が亡くなってから、相続確定まで一年かかったのは大変だった。二人の叔父には、ここでも感謝したい。
次に、交通事故の問題である。交通事故を起こした場合、取らされる責任は、刑事上の責任、行政上の責任、民事上の責任である。裁判を受け、刑事上の責任を問われた。事故の状況などから、一方的に責任を問われるという事はなかった。情状酌量の意味から、罰金刑の中でも、その罪状は憂慮された。
行政上の責任は、一年間の免許取り消しである。車に一年間乗れないと、仕事も何も出来なかった。公共交通機関を使い、行動していた。
民事上の責任は、保険会社に任せた。弟の務めている会社に車の保険は頼んでいたので、弟に助けてもらいながらだった。亡くなった方の実家は遠方の方で、告別式には4時間かけて行ってきたが、告別式で私のいる場所はあるはずもなかった。保険会社の方が、事故の状況などを聞くために何度かみえたが、事故の状況は、うそ偽りなく伝えた。事故の状況による過失割合や示談の金額を決めるため、保険会社の人が動いてくれていた。民事上の責任を含め、交通事故の問題が解決するまで、一年近くかかった。過失割合は、私が6で相手の方が4だった。
亡くなられた方の冥福を心から祈ります。
最後に残ったのは、借金の問題だった。
母が亡くなってから、土地が一つ売れていた。以前に撒いたチラシを見ていたお客さんだった。団地の中の隣の方で、チラシの値段が安かったので、購入することを考えていたらしい。残りは、三区画になっていた。
四次元では、私に県から出て行けと言った政治家が、ずっと話しかけてきていた。政治的に四次元を利用して、自分の地位を高めようとするのは明白だった。四次元で、その政治家と話していると、観音様に似ている子が出てきて、その政治家と話すことをやめるように、私に言ってきた。私は彼女と話をすることに意識を集中させ、私に県から出て行けと言った政治家と話すのをやめた。
土地売りの方は、二人の叔父に泣きついていた。銀行の方で、競売の段取りを口にし始めたからである。競売にかかってしまったのでは、自宅も競売にかけられ、無一文になってしまう。人情の厚い叔父が、昔会社にあった協力会の人たちに、あたってくれた。偶然に、2組の人が家を建てる予定だったらしい。叔父に頼んだことにより、商談はスムーズにまとまってくれた。2区画続けて売れたことで、残りは一区画になった。ここまで来ると、銀行も、あまり口うるさくはなかった。今度の支店長は、借金の整理に協力的だったので、銀行でもいろいろ動いてくれていた。借金返しは最後の詰めの段階になってきていた。
そうした中、私はパソコンの講習を受けていた時だった。四次元で私に県から出て行けと言った政治家が、私を危険人物扱い始めた。私が危険人物呼ばわりされる覚えはなく、三次元で国の危険人物のように言われ始めていたのは彼だった。
数日後彼は捕まった。
彼の姿は三次元においても四次元においてもベクトルを否定し、殺し合いの論法を作り出す兵法そのもののように見えた。
人は、嫉妬とやきもちでも輪を作ってしまう。同化現象がマイナスに作用するものであるが、人類で一番愛される神を殺したのは、嫉妬とやきもちである。人類すべての教えは、嫉妬とやきもちを否定しているのである。
一連の事件の根っこには、嫉妬とやきもちが存在しているのは解っている。それは人の輪を腐らせ、キチガイを作り出していくものである。世の中として、大切にしていかなければならないのは、人類の永遠の作業である。イエスキリストが十字架にかかってから、もう2000年たっている。2000年の進化は、心の2000年の進化でなければならず、その絶大な圧倒的な力を有する神の計画というものに基づいて行われているのである。人類2000年のキーワードはベクトルが絶対であるという、人類の原点に返ることにある。ピラミッドの予言で、男の絶対の神と、女の絶対の神の出現が予言されている。その出現の意味は、西暦2000年に、人類となった最初の姿に帰ることにあったのだと思っている。今、世界の哲学界の中で、絶対無というものが取りざたされている。私が考えると、西暦2000年に、人類の原点に返り、ベクトルが正常な状態に戻ることが、絶対無であると思う。そこに神の計画があると思う。
哲学的なとらえ方や宗教的なとらえ方など、その表現はさまざまであるが、人類にベクトルが働いているのは、人類5000年の教えである。その教えが人類に長寿と繁栄をもたらすのである。動物園の猿の山は、人類の理想の姿のわけもなく、そこにあるのは、人間社会崩壊の姿でしかない。
私はその日、教会で牧師の説教を聞いていた。電話が鳴ったが、でられなかった。教会の礼拝が済んで、電話をかけ直すと、最後の土地が売れたことの知らせだった。地元の不動産会社の先輩からの電話連絡だった。女性の先輩で、友達の不動産会社に一緒に勤めていた友人の一人だった。
銀行の詰めの話は、優秀な叔父と一緒に行ってもらった。借金返しは、十年あまりやってきたが、私は解放感でいっぱいだった。最後の土地が売れたのは、先輩に頼んだ次の日の出来事だった。私はあらためて、神に感謝した。やり遂げたことに満足し、亡くなった母や友達の死を無駄にしなかったことに安堵していた。借金の整理が始まってから、十年あまりすぎていた。しかし、私は神との交わりによって、借金返済が成功することが出来たと思っている。もっと早く、神と交わることが出来ることに気が付いていれば、交通事故などに出会わなかったと思うと、後悔してならなかった。善が命で愛がすべて。人類の善に対する努力は、絶大な圧倒的な力を有する神の愛により開かれると私は思う。
聖霊・生霊
四次元において、聖霊も数多く現れる。
聖霊とは何か、生霊とは何か。この問題は、貞観政要の六正六邪に基づいて考えるのが、一番正解だと思う。六正とは、聖臣、良臣、忠臣、智臣、直臣、貞臣であり、この六正が正しい家臣の在り方であり、人の輪を幸せへと導いてくれる。簡単に言うと、聖臣とは、常に未来を見据え、問題を回避させる。良臣とは、親心を持って、問題を回避させる。忠臣とは、忠実に接し励ましながら、問題を回避させる。智臣とは、知恵を持って、問題を回避させる。直臣とは、正しいことは正しいとはっきり言って、問題を回避させる。貞臣とは、質素倹約を常として、問題を回避させる。簡単に六正を表わしてみた。これらが、六正であり、人の輪を幸せに導いていく魂である。聖霊と呼ばれる魂は、このいずれかに属し、それぞれの六正の融合した姿がそこにある。これは四次元に限らず、三次元においても同じことがいえる。仕事を成功へと導くためには、人の輪というものは本当に大事で、仕事を成功させる為の条件の一つでもある。
次に、生霊である六邪を表わしてみると、六邪とは、見臣、諛臣(ゆしん)、姦臣、ざん臣、賊臣、亡国の臣の六つである。簡単に表現すると、見臣とは、ただ見ているだけのタイプ、諛臣(ゆしん)とは、おべっかを取って遊んでいるだけのタイプ、姦臣とは、物腰は低いが、ロクでもないことを考えているタイプ、ざん臣とは、自分中心で、格好付けばかりで良識のなくなるタイプ、賊臣とは、ヤクザタイプ、亡国の臣とは、まったくでたらめなタイプ。これらが六邪である。この六邪が人の輪に入ってくると、ただ人の輪を壊し、破滅へと向かわせてしまう。四次元の生霊の姿も、この六邪そのものである。
人の輪にとって、六正を守り、六邪を否定することは、大事な作業となる。四次元で絶大な圧倒的な力を有する神の行っている作業も、この作業になっているところもある。善の煩悩を守り、悪の煩悩を否定することは、人類の永遠の作業なのである。貞観政要とは、中国の歴史の中で一番安定した時代を築き上げた時代の政治の要として書かれた、リーダーの哲学本である。日本でも、古くから読まれ、平安時代からリーダーの哲学として、大切にされている。有名なところでは、北条政子や徳川家康など、その政治の要として貞観政要を大事にしていた。
四次元ストーリー
四次元において、第4宗教という概念が誕生したが、その言っていることは、日本の憲法・法律である。その憲法・法律において、良心とは宗教であり、人類の教えはすべて正しく、すべてつながるというところにある。
すべての人類の教えは、四次元において絶大な圧倒的な力を有する神が生み出したものであると思う。
憲法・法律において、缶ズメを作っているわけではない。缶ズメを作ろうとすれば、良心そのものが解らなくなってしまうだろう。悪を認める良心などは存在しない。いつの間にか、形が変わってしまうのである。缶ズメは、腐らなくて長持ちするなどという考え方はありえない。
人類にとって大事なことは、魂に人類の教えを刻みこみ、憲法・法律を大事にして、ベクトルを絶対とすることである。哲学がなければ、世の中には混乱だけしかなくなってしまうのである。人類全体が進んでいく方向性の中で、ベクトルを常に意識するということは、大事なことであり、そのベクトルとは壮大な夢とロマンへのベクトルなのである。
四次元を安定させる為に、第4宗教という概念は大事であり、それが心に安定をもたらしてくれる。
また四次元は、コンユーターシステムのマトリックスによく似ている。マトリックスという映画もあったが、コンピューター言語と、人のキーボード操作の中間に位置し、キーボードとコンピューター言語を結ぶ遊びの空間である。その空間によって、コンピューターの作動がよりスムーズに行われ、少しの誤操作にも柔軟に対応してくれる。
絶大な圧倒的な力を有する神と三次元を結ぶのが、四次元によってなされる。
四次元を支配しているものは、すべて永遠のために行われているということである。なぜ四次元というものが存在し、四次元における努力がなぜ必要なのかは、人は心で思った事を頭で考えて行動に移す。人間は、心で努力するかどうかで、決まってしまうのである。
一人の人間の姿の集合体が、人類である。
すべてが永遠のために行われているということが、すべての永遠の真理である。その真理とは、すべてを絶大な圧倒的な力を有する神が守ろうとしていることにあり、それがすべての答えである。
世の中、大事なことは沢山あるが、人間の驕りというものは、否定しなければならない。すべての問題の原因となっているものである。人類の教えは、全部正しい。その中で、ベクトルというものに対し、人間は謙虚でなければならない。人類の絶対感は、人類の教えより生まれるのである。
Oリングテストというものがある。世の中の不思議な現象の一つと、捉えられているが、これは、早期に病気を発見したり、体に良いものを判別したり、その人の将来を予見したりさまざまな事柄を示してくれる。そこにあるのは、すべての永遠の真理であり、すべての答えである。人類は選ばれた生命体であり、神から愛されているのである。私は胃が痛くて、薬を飲んでも治らなかった時、神から、リンゴ酢を飲むように言われ、その通りにすると胃の痛みは消えてしまった。一人の人間の魂にとって、神は親と同じであり、神に対する考え方も、自分の肉親である親と同じなのである。
神の四次元のエネルギーは、宇宙のスペクトルに作用し、それが人間の生体電子に働いていると、神が言っている。四次元のエネルギーであり、それは神のパワーエネルギーである。
宇宙の外は、四次元である。その四次元に存在する超越したエネルギーを人類が自分のものと出来たとき、人類はまた飛躍的に進化していくと思う。人類の壮大な夢とロマンは、すべての夢となり、すべてに平和をもたらすものである。
光の戦士論は、統合失調症統合するために完成させていった、私の哲学を書き綴っていったものであり、四次元ストーリービックバン伝説は、18年間の私のストーリーである。
統合失調症の謎に、その症状を持つ一人としてその謎に迫ってみた。地球には様々な謎があるが、すべて肯定すると、すべてつながるのである。今、世界で絶対無という哲学の概念が注目されているが、それもまた四次元の中でつながっていくのである。
人類に無限を生み出す力は、哲学の答えと悟りにあると私は思う。
哲学の答えとは、すべてのベクトルは宇宙のスペクトルであり、すべて神の愛で成り立っているということ。悟りとは、私の著書である光の戦士論に綴った。
人の人生は、ベクトルを絶対として、すべての永遠の真理と、すべての答えの中におかれる。そこに人類の無限の力が作用することにより、人類永遠の答えとなるように思う。
それは人類5000年の歴史でもある。人類として守らなければならないものを守ることによって、壮大な夢とロマンが生み出されることを忘れてはならない。
200 8年4月10日 12時00分
「統合失調症統合の軌跡」 人類の逆算
統合失調症統合の軌跡
人 類 の 逆 算
私の著書で「統合失調症統合の軌跡 ビックバン伝説」があります。統合失調症発病から自分の人生の一区切りまでを書き綴ったものです。
本を書き終えてから、全宇宙意識において、
本に書き止めなければならない展開があったので、前に書いた本の改正を含め本にまとめました。
今はお亡くなりになった西田哲学で有名な西田教授は、二十一世紀初頭日本で聖書のヨハネの黙示録が展開すると予言され、お亡くなりになりました。
スペインのバルセロナにあるアントニオガウディの傑作であるキリスト教最大建築物はサクラダ・ファミリアと名づけられました。
サクラは日本の花です。世界的に見ても、日本がヨハネの黙示録の舞台になると予見されていたためではないでしょうか。ヨハネの黙示録は、「小アジアの七つの教会へ。」の出だしで始まります。
ヨハネの黙示録は最後の審判とされ、人類の永遠の平和のために、クリアーしなければならない最大の関門であり、人類最大のテーマであった所もあります。
十九世紀の有名な予言者エドガー・ケーシーや、有名なノストラダムス等の予言も、最後の審判をクリアーするためのものです。
「ビックバン伝説」を書き終えてから、五次元の動きは、ヨハネの黙示録そのものに移行していきました。
十本の角を持ち、七つの頭を持つ獣は四十二ヶ月間力を持つと書かれていますが、ビックバン伝説に書いた金権政治で有名な政治家が、党首になってから衆議院満了まで、四十二ヵ月ジャストだったのです。新聞報道を見ると、新しくなった党首から「猛獣」と称されているようですが、ヨハネの黙示録における十本の角を持ち、七つの頭を持つ獣の姿は、まさにそのものに見えます。五次元においても戦いが展開されていましたが、光の戦士たちの活躍により、その政治家の秘書が逮捕されたように私には映りました。
その人物は、現実の世界でも五次元でも、兵法を好みマルクス経済理論の極論をしようとしたように見えます。マルクス経済理論とは、自由というものに経済の繁栄を求め、宗教を否定するものです。兵法とは憲法・法律が逆さまになっています。新自由主義というものに、つながっているようにしか見えないところもあります。
ヨハネの黙示録では、獣がもう一匹でてきます。二本の子羊の角を持つ獣というのが登場します。五次元においては、ビックバン伝説で私に県から出ていけと言った政治家で、汚職で逮捕され一審で有罪判決を受けましたが、自分の自白したものをひっくり返すと言うような、おかしな控訴審をしています。五次元で可笑しなことをしている一人ですが、三次元で可笑しなことをしている人物は、五次元でも可笑しなことをしています。五次元を見ていると、五次元で可笑しなことをしていた人物が、三次元でも同じことをはじめる場合もあります。五次元とは心の世界(魂の世界であり、全宇宙意識のこと)であり、五次元ですべてが繋がっています。
この獣と称した二人ですが、どちらも正論の影を主張する人物に見えます。正論の影とは、簡単にいえば水戸黄門で捕まる悪代官であり、政治家の良識から外れる人物に思えます。正論の影はお金が動きやすく、それが大人だと言うと、社会が壊れてしまいます。
世の中は、憲法・法律の支配により社会構成されています。憲法・法律で謳うのは、憲法ブルーであり、恵比寿様、大黒様二人並んで笑い顔。そういう社会を目指していると思います。恵比寿様はお金の神様であり、大黒様は人を結ぶ神様であり、人類の教え。
生きていくためには、当然お金が必要で、お金がいっぱいあった方がいいのは、誰でも当たり前。しかし、お金だけにこだわると社会が壊れてしまいます。それがバブルの崩壊だと思います。そこにあったのはマルクス経済理論の極論にあったのだと思います。
今、国で、憲法・法律で「宗教感を大切にしよう。」とはっきり謳おうとして、いろいろ考えているようです。
ヨハネの黙示録で示されたことは、いろいろあると思いますが、憲法・法律を一番シンプルにすると、ベクトルが絶対であるということが、示されたのではないかと思っています。ヨハネの黙示録の間、五次元ではいろいろな思いが交差しました。
善とは何なのか?
悪とは何なのか?
示されたのは、善とは人類の教えであり、悪とはその破壊にあると示されたのだと思います。
人は幸せになりたいという思いで動きますが、そこには、憲法・法律を含め人類の教えがあり、我々の生活はそれを柱として営まれているということを守ったのだと思います。
それがヨハネの黙示録の最後の審判であり、最後の審判をクリアーした人類の姿が、今ここにあるのだと思います。
地球の永遠の平和のストリーのスタートであり、人類の永遠の幸せの始まりなのだと思います。
人類にはベクトルが働いています。また一人一人にそれぞれのベクトルが働いています。
ヨハネの黙示録に出てくるホワイトライダーは、勝利の上の勝利の騎士とされます。勝利の上の勝利とはベクトルの事だと思います。そのベクトルとは、壮大な夢とロマンへのベクトルであり、人類の幸せはそこにあると思います。
キリスト教は愛の宗教とされイエス・キリストは、人類の愛のコスモスであり、人類で一番愛される人間としての神でもあります。絶大な圧倒的な力を有する神が絶対であると言ったのもイエス・キリストです。それはベクトルのことであり、イエス・キリストは救世主と予言され誕生しますが、人間としての神と認知されるまで300年費やしています。相対性理論を100年かけて確認しているのと似ています。人類はベクトルが絶対であることに300年かけて確認しているのです。
宇宙はビックバン融合により誕生したものであると絶大な圧倒的な力を有する神も言っています。四次元には、絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーが働いていて、その御手の中で正物質と反物質の融合することによって、ビックバンしたのが宇宙であり、絶大な圧倒的な力を有する神が絶対となるべきものを創り上げたのが宇宙の姿であると、絶大な圧倒的な力を有する神も言っています。三次元で輝く光とは、絶大な圧倒的な力を有する神が姿を変えたものであり、光も三次元において絶対の存在です。それが現代物理学である相対性理論でもあります。
宇宙には、ベクトルが働いています。
そのベクトルにはバランスがあることに気が付きます。
健康のためのバランス。
正物質と反物質の融合により、宇宙には締める物と飽和させる物のバランスがあることに気付きます。人間に置き換えると善と愛。
科学的にいえば、酸性とアルカリ性。善とは締めるものであり、愛とは飽和させるもの。
酸性とアルカリ性にも同じ性質があります。
中国の教えで、徳と才を持って大人(タイジン)とされます。立派な大人であるとされる訳ですが、徳とは人を大切に思う心であり、才とは磨いた才能です。徳と才どちらが大事かといえば、徳を大事にしなければならないと教えています。大人の心のバランスです。
徳とは愛であり、才とは善になると思います。
人間の体の健康は、弱アルカリ性が病気をしない健康な体です。酸性は物を締める役割があり、アルカリ性には物を飽和させる役割があります。病気を治す水で有名な還元水は、
体を活性水素の働きにより、活性酸素を還元して弱アルカリ性の体にしてくれます。命の健康のバランスは弱アルカリ性にあるのです。
社会を見てみると、自立と共生。自立とは善であり、共生とは愛であると言えると思います。お金(善)と人類の教え(愛)。その健康のバランスのウエートは愛に比重がかかってくると言えます。それが社会の健康になっていくと思います。命あるもの健康が大事。
すべての健康バランス皆同じ。すべてに健康バランスを創り出していくのが、人類の永遠の仕事に見えてくるのです。男と女の関係も同じであり、健康のバランスが大事だとも言えます。余談ですが、中国の三国志で有名な諸葛孔明が、赤壁の戦いで、突然雨が降り出すことによって、曹操にとどめを刺せなかったのは有名な話ですが、考えてみるとヒーロー諸葛孔明が悪玉曹操にとどめを刺してしまうと、地球が完全な男社会になってしまっていたような気がするのです。健康のバランスには、現代に及ぶ1700年の重みがあるような気がします。
宇宙に目を向けると、ブラックホールというのは、宇宙の酸化であり、宇宙の健康を保つ必要があります。宇宙の健康は、三次元と
五次元のバランスが関係していると絶大な圧倒的な力を有する神も言っています。アインシュタイン方程式と三次元と五次元のバランスによって、太陽を永遠に輝かさせる必要があり、ブラックホールも太陽に戻す必要がある訳ですが、人類が宇宙の子となって、宇宙を託されているのが答えだと思えます。
人類の逆算。
人類最古の文明は、エジプトのピラミッド文明です。超近代文明であり、未来人が超近代文明を古代エジプト人に教えたのではないかとも言われています。エジプトの神話を調べると、そこにはビックバン融合の姿が隠されています。絶対神ラーの涙で、シュウとテフヌトが人間を創ったとされています。シュウは大気の神であり、テフヌトは湿気の神とされます。
五次元において、このエジプトの神話というものも、大きなウェートを占めます。ホルスと言う神ですが、宇宙を創り上げ、宇宙を掌る神とされます。父はオシリス神、母はイシス神であり、オシリス神はエジプト王です。
私が統合失調症を発病し五次元に入ってから、五次元の動きはエジプトの神話から始まり、ヨハネの黙示録、ギリシャ神話、世界の宗教、エドガー・ケーシーの予言、ノストラダムスの大予言まで含めて、五次元の中で、自分を中心として全宇宙意識と共に展開していきます。五次元の状態は、人類五千年の教えが柱となり、安定していきますが、世界的な宗教の進化の歴史は、五次元=宗教であると言う事が私の結論です。五次元に人類の進化の足跡があると言うことであり、人類の永遠の未来は、五次元が生み出してくれるものであると言う事だと思っています。
宇宙にはベクトルが働いています。宇宙にベクトルが働いていることは、ヨハネの黙示録が証明しているのだと思います。ベクトルには健康のバランスが存在し、人類はベクトルにより一定に進化する。未来人が全宇宙を永遠とするために、急激に人類の進化を速めたのではないかという事です。未来人の計算であり、人類の逆算。映画とか見ていると、五次元の考え方が素直なのはアメリカ人です。キリスト教徒が多いですし、相対性理論の考え方が素直です。
ベクトルに全宇宙意識が乗っかって、人類の哲学を大切にすること。それが、人類であり、光の戦士だと思います。
人類、宇宙の子となって、全宇宙を永遠とする壮大な夢とロマンは、三次元を託された人類の姿があるのだと思います。
統合失調症の統合は、哲学の統合であり、第五宗教への進化があるのではないかと私は思っています。
「我々人類は、絶大な圧倒的な絶対の神の世界を構築するために地球に存在す。それが人類であり神々である。」
「統合失調症統合の軌跡」 光の悟り
光の悟り
統合失調症統合の軌跡
目次
プロローグ
光の戦士論抜粋
ベクトル
ベクトルという表現と社会の動き
ベクトルの方向性
ベクトルバランス
相対性理論とは
四次元物理学・相対性理論
二種類の相対性理論
相対性理論の相対という意味
相対的な時間
光の常識
光の速度は絶対
物質と時空
光のネットワーク
量子論とは
ミクロの世界・量子論
量子論の原理
量子論の持つ相補性
量子論による無とは
光のネットワークと量子論
光の悟り
人類2000年キーワード
参考文献
プロローグ
統合失調症という症状は、精神医学の中でうつ病と並び、二大精神病と呼ばれます。人類の歴史上登場するのは、文献的にはギリシャ時代と言われ、統合失調症の症状は、ギリシャ神話の物語のようでもあります。精神医学的には、幻想や妄想と言われ、陽性症状から陰性症状に移行し、全体的に時間とともに症状は落ち着いていくようです。
症状の安定には哲学の完成が必要で、この症状の発病は20歳前後と若く、自分としての哲学が、まだ発達段階の時に発病します。
私の著書の光の戦士論では、統合失調症を統合するに至った私の哲学を書き綴りました。神と人間の関係という、人間とは人類とはという問いに、四次元という概念のもと哲学を完成させていきました。
また、四次元ストリービックバン伝説では、私の統合失調症の症状における16年のストーリーを簡潔に書き綴りました。
今回の光の悟りは、相対性理論と量子論という、宇宙の物理理論を加え、考えていったものです。相対性理論と量子論は20世紀の二大物理学と呼ばれ、現代の物理学あり、それは四次元物理学です。
有名なアインシュタインが今から100年前に考え出された理論が相対性理論であり、同時期に有名な物理学者が集まって作られた理論が量子論です。相対性理論は、時間と空間の関係における時空という概念を誕生させ、その時空とは四次元と三次元との関係を表します。
量子論とは、アンシュタインと同時期の有名な物理学者が集まり作られた、ミクロの世界の物理学で、その理論を完成させたものです。
現代の最先端技術であるカーナビゲーションや携帯電話などは、この二大理論により出来ています。
光の戦士論で哲学を完成させていきますが、統合失調症の統合を、物理的な見地で哲学を織り交ぜながら考えたものです。
本の出版にあたってお世話になった友人、東城クリニックの東城先生、武田出版の皆様には心から感謝致します。
高橋 章
光の戦士論抜粋
統合失調症の統合において、哲学の完成が大切であることを光の戦士論の中で述べましたが、その中で、症状を物理的見地から表すのに、光の戦士論から抜粋したものを述べていきたいと思います。
光の戦士論で述べましたが、絶大な圧倒的な力を有する神をベクトル。心における魂の会話を光のネットワークと表現しました。
私が思うに、統合失調症の症状とは、霊的な世界が広がり、四次元との関わりが生まれると考えています。それは昔流にいえば、黄泉の国とも呼ばれる世界で、統合失調症の統合により、霊感が強くなるという状態になります。
しかし、発病したばかりの頃は何も分からず、どうしていいのか解りませんでした。統合失調症が発病すると、四次元における自分の存在があり、魂が現に全宇宙意識に存在しているということに気づくようになります。四次元とは心の世界であり、その心の世界において、人類の教えが大切であり、また憲法・法律が心に明るさ、楽しさ、輝きを生み出しています。哲学が自由を統合し、憲法法律においても人間の自由は謳われ、何でもしてもよいのが、人間の自由ではありません。憲法・法律の後ろに人類の教えのあることを知らなければ、憲法・法律で謳っている内容が把握できなくなってしまいます。
魂が永遠であることが人類の本質であり、その全宇宙意識の永遠の輝きが、人類の永遠の命であると私は思っています。人類の教えを大切にすればするほど、人類が幸せになり、絶大な圧倒的な力を有する神と人類の関係に人間の一番自然な姿があり、人類の善に対する努力が命であるならば、絶大な圧倒的な力を有する神の愛がすべてである。それは人類の持つイデオロギーであり、人類すべての教えの答えでもあります。人類には哲学があり、我々人類は絶大な圧倒的な力を有する神の世界を構築するために地球に存在す。それが人類であり神々である。その哲学において、繁栄を築き上げて来たのが今の人類の姿であると思います。
聖書の中で出てきている会話も、四次元の存在を肯定すれば自然に聞こえるものです。人類の教えはすべて正しく、すべてがつながり、宇宙に存在するもの、すべて肯定して考えなければならない。四次元にはベクトルが存在し、ベクトルを絶対にした次元が五次元であり、その一番の高次元が天国として存在するのだと思います。歴史上、宗教の移り変わりを見ても、五次元=宗教であることに気付きます。
謎とされるナスカの地上絵やピラミッドの預言など、地球上には様々な謎が込められています。四次元と三次元の関係を肯定的に考えていくことで、地球に存在する謎も解きほぐされていくと私は思います。
四次元における絶大な圧倒的な力を有する神との会話や、魂の会話である光のネットワークは、宇宙のスペクトルに作用する絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーとして、人間の生体電子に作用しているというのは、絶大な圧倒的な力を有する神の言葉です。それは、Oリングテストとしても、三次元に作用しています。
統合失調症の統合において、ベクトルの考え方と、光のネットワークの安定が大切であり、統合することにより霊感の強い状態となります。
統合失調症の様々な症例を調べてみると、それぞれにおいて、四次元のストーリーがあり、それぞれのストーリーを生きるようになります。宗教的に表現すればミッションであり地球での役割です。
現代の精神医学で幻覚であるとか、妄想であるとか言われていますが、統合失調症の発病は、ベクトルが創り出している三次元と四次元の調和が崩された時に、発病しているように見えます。
宗教的なものや霊的なものは四次元にあり、修行によって四次元に入る人もいれば、自然に四次元との関わりを持てる人がいるのだと思っています。
統合失調症が発病するのは、結婚や就職などストレスが多く働いている時、その三次元と四次元のバランスにより創り出されている調和を壊す働きが加わると、発病するケースが多いようです。
今回の、光の悟りでは、物理的な角度から、ベクトルと光のネットワークを考えていきたいと思います。
「光の戦士論」・「ビックバン伝説」改正文
光の戦士論で絶大な圧倒的な力を有する神のことを、正物質と言っていましたが、正物質は正物質であり、反物質は反物質です。相対性理論における現代物理学から考えて行きましたが、絶大な圧倒的な力を有する神とは、光であり、ベクトルであり、神の意志が存在するパワーエネルギーです。四次元において、キリスト教会が、神のパワーエネルギーの存在に対して、これが神なんだと言っていましたが、統合失調症の統合において、神であり絶大な圧倒的な力を有する神に聞いたところ、ビックバン融合が正解だと言っています。お詫びと修正をさせていただきます。ご了承ください。
高橋 章
相対性理論
ベクトル
ベクトルという表現と社会の動き
統合失調症の症状(四次元)の中で、絶大な圧倒的な力を有する神を、「ベクトル」と表現しました。すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配していると、四次元に入ってから実感しています。
絶大な圧倒的な力を有する神と人類・人間との関係に人類・人間の一番自然な姿があり、そこには、人類すべての教えの答えがあります。
人間の頭脳の発想の一つまでも、絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、人間は心で努力するかどうかで、人生が決まってしまうと感じています。
心の努力は、憲法・法律を含めた上で、人類5千年の教えであり、人類が人類の教えを大切にするならば、大切にすればするほど人類は幸せになっていきます。人間としての努力は、絶大な圧倒的な力を有する神に愛されるための努力であり、その努力を忘れない限り、人類は幸せになっていくと思います。
人間は煩悩無くして生きていくことはできません。煩悩は簡単にいえば、幸せになりたいという思いです。
ただ、煩悩には、善と悪があり、善の煩悩の正しさは理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。その善の煩悩にしても、ほどほどにというのが人類の教えです。
善の煩悩を結び、悪の煩悩を否定するということは、人類永遠の作業であり、この作業をしっかり行うことで社会に活力が生まれ、より良い社会を生み出すことが出来きます。
現代のテーマは、経済の永遠性がテーマになっています。私が感じるのは、経済の永遠性を自由というものに求めているように見えてなりません。
マルクス経済理論ですが、自由に経済の繁栄を求め、宗教を否定します。
そこには、人類の教えと経済の分裂であり、経済というものの考え方で、経済を発展させるものは自由であるという考え方が、世界的な考え方であるように見えます。
しかし、先進国は、少子化の現象が現れ、経済の活性化に悩んでいるのが現状です。少子化すれば国力が衰え、国の衰退につながっていきます。経済の活性化を自由に求めても、自由には性格があり、活性化させる上で、その方法がすべてだとはいえません。
自由の性格とは、自由を極論していくと、それは破壊であり、自由のスプロール現象を作り出していきます。スプロール現象とは、建築学の用語で、無秩序な都市計画により、街がスラム化し都市機能が働かなくなることです。
政治・経済社会の両輪と言いますが、政治にしても経済にしても、哲学の発展したものが、政治であり経済です。文明が発達するときには必ず哲学の完成があります。
すべてを統合しているものは哲学だと言えます。自由というものは哲学をすべて壊してしまいます。
人類5千年の教えの中で、今の繁栄を築き上げてきたのであり、決して自由が今の繁栄を築いたわけではありません。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、自由では決して成り立たないのです。自由とは掛け替えのないものであり、みんなで守るものが自由であると思います。
日本経済は、1993年には一人当たりのGDPは世界の一位であったものが、2006年には18位まで落ちてしまいました。1993年ごろと言えば、バブルの始まる前で、高度成長真っ盛りのころです。その頃の日本の姿を考えた時、その頃流行した歌などを聞いていると、世の中の柱を自由というものに置き換え始めた時期のような気がするのです。
憲法・法律を簡単に表現すると愛を柱として、それぞれの自由を尊重すると謳っています。それをいつの間にか、自由を柱にするような国にしてしまったのが、経済に現れているような気がしてなりません。
人類の教えをシンプルに表現すると、善が命で愛がすべてと表現できると思います。人類のイデオロギーにも見えます。すべてが善と愛の組み合わせで出来ていて、善を愛が開くことにより、繁栄するエネルギーが生み出されているのです。
そこにあるのは、宇宙の誕生であるビックバンです。それは偶然の衝突ではなく、絶大な圧倒的な力を有する神の御の手の中による融合であると思っています。
相対性理論において、宇宙は四次元の中に存在しています。すなわち四次元の中に三次元が存在しているのです。四次元には、絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーが存在しているのも事実です。四次元の中で、偶然の衝突があったなどということはあり得ないと考える方が自然に思えます。
絶大な圧倒的な力を有する神の言葉によると、四次元のゆがみと正物質と反物質の融合により、宇宙を誕生させたと言っています。男と女の存在も、ビックバン融合によって表わす宇宙の姿で、男の基本のコスモスは善であり、女の基本のコスモスは愛であるということは、人類のイデオロギーにもなっています。コスモスとはギリシャ哲学でいう秩序で、善とは厳しさであり、愛とは優しさとして、それぞれの形を表わしています。正物質と反物質の融合は、それぞれ相反するものが融合してビックバンとなりますが、それは男と女の姿でもあり、宇宙のエネルギーを生み出している源だと思います。また、キリスト教をはじめ、セックスには閉鎖的な宗教の教えが多いのですが、ビックバン融合という考え方に到達したことにより、セックスは解放されるとも言っています。
日本経済・アメリカ経済で同じ現象が起こっています。
日本経済のバブルの崩壊は、リゾート法によって、銀行が土地にお金を貸しまくったことが原因です。一億総不動産屋とも言われた時代で、土地であれば何でも値上がりした時代でした。金余り気味だった当時、お金を貸したがっていた銀行が、善のタガをはずしてしまったのです。
銀行の使命・役割は、お金が善であることを守ることにあります。善のタガが外れることにより、日本経済はいっぺんにバブル経済となります。自由を経済の柱にした状態となり、それは多額の不良債権を生み出し、またサラリーマンは一生働いてもマイホームが持てないという経済状態を作り出してしまいました。それがバブルの崩壊へとつながっていったのです。
アメリカ経済のサブプライムローン問題は、低所得者への住宅ローンが、多額の不良債権を生み出し、アメリカ経済の金融不安を作り出し、やはりそこには、銀行が善のタガをはずしたことにあります。また経済を繁栄させる為の、苦肉の策だったのかもしれません。
経済には、銀行のやっていることが反映していきます。銀行法を簡単に表現すると、「経済の健全な発展に寄与し、預金者等を守る。」というのが、銀行法です。銀行が銀行法を守り、人類の教えを大切にするならば、その姿は経済に反映していくと思います。
人類すべての教えの答えである善が命で愛がすべてという形は、経済にも当てはまります。
善が命とは、経済において、善が命である形を作らなければなりません。それは自由競争であり、銀行が使命・役割を果たすことにあります。
愛がすべてとは、経済活動そのものを指します。愛とは、人を大切に思う心です。家造りなどは、愛がすべてそのものです。
経済理論の根っこの根っこは自愛で、自分を心から愛せるという心が、国を繁栄させ人類を繁栄させていくのだと思います。そこに存在するのは、ベクトルなのだと私は思っています。イエス・キリストは神と認知されるまで300年かかります。ベクトルが絶対なのだと言ったのはイエス・キリストであり、みんなが認めるまで300年かかったと言えます。
そして善は愛が開いてくれます。善を愛が開くことによって、繁栄の源となるエネルギーを生み出してくれます。
それはビックバン融合であり、ビックバン融合が多ければ多いほど、人類は繁栄するエネルギーを生み出すことになります。
ケインズ経済理論の最終到達点は、お金のいらない社会に到達することにあります。今の経済は、その通過点にすぎないのです。
今の経済の現状は、経済ボリュウムが大きくなりすぎてしまい、今の経済システムでは維持出来なくなりつつあるのが、今の経済の姿だと思います。
アメリカの双子の赤字と日本の財政赤字。世界経済NO1とNO2の現状です。
文明の進化に伴って、経済の進化も可能になってきていると私は思います。
経済の繁栄には、文明の繁栄度があると思います。文明の繁栄において、経済の繁栄をレベル的に捉え、最大の繁栄度を引き出していくことが大切だと思います。そのためには、経済においてビックバン融合を沢山作るという作業が必要になります。経済における文化レベルを上げていくことが必要であり、文明の進化に伴って、経済全体の生活レベルを上げていくという考え方が必要だと思います。
また、コンピューター化・機械化の推進による効率の向上は、お金の帳尻を合わせるマイナス経済ではなく、国はある程度自由にお金を使えるプラス経済に進化していけると私は思っています。
金は天下の回りもの。人類の教えを大切にすることにより、人類は幸せへと向かっていくと思うのです。
憲法・法律は絶対であり、みんなの安心でもあります。それは国の繁栄のためのルールであり、そのルールを守ることでゲームが楽しくなります。日本の憲法は、良心の自由を保障し、法律で規定するのは、哲学・思想以外の自由は、すべて公共の福祉の上に成り立っています。
公共の福祉とは、みんなのためであり、みんなのためとは、人を大切にする心、みんなを大切にする心とは、愛であり、愛の教えとは、イエス・キリストを始め宗教の教えです。
結局、憲法・法律上で謳う人間の自由は、ベクトルを絶対としての自由です。
憲法・法律を簡単に表現すれば、愛を柱として、それぞれの自由を尊重するのが、日本の憲法・法律です。イエス・キリストを守っているのが日本の憲法・法律と言っても良いと思います。
すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配している。絶大な圧倒的な力を有する神に愛される努力をするのが人間の努力であり、その努力は人間として正しい生き方であり、その努力が理想社会を
構築していくのだと私は思います。
ベクトルの方向性
ベクトルとは、物理学・建築力学において
力の方向性を表します。ベクトル計算において、力の合力や力のバランスなどを数値によって表わすものです。
四次元において、一人一人にそれぞれのベクトルが働いています。それはOリングテストによって示され、ベクトルが人間の生体電子に作用することにより、三次元にベクトルが表示されていると考えています。Oリングテストとは、その人にとって、良いと思われる方向性を表わし、また、人にとって良くないと思われるものは否定されます。
例えば、たばこなど人間の健康にとって良くないとされるものは、拒否されます。医学的にOリングテストの研究をしている医学博士もおり、医学的研究も進んでいます。
四次元において、ベクトルとは進むべき方向性であり、その方向に進むことが、その人の人生にとっても最良と思われます。宗教的に考えれば、その人のミッションというものであり、ミッションとは地球での役割であり、そのミッションにおいて、その人の持って生まれた才能は、その人の運命星にあると思います。その運命星に前世での蓄積があり、持って生まれた才能とは、前世での蓄積であり、それがベクトルにより花開くものだと思っています。
四次元において、三次元の当たり前と思われることは、ベクトルが創り出していると考えています。その当たり前というものが、人類全体を進化させて行くのであると思っています。
統合失調症になって、幻覚や妄想と言われる部分はそこにあると考えています。統合失調症という症状は、ベクトルの創り出している、四次元と三次元の調和が崩れて発病するケースがほとんどのように見受けられます。陽性症状から陰性症状となって症状が安定するまで、四次元の中でもがくようになります。統合失調症の統合のためには、哲学の完成が大切であり、哲学が完成すると、症状は安定し霊感の強い状態になります。
四次元においてそれぞれのストーリーがありますが、それはミッションに関係するものだと思っています。統合失調症になり成功する人もいれば、失敗する人もいます。統合失調症になった人の中で、ノーベル賞受賞した数学者もいます。
聖書の中で、「主は言われる。わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようとするものではなく、それは平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与えようとするものである。エレミヤ書第29章11節
」と記されている。イエス・キリストの言葉であり、私のよく行く教会の今年の標語となっています。
ベクトルの指しているものは、その人にとってはその人の幸せあり、人類全体においては、壮大な夢とロマンであると、私は思っています。
人類は選ばれた生命体として、三次元を託され、全宇宙を永遠とする仕事をこなし、全宇宙に笑顔を満ち溢れさせるというネバーエンディンストーリー完成のため、進化し続けるものであるということが、今の地球に隠された謎となっていたのではないでしょうか?
UFOの謎、ナスカの地上絵の謎、ピラミッドの謎等、すべが壮大な夢とロマンを指しているように思えるのです。ベクトルの指すものを追いかけていく人類であって欲しいと思っているのは、私だけではないと思います。
ベクトルバランス
四次元と三次元のバランスのことである。
四次元と三次元のバランスが世の中に調和を生み出していると思っています。
相反する二つの事柄が互いに補い合って一つの事柄や世界を形成しているという思想を、中国の古代思想で陰陽思想と言いますが、日本でも昔から、陰陽思想の考え方は大事にされています。伊勢神宮に行くと、いろいろな神社がありますが、昼と夜に別れ、対をなしています。これも陰陽思想の現れであると思います。
韓国の国旗に描かれている太極図は、陰と陽という対立する気が絡み合い、相互作用を行うことで、すべての自然現象や人間活動が決まるという陰陽思想を表現しています。
日本の稲荷神社では、キツネが神の使いとされます。このキツネは山にいるキツネではなく、白狐(ビャッコ)といって目に見えない白いキツネを表現しています。昔からキツネに化かされたなどということもあります。
稲荷神社は、五穀豊穣を祈願していますが、
昔は天命を全うできますようにとの願いも込められています。甘い油揚げで包んだ稲荷ずしや、うどんのメニューでキツネうどんなどというものもあります。食べ物の名前から連想されることは、ベクトルという考え方を、日本古来から大切にしていたのではないかということです。自分の望んだものではないにしても、食べ物を食することが出来る。その考え方が理解出来て、一人前の大人として認められる。考え方の中で、生きるという人生のテーマを、ベクトルを表現して手助けしてくれているように感じるのです。
赤の色に表現されるものは、共産主義であったり、神や人類の教えと言ったものが、赤で表現されています。人間の血の色であり、そこには、人類の蓄積と言ったものが感じられます。
日本の国旗は、白地に赤い太陽で表します。この赤い太陽はベクトルを表わしているのではないかと思っています。日本は昔、神風が吹くと言われましたが、この神風の正体とはベクトルのことで、戦前日本では神の国であることの自負が強かったのですが、昔からベクトルを大切にしていたためのものではないかと考えています。
平原綾香のジュピターという歌がありますが、ジュピターとは「木星」のことで、ギリシャ神話では、全能の神ゼウスを指します。私はこの歌を聞くたび、ベクトルを表現している歌に聞こえます。興味ある方は、一度聞いてみてはいかがでしょうか。すごく素敵な歌です。
今年のセリーグは、巨人が13ゲーム大逆転して優勝を決めました。四次元の中で、絶大な圧倒的な力を有する神は、13ゲーム阪神に放されている時に、巨人を優勝させると私に告げたのです。それから、巨人の快進撃は始まり、奇跡の逆転優勝を決めました。
ベクトルの輝きであり、輝く神秘の力です。
私には、人類5千年の教えの正しさを、証明して見せてくれました。
四次元と三次元。人間の四次元を支配するものは人類の教えであり、三次元を支配するものは憲法・法律です。四次元においてベクトルとの関係があり、統合失調症が発病してベクトルに気づくまで私は時間がかかってしまいましたが、憲法・法律というものに関しても、四次元におけるベクトルとつながっているのです。
三次元に関しては、政治的なものであり、政治的なものとは、政治とは地球において天国を形成しようというものであり、それが政治の役割です。
四次元に関しては、宗教的なものであり、人類とは、人間とはという、人として大切にしなければならないことが大切になります。
四次元にはベクトルが存在し、ベクトルを絶対とする次元が五次元であり、さらにその高次元が天国であると思います。
政治と宗教の役割は別であり、憲法・法律でも、そのパワーは分散させます。
政治に利権を持たせ、宗教には実権と、その本来の役割を果たさせようというのが憲法・法律の謳うところです。
宗教法人法 総則 第一条第二項 「憲法で保障された宗教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基づいて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を制限すると解釈してはならない。」と謳っています。
私の、世の中に受けていた感じ方は全く逆で、政治は宗教を排除しなければなららいと言ったような感じさえ受けていましたが、最近になって、「宗教感を大切にしよう。」と謳おうとしています。
一番憲法・法律に忠実だったのは、公明党だったというようなことでもあります。
私は自由民主党ですが、政治にとって一番大切なものは哲学であり、人類の教えであると思っています。自由民主党は保守政党であり、人類の教えを保ち守るという政党であると私は思っています。
四次元の中に三次元は存在し、ベクトルの働きと、四次元と三次元のバランスを考えることが、統合失調症の症状の安定につながり、統合失調症を統合するにあったって大切なポイントにもなります。四次元と三次元の調和が、世の中全体の安定を創りだし、その安定の中で、人類の哲学を大事にすることによって、ゆっくりと壮大な夢とロマンに向かっていくのではないかと思っています。
相対性理論とは
四次元物理学・相対性理論
相対性理論とは、今から約100年前、有名な物理学者アインシュタインが理論化したものです。その当時、物理学界はニュートン物理学が、ほぼ完成に近づいていました。しかし、光と言うものに関して、ニュートン物理学では説明がつかなかったのです。アインシュタインは、光が絶対であるという理論に基づいて、相対性理論を完成させていきました。
私たちの生活の中で、相対性理論を実感できるということは普通ありません。時間と空間の関係があるので、高速移動したときに、時間の進み方が遅くなるというようなことは、普段の生活で体感できることはありません。
光の速度に近づかない限り、時間の進み方が遅くなるのを、感じることが難しいからです。
光の速度は、真空を伝わる場合、秒速約30万キロメートルです。私たち人類が作り上げた最も早いスピードの宇宙ロケットでも、その速さは秒速約20キロメートルであり、光の速さの一万5000分の一にすぎません。相対性理論の特性は、私たちが限りなく光に近づかない限り表れてきません。私たちの身の周りの環境では、四次元というものを感じることが少ないのです。
二種類の相対性理論
相対性理論には、特殊相対性理論と一般相対性理論の二種類あります。特殊相対性理論とは基礎の理論であり、一般相対性理論とは発展させ一般化させた理論です。
特殊相対性理論は、光の速さはどんな速度の人から見ても秒速30万キロメートルに見えるという一つの事実を元に作られています。
普通、車が同じ速度で並行して走った場合、お互いの車のスピードの差は感じられません。
しかし、光の速度になるとお互いに、秒速30万キロメートルに感じるのです。さまざまな実験からこの事実が得られ、光が絶対であるという相対性理論の基本理論はここからきています。この不思議な物理現象から、さまざまなことが解ってきました。
動くものは、時間の進み方が遅かったり、進行方向に対して物が縮んだり、動くものは、質量が増え、私たちの生活の中では見えないことが、四次元物理学として支配しているのです。四次元物理学とは宇宙物理学であり、相対性理論として、宇宙の真理と言えるものなのです。詳しく知りたい時は、末項の参考文献をお勧めします。
特殊相対性理論は、ニュートン物理学では見えなかった真理を次々と提示しました。時間と空間とは重なり合ったものであり、その四次元と三次元との関わりを理論化したものでもあるのです。相対性理論の中で、四次元の中に三次元がある事を、時空と表現します。
時間と空間を統一したのが、特殊相対性理論です。
一般相対性理論は特殊相対性理論で考慮されていなかった、重力の加わった場合を考慮されています。これにより、さらに相対性理論が一般化されています。
まず、重力が強い場所では、時空が強く曲がっています。そしてまがった時空の中では、まっすぐ進むはずの光の進路が曲げられてしまいます。あまりに強い領域では、いったんその中に入った光は領域の外に脱出できなくなり、中心の方向に引きずり込まれてしまいます。これが、光も何もかも吸い込んでしまうブラックホールです。
また、重力が強いと時間の進み方が遅くなります。ブラックホールの周囲では、時間が止まっていると考えられています。重力とは、質量を持つ物質に働く力です。
一般相対性理論は、質量を持つ物質が、周囲の時空に影響を与えることを明らかにしました。人間の体は質量を持っています。私たちの世界は、時間・空間・物質が密接に絡み合って成り立っているのです。
相対性理論の相対という意味
「相対」とは、もともとは哲学の用語で「他との関係で成立するもの」という意味です。
反対語は「絶対」であり、これは「他との関係や比較を必要としないもの」という意味を表します。「相対評価」「絶対評価」と言う言葉があります。相対評価は、たとえば同じクラスや同学年の他の人と比べてどんな成績だったか、という評価の方法です。偏差値も相対評価の一つです。一方、絶対評価は「テストで70点以上取ったものは全員合格」というように、他の人と比べずに決める評価です。
しかし、相対性理論の中で使われる相対と言う言葉には、もう一つ別の、しかし大事な意味があります。それは「どれも正しい」とか「どれも平等に価値がある」という意味です。逆に絶対とは「それだけが正しく、他は間違いである」という見方をします。
相対的な時間
時間とは、相対的なものである。つまりそれぞれの人に、それぞれの時間があるということです。
自分や相手が、止まっているのか、動いているのか。絶対的には決められません。でも、自分は動いていない、止まっているとみなした時、相手がどんな動きをしているのか、ということであれば分かります。それぞれがそれぞれに運動を把握する。これが相対的な運動の見方です。
同じことが、時間についても言えるのです。
誰が見ても同じ尺度、同じ進み方に見えるような、絶対的な時間は存在しないのです。あるのは相対的な時間、すなわちそれぞれの立場で捉える、それぞれの時間の尺度だけなのです。
光の常識
ニュートンが発見した運動法則を基礎として形成されたニュートン力学は、地球上の物体は勿論、宇宙の惑星の運行まで、その規則性を単純な方程式で表すことに成功しました。
その方程式を使えば、惑星の位置や、望遠鏡で発見されていない未知の惑星の存在を、予言することさえ出来たのです。ニュートン力学は自然に対する人間の英知の勝利であり、19世紀末には、もはや物理学は完成され、これ以上の進展はないとさえ思われるほどでした。
ところが、地平線の彼方に怪しい雲の影が見え始めました。「運動に絶対的なものはない」はずなのに、この世にただ一つ、絶対的な運動をするものが現れたのです。それが「光」です。
光の正体は、「粒であり波である」という、不思議なものです。これはある時は粒であり、ある時は波である、ということではありません。粒が波のように振動しているものでもありません。粒であり波であることは、ギジルとハイドのように、相反する性格が同居していることなのです。
ですが、19世紀末には、光は波と信じられていましたので、その媒質探しが、学者の中で最大の関心ごとでした。
未知の媒質は「エーテル」と名づけられ、多くの学者が血眼いなってそれを探そうとしました。しかし、どうしても見つかりませんでした。なぜ、エーテルが見つからないのか、これは光に関する大きな謎の一つでした。
そして、光に関するもうひとつの謎が「光は、どんな速度で運動するものが見ても、常に同じ速度で見える」という不思議な性質でした。運動は相対的に捉えられるはずなのに、光の速度は誰が見ても一定なのです。つまり光は絶対的な運動をするのです。
光の速度は絶対
アインシュタインは、時間は、私たちが考えるような絶対のものではない。見る人の立場によって、時間の尺度が伸びたり縮んだりする、また、ある人にとっての同時が、別の人にとっては同時でなくなったりする、それが時間の本当の性質なのだと理解しよう、そう思ったのです。
なぜなら、光の速度は絶対に一定だからです。アインシュタインにとっては、さまざまな実験で確認されたこの事実だけが、絶対的な基準でした。この基準を動かせないのならば、「時間の尺度は誰にとっても唯一絶対である」という従来の概念の方を否定しようと考え、完成されたのが相対性理論です。
特殊相対性理論では、「この世には、光の速度を超える速さで運動するものはない」ことを前提にしています。
光の速さは、秒速30万キロメートルというものすごいスピードですが、それでも有限の速度です。限りあるものを越えられないというのは、妙な話です。
こんな想像をしてみます。今、宇宙ロケットを発射しました。ロケットのエンジンは毎秒10メートルの割合でロケットを加速させる能力を持ちます。ロケットは膨大な量の燃料を積んでいて、一年間は十分加速できるとします。このまま加速を続けると、一年後のロケットの速度は、
毎秒10メートル×60秒×60分
×二四時間×三六五日
=秒速約三一万五000キロメートル
となって、計算上は光を超えるはずでが、どうしてそうならないのでしょうか。それはロケットの質量が増えるからです。
確かに、ロケットの速さはどんどん速くなります。ところが、速度が上がるにつれて、ロケットの質量も増えていくのです。
「動くものは質量が増える」ことも、特殊相対性理論が発見した真実です。
光の速さに近づくと、質量が増えていき、加速しにくくなります。特殊相対性理論の動いている物質の質量計算で、光の速さとなったとき、質量は無限大となります。質量が無限大となったとき、それ以上加速することはできず、光の速さを超えることは出来なくなるのです。
物質と時空
一般相対性理論の偉大さは、物質が周囲の時空を曲げることに築いたこと、すなわち、無関係と思われていた物質と時空とが、お互いに影響しあうものであることを見抜いたことでした。
つまり、物質が存在するということが、時空の曲がり方を決め、逆に、時空の曲がり方が、重力による物質の運動を決めるのです。
物質と時空とは、独立して存在するのではなく、相互に関係するものであり、いわば一つのものと言えるでしょう。太陽のような質量の大きい物質の周りでは、時空が曲がっています。
しかし、私たちの身の回りにある物質周辺では、時空はほとんど曲がっておらず、ほぼ平坦であるといえます。
特殊相対性理論は、それまで別々に扱われた時間と空間を、一つの時空として統一しました。今度の一般相対性理論は、それまで「中身」と「入れ物」として別々に扱われていた物質と時空を統一した、すなわち、時間・空間・物質をすべてまとめ上げた理論なのです。
相対性理論をピックアップして述べましたが、相対性理論として、その基本的理論は、光が絶対であること。それにより理論の構築がなされ、時間・空間・質量が統一され、それらのすべてが関わりあって作られていということです。
相対性理論の完成から、100年余りたっていますが、宇宙理論においてその確認のために100年費やされています。今では、カーナビゲーション等に応用され、現代技術の最先端でも応用されています。
四次元と三次元との関わりを、相対性理論では時空と表現しますが、四次元の中に三次元は存在します。宇宙は四次元の中に存在し、ビックバンは四次元で起こった出来事です。そして宇宙は、光を絶対として構築され、光を超えるものは、宇宙に存在しないのです。
統合失調症を考えた場合、四次元という霊的な世界へと入ります。四次元において、霊的なパワーの存在は、昔からよく語られるところでもあります。木には精霊が宿るであるとか、神社・仏閣には、霊的なパワーが集中しているという話もよく聞きます。
相対性理論で、時間と空間と質量はすべて関わりあって統合されていることを述べましが、四次元にはベクトルというものが存在しています。三次元における光とは、ベクトルであり絶大な圧倒的な力を有する神が、三次元において姿を変えたものなのではないかと思えるのです。
近代文明は三次元に固執することではなく、超近代文明であれば、四次元に入っていかなければならならず、そしてそこには、ベクトルが存在しているのです。
統合失調症を三次元だけで説明しようとしても、それは不可能です。それはニュートン力学ですべて説明しようとして、光の存在に気づき、相対性理論が完成されたのと似ています。四次元には確かに、ベクトルが存在し、ベクトルが絶対となって、四次元が安定しています。
日本のことわざで、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということわざがありますが、これは昔からベクトルを大切にしている国であることから、生まれたことわざではないかと思っています。
ベクトルとは光です。ベクトルとは、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配しているということです。ベクトルと表現したのは、その進むべき方向にそれぞれの幸せ、人類全体から見れば、壮大な夢とロマンがあると思われるからです。
人類が5000年かけて築き上げてきた教えであり、その教えを守ることにより、人類の幸せがあると思います。人類の哲学を大切にすることが大事であると思います。
確かに経済の永遠性なくして、人類の永遠の命は守れません。しかし、その経済の考え方の中で、人類の教えを大切にしていくことが大事なのではないかと思います。
四次元におけるベクトルの存在が、人類を導いてくれるものであるとも思っています。そこには絶大な圧倒的な力を有する神と人類・人間との関係があり、人類・人間の善が命であるならば、絶大な圧倒的な力を有する神の愛がすべてです。またその善に対する努力は、神秘の力となって愛が開いてくれます。
近代文明があまりにも三次元だけにこだわるのは、自分で自分の前途を閉ざしていることと同じことのように感じます。四次元だけに限らず、ベクトルというものに対して素直な考え方で受け入れることが大切なことであると思います。
四次元とは心のことでもあり、特に宗教的なものは四次元との関わりが深いものであると私は思っています。人類が5000年かけて築き上げてきた教えより、正しい教えは何もないのです。
相対性理論から、物理学的にも四次元との関わりは明らかであると言えます。
四次元におけるベクトルの存在は、宇宙は光が絶対として出来上がっていることと同じことだと思います。光とはベクトルであり、それが人類を導く光であると私は思います。それは永遠の悟りでもあります。
光のネットワーク
光のネットワークとは、魂の会話である。統合失調症の症状が、高校時代に読んだ平井和正の「幻魔大戦」に出てくる光のネットワークに良く似ていることから、そのネーミングになりました。光のネットワークが地球を覆い人類を救うと言ったのは、主人公の東丈です。
統合失調症の症状の中で、テレパシーであるとか超能力であるとかさまざまな表現がされているようです。
この症状は、仏教芸術であるマンダラの中心におかれ、すべての魂と会話している感覚になるというのがこの症状となっています。光のネットワークの世界は、その世界のストーリーがあり、その世界を四次元ストーリーと呼んでいますが、思考の世界でストーリーの中に身を置くようになります。
光のネットワークで様々人と会話するようになりますが、それぞれの魂はその人の性格そのものであり、信用できる人であればあるほど、光のネットワークの世界が現実のものとなるという事実もあり、自分の受ける感覚としては、すべてが現実であるという感覚の方が精神的に安定しています。
また、仏とも会話するようになります。仏たちと会話するのも、また、楽しいものですが、絶大な圧倒的力を有する神の手の中にないテレパシーなどは、使い物にならないというのも私の感想です。光のネットワークは、全宇宙意識の中で、ベクトルによりコントロールされています。
心を哲学すると「心の中心は全宇宙意識であり、全宇宙意識の中心が天国であり、その中心が絶大な圧倒的な力を有する神である。
魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが魂の本質。それぞれの魂は絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、サムスィンググレイトである。命はビックバンであり、その命に魂が宿る。一人一人が地球であり、全宇宙意識は四次元に存在する。」というのが考え方が心に関する哲学です。
光のネットワークのパワーエネルギーは絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーだと考えています。Oリングテストの示すものは、人類には絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーが働いているということであり、四次元におけるベクトルの存在を感じます。
統合失調症の発病は絶大な圧倒的な力を有する神の救いだと私は思っています。
統合失調症の症状は、善に対して努力していかなければ、その症状は改善しません。絶大な圧倒的な力を有する神は、統合失調症の症状の中で、悪を潰すために一生懸命になってくれます。悪を潰すのは正義であり、人類を守ることは、コスモスを守ることであり、善を守ることです。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、決して自由では成り立たちません。好きな事をするのが、自由であるが、その根っこに善に対する努力があるのが、人間の自由です。その努力が自分の人生を改善させると思っています。
光のネットワークの世界において、絶大な圧倒的な力を有する神を含め、いろいろな人と会話するようになりますが、絶大な圧倒的な力を有する神と和解することが、統合失調症を統合するのに必要であり、光のネットワークの中で誰の発言かも教えてもらえます。マンダラの中心には発言も集中するので、誰の発言なのか聞くのも大切なことです。
何でこういう病気になってしまったのだろうであるとか、行いが悪かったのだろうかとかいろいろ考えた時期もありましたが、統合失調症を統合すると、霊感が強くなった自分と、天国の世界が待っています。
絶大な圧倒的な力を有する神との関係に人間の一番自然な姿があります。絶大な圧倒的な力を有する神を愛することが、自分を幸せにする一番の近道であるということを、ここで述べておきたいと思います。
量子論とは
ミクロの世界・量子論
量子論は「ミクロの世界の不思議なルールを解明した理論」です。相対性理論も、時間の進み方が遅くなったり空間が曲がったりという、自然界の不思議な真理を明らかにしました。同じように、ミクロの世界において私たちの常識はまったく通用しないことが量子論により解ったのです。
ミクロの世界とは、およそ一ミリメートルの1000万分の1より小さな世界です。これは物質を構成している原子よりさらに小さな世界なのです。
私たちが普段目にしている物質は、マクロの世界の物質です。マクロの世界の物質には私たちの常識が通用します。これに対してミクロの物質、具体的には電子などの素粒子と呼ばれる物質は、マクロの物質とはまったく
異なる、奇妙で常識はずれの性質を持っていることが量子論によって明らかになったのです。
現代物理学は、二十世紀の初めに生まれた二つの理論に支えられ、飛躍的に発展してきました。その一つが相対性理論で、もう一つが量子論です。でも相対性理論やアインシュタインがあまりにも有名なのに比べて、量子論という名前は確かに一般にさほど知られていません。でも量子論は、ある意味で相対性理論よりももっと革命的な理論であり、また実用性に富んだ理論なのです。
実際、私たちの身の回りには、量子論から生まれたものが溢れています。現在の私たちの生活は、パソコンや携帯電話を始めとするハイテク機器なしには成り立ちません。これらの製品の心臓であるLSIなどの半導体部品の原理は量子論の上に成り立っています。
つまり私たちは日々、量子論の恩恵にあずかっているわけです。それから近年話題になっているナノテクノロジーは、量子論を応用したミクロの世界の最新技術のことです。
相対性理論は、アインシュタインという天才がほぼ独力で作り上げました。一方、量子論は何人もの天才物理学者がアイデアを出し合って作られたものです。でもあえて一人名前を挙げるなら、デンマークの物理学者ボーアになるかもしれません。ボーアは量子論の基礎を築き、また、多くの弟子たちを育て量子論が完成に向かうのを助けたのです。
量子論の原理
電子や素粒子のミクロの世界の理論ですが、電子や素粒子の性格は、見ている時はその位置にあるが、目をそらすとその位置から無くなってしまうという性格があります。Aという位置にあったものを、見つめている時にはその位置に存在するが、目をそらすと消えて無くなってしまいます。また、存在を確認しようとするときは、だいたいこのあたりというぐらいしか推測できません。「確率の波」
と言いますが、無秩序な法則でしか捉える事が出来ないものとなっています。無秩序であることが自然界の法則であるということが、量子論の中にはありますが、この無秩序の法則というものが、アインシュタインはあまり好きになれませんでした。
電子・素粒子は、粒であり波であるということが、量子論の原理になっていまが、これは、光と同じで、粒であって波であるという二つの性質を持つのです。
私たちの日常生活の中で、粒であって波であるというような物質は存在しません。
確認している時は、粒になっている存在であるが、目を離すと波の存在になってしまうのが、電子であり素粒子です。よってさらに確認するとき、だいたいの推測でしか捉える事が出来ず、量子論の考え方は、その無秩序な法則を定理としています。
量子論の持つ相補性
量子論が示す物質観・自然観の特徴を、ボーアは相補性という言葉で説明しました。相補性とは、相反する二つの事物が互いに補い合って一つの事物や世界を形成しているという考え方です。たとえば、物質は粒と波という、まったく異なる性質を併せ持っています。
これが相補性です。それから「位置を特定すると速度が曖昧になり、速度を特定すると位置が曖昧になる」という不確定性原理も相補性なのです。
中国の古代思想である陰陽思想。または四次元と三次元の考え方も、この相補性かとまったく同じ考え方であり、宇宙の起源が、正物質と反物質の融合により誕生したということの表れでもあり、それを証明する一つの事柄なのかも知れません。
量子論による無とは
量子論は哲学的概念も強く、「絶対とされるものはない」であるとか、「相反するものが補い合う」というような、思想的に興味深い理論となっている。
量子論によると、本当の意味での「真空」というものは存在しないのです。つい最近、宇宙における「ダークマター」という存在が、話題になっています。ダークマターとは目に見えない物質で、宇宙の85パーセントを占めています。
量子論は「何もない」という状態を許さないのです。概念的または哲学的な意味でのゼロや無という状態は物理的にありえないということも、量子論が明らかにした真実の一つなのです。
光のネットワークと量子論
光のネットワークとは、魂の会話であることは述べましたが、四次元において、すべてつながっているという事を自覚するようになります。
俗にいう霊感が強いという状態ですが、魂は現に全宇宙意識に存在していることを、昔流に表現すれば黄泉の国にいるという表現になるでしょう。仏教芸術であるマンダラというのも、私流に光のネットワークを表す一つの表現方法ですが、量子論における、ミクロの世界もその表現方法の一つになります。
会話しようとする魂に意識を向けた状態は、電子を確認しようとした状態とよく似ており、また、会話していた魂から意識をそらした状態も、電子から意識をそらした状態とよく似ています。
電子・素粒子を、粒であり波でもあると、量子論はその性質を述べたが、光のネットワークにおける魂の状態も、まったく同じです。
光のネットワークは、ベクトルがコントロールしており、四次元における、当たり前という感覚はベクトルが創り出し、その当たり前が人類を進化させているように感じています。
四次元は人類の教えが支配して、三次元は憲法・法律が支配している。そのバランスが、世の中の調和を生み出し、その調和の中で、壮大な夢とロマンに向かっているのが、人類の姿であると私には思えます。
陰陽思想という中国の古代思想を紹介しましたが、四次元の世界と三次元の世界というまったく別の二つの世界が、バランスを取ることにより、社会全体の調和を生み出し、社会の安定が生み出されていると私は感じています。
量子論と相対性理論は二十世紀の科学を動かした両輪である偉大な理論です。ところがこの二つの理論は相性が悪く、両者を同時に成り立たせようとすると様々な矛盾が生じてしまうことが分かっています。
たとえば量子論では物質の状態を一つに確定できず、電子がここに現れる確率は40パーセント、あそこに現れる確率は30パーセント・・・・・などと考えます。これらのすべての確立を合計すれば常に100パーセントになっていて、これを「確率が保存する」と言います。ところが一般相対性理論を量子論的に考えようとすると、最初は確率の合計が100パーセントだったのに、しばらくすると合計が60パーセントに変わったりして、確率が保存しないのです。それを避けようとすると、今度は「マイナスの確率」という妙なものが現れたりします。
ともに自然の真理を表わしているはずの二つの理論がなぜ並び立たないのか、非常に不思議です。
相対性理論か量子論のどちらか一方に、あるいは両方に不備があるのかもしれません。または、アインシュタインは終世量子論に納得しませんでした。
量子論と相対性理論(一般相対性理論)とを融合させた理論を量子重力理論と言います。
量子重力理論の完成は、この世のすべての現象を統一的な法則で説明しようとする究極の理論、いわゆる「超大統一理論」を作る上で
重要なポイントだと考えられています。
光の悟り
相対性理論と量子論とが、相性が悪いということは述べましたが、統合失調症の統合の中で、ベクトルとは光であり、光のネットワークにおける魂の会話・全宇宙意識の姿は量子論における電子・素粒子の姿に良く似ているということを述べました。全宇宙意識にベクトルは作用し、また光のネットワークをコントロールしています。
そのことを相対性理論と量子論との関係に置き換えれば、電子・素粒子の法則の中には、光が作用していることになります。
一人の人間の姿に、宇宙の縮図があると私は思います。
四次元において、ベクトルと魂・全宇宙意識の関係があるならば、宇宙においは光が電子に作用しているというのが、私の推測になります。
その考え方から、超大統一理論が生まれるのではないでしょうか。
また、一人の人間の姿に、宇宙の縮図があると言いましたが、人間に質量があれば時空(四次元の中に三次元が存在しているということ)の概念が人間にも働いているということになります。そしてそこにはベクトルが絶対として存在するのです。心における超大統一理論は全宇宙意識の永遠の輝きにも大切です。
絶大な圧倒的な力を有する神の言葉の中から、宇宙は、四次元のゆがみと正物質と反物質の融合により、宇宙を誕生させたと絶大な圧倒的な力を有する神が告げていました。
四次元とは、縦・横・高さ・時間が垂直に交わる空間です。正物質と反物質が偶然衝突するなどは、あり得ないことです。
ビックバン融合と言っていますが、絶大な圧倒的な力を有する神が融合させたという方が、自然な考えに思えます。四次元には確かに、ベクトルが存在しています。
相対性理論から、宇宙は光が絶対となって成り立っています。四次元はベクトルが絶対となります。正物質と反物質の融合による宇宙の誕生は、四次元と三次元のバランスを生み出し、それが中国古代思想である陰陽思想につながっているのだと感じています。
これらのことから、四次元に存在するベクトルが、宇宙に垂直に交わっていることを感じます。宇宙は光が絶対・ベクトルが絶対として出来ているのは、四次元のゆがみと表現しましたが、それは五次元において、絶大な圧倒的な力を有する神が、光・ベクトルを絶対として宇宙を誕生させたという方が自然に感じます。
そしてそこには、人類5千年の教えの姿があるのです。
人類が5千年かけて築き上げてきた、人類5千年の教えは、すべて正しいのです。
光の悟りとは、人類5千年の教えであり、人類の五千年の歩みです。5次元まで行き着いて、人類の5千年の教えの奥深さを感じます。
壮大な夢とロマンに向かう人類にとって、人類の教えほど大切なものはなく、それが人類の永遠の平和へと導かれるのではないのでしょうか。
人類2000年キーワード
(人類絶対キーワード)
ベクトルが絶対であること。
ベクトルが人類の命であり、
人類は人類であって人類である。
人類には永遠の命が与えられる。
人類の5千年の教えを
大切にすることにより、
人類は壮大な夢とロマンに導かれる。
参考文献
佐藤勝彦著
相対性理論がみるみるわかる本
佐藤勝彦著
団塊の世代「黄金の十年」が始まる
堺屋太一著
「統合失調症統合の軌跡」 光の戦士論 改訂版
統合失調症統合の軌跡 高橋 章
プロローグ
統合失調症。精神分裂病と呼ばれたのは、一昔前のことです。精神病の一角を占め、躁うつ病と並んで、二大精神病と呼ばます。発生率は、100人に2~3人と言われ、その原因は、未だに解明されていません。発病の原因は、就職、結婚など、人生の転機に発病する場合が多く、思春期の終わりから、発病する率が高いと言われています。
人類の歴史上登場するのは、西暦約500年のギリシャ時代と言われ、はじめて人類の文献上に記されたといわれています。
キリスト教時代には、魔女狩りの対象にもなり、人類の歴史上、その関わりも長ものがあります。
統合失調症の統合として、現代の精神医学と宗教(哲学)とのかかわり、科学文明社会における宇宙とのかかわり、現代社における政治、経済、文化、すべてが統合していかなければ、その症状は軽減しません。
その現象が、統合失調症の症状の中で、繰り返されるわけであるが、人類の教え、そして現代社会を支配している憲法・法律、その中で生きていく私たち一人一人の心の大切さ、この地球に誕生し、一人一人の命の放つ輝き、一人一人の人生の尊さを、みんなで守ることが、地球を守ることであり、地球を守ることが、全宇宙を守ることになると思います。
この統合失調症という病気から、地球における人間という存在が、特別な存在であり、一人一人が神々となるべく誕生する存在なのだということを、お伝え出来れば幸いです。
私が発病してから、長く主治医を努めていただいている、東城クリニックの東城先生には、心より感謝いたします。
第一章 哲学
ビック・バン
宇宙の起源です。最新の宇宙理論では、正物質と反物質の融合することでインフレーションを起こし、ビック・バンを起こしたと考えられています。そして、三次元から見ると、宇宙は正物質が支配していきます。
人類が、絶対神と呼ぶのは、宇宙の創造主であり、人間を創り上げたのが神(絶対神)とされます。
日本では天照大神が、日本の創造主であり、伊勢神宮で祭られています。
イスラム教の絶対神アラーは、戦う神とされ、マホメットやイエス・キリストを預言者と呼びます。
絶対神であり絶大な圧倒的な力を有する神は、我々人類が神と呼ぶ存在です。
統合失調症の症状は、悪との闘いであり、悪を倒して、はじめて症状が落ち着くところがあります。悪とは破壊であり、心を破壊しようとする悪との戦いが、統合失調症の症状でもあります。
「神のパワーなくして、成功は何もない。」ということが、現実の姿のように私には見えます。絶対神と、宇宙と、人間との関係が、そこには存在すると思います。
全宇宙意識
全宇宙の魂の集合体です。御仏の世界であり、仏教の説く世界です。
全宇宙意識は四次元に存在し、それぞれの魂は、現に全宇宙意識に存在していると思います。全宇宙意識の中心が天国であり、良い人は天国に帰れると、すべての宗教が教えます。
天国とは、理想社会構築の実現を目指し、楽しいところで、魂の安らぎの場であり、全宇宙意識に、秩序をもたらしているのが天国であると思います。全宇宙意識を、よく表しているのが、仏教芸術のマンダラであり、天国には、神々たちがたくさん居ます。
統合失調症では、魂と魂の会話になっていきます。光のネットワークと呼んでいますが、絶大な圧倒的な力を有する神のコントロールによって、魂と魂の会話をするようになります。光のネットワークが現実となっていくので、光のネットワークを無視出来なくなります。現実と光のネットワークの関係は、すべて現実であり、「すべての真理は現実と共にある。」ということです。
光のネットワークの世界は、幻魔大戦やスターウォーズの世界と同じで、光のネットワークと名づけたのも、幻魔大戦からです。人類は光のネットワークを使って、地球を幻魔から守るのだと、主人公の東丈が説きますが、統合失調症の症状は、現実の世界とリンクしながら、光のネットワークが展開していきます。仏になった人たちも数多く登場します。
人それぞれの魂は、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、この地球に誕生した命に魂が宿る。サムスィンググレイトと呼ばれます。それぞれの魂の輝きが、全宇宙意識の輝きを創りあげるのであり、永遠の命とは、全宇宙意識の永遠の輝きであって、それぞれの魂の輝きを保つことが、永遠の命を手に入れることになるのだと思います。
善と悪
何を持ってして善なのか。善の形とは。
人間は三位一体であるというのは、キリスト教の教えます。認知、精神、愛ですが、簡単に言い表せば、正義、良心、愛にあたると思います。頭、心、セックス。人間の持つ三つのパワーであり、いずれにしても、人間にとって気持ちのよいものです。人間を肯定したとき、その三つが揃ったものが善だと思います。
人間社会というものにおいて、人間社会の長寿と繁栄を考えれば、人間を否定することは出来ません。
正義、良心、愛、三つ揃える作業が良識であり、絶対の良識を考えれば、神々の長寿と繁栄が、絶対の良識であると言えます。イエス・キリストの説いた愛とは、良心のことであることは、ここで述べておきたいと思います。
善の形は、座禅の形。
社会生活を営む上で、大事なことは自己責任ということが言えます。魂が善の形を重んじることで、社会生活における立派な人間になることが出来る。人間は魂に人類の教えを刻み込んで進化し続けていくのだと思います。
悪とは何なのか。
悪とは、善の破壊であり、悪がはびこれば、人間は破壊され、人間社会は崩壊してしまいます。
心には、善と善に対する破壊があり、そのすべてを肯定し、自由にすれば人間社会は何でもうまく良くなどということはありえないという事は、バブル崩壊で経験済みであり、人類はその歴史で幾度となく経験していることだと思います。
人類の問題の根っこには、必ず人間のおごりがあると思います。人間としてのおごりの傷口が広がっていくと、それは悪に代わっていきます。善は生であり、悪は死だと思います。
人間社会を考えた時に、社会の創り方において、「人間のおごりは出来るだけなくしていきましょう。その中で多少の人間のおごりは目をつぶって、愛で結ばれましょう。」という考え方が大事であると思います。
これと同じことが、統合失調症の中で、展開されます。
魂の輝きは、善の輝きであり、善の輝きを保つためには、良識と言うものが大事になるわけで、それが魂本来の輝きを保ち、人間は心地よく感じます。善とは人類の教えであり、悪とはその破壊であると思います。
人間社会の羅針盤は、けして自由ではなく、善であることに気持ちよいと感ずることが、人類の羅針盤とならなければならないと思います。
善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ、理想社会を構築していくのだと思います。
人類の答え
人類のすべての教えの答えは、「善が命であり、愛がすべて。」であるとだと思います。
キリスト教、仏教、イスラム教、儒教、人類のすべての教えの導くものは、善が命であり、愛がすべてであるということだと思います。
すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、絶大な圧倒的な力を有する神が、すべてを完全に支配している。
日本の現憲法でも、自由がすべてとは謳っていません。憲法が謳うのは、愛がすべてであり、みんな好きなことをして、楽しみなさいと謳っていると感じます。
憲法では良心の自由を保障しますが、良心とは何なのか?
簡単に言えば、良い心ですが、良い心とは結局宗教にあると思います。
キリスト教は、愛の宗教と呼ばれますが、イエス・キリストは人類の愛を守ったから、愛のコスモスとなり、人類から一番愛される人間としての神となったのだと思います。
イエス・キリストの説いた愛を、簡単に言えば、思いやり・人を大切に思う心(ときめき)が愛だと思います。
セックスに関しては、三位一体における愛ですが、三位一体から考えれば、心とセックスが結びついたものが、愛の感情となると思います。愛がすべてであって、愛の感情がすべてではない。愛の感情を考えれば、正しい愛の感情もあれば、まちがった愛の感情もあります。
統合失調症の発病は、人類の答えに関係していると思っています。統合失調症の症状を改善させるものは、善と愛です。善を命とし、愛を尊び、愛を守り、愛のために戦い、愛を貫くことで、統合失調症の症状は改善します。
愛がすべてであるというその愛は、良心の愛であり、人間のエネルギーになっていると思います。
人の善に対する努力は、愛がまとめます。
天の力は愛の力、愛の力は天の力。
魂・命
命とは、ビック・バンであり、その命に魂が宿る。ひとつの命は、ひとつの地球であり、ひとつの生命の尊さが、宇宙を創り上げていると思います。
それぞれの魂は、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、その魂は地球に誕生し、永遠に愛し合う伴侶を見つけることで、魂の永遠の喜びとなると思います。
人間が地球で生きていくうえで、一番大事なものは魂であり、二番目に命、三番目にお金になると思います。
魂が自分自身であり、それぞれの性格と同じで、誰一人にしてもまったく同じ人はいません。輪廻しながら造り上げられるものであると思います。
統合失調症の症状の中で悪の力は、魂を破壊しようとします。悪の力との戦いの中で、自分の哲学が、完成していくと言ってもよいと思います。
絶大な圧倒的な力を有する神とは、絶対の正義であり、絶対の良心であり、絶対の愛である。人類が神と呼ぶ絶対神である。一人の人間が絶対神となることは出来ないが、一人ひとりがサムスィンググレイトであり、それぞれの魂が、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、息子であり娘であると思います。
人類の羅針盤は、魂が気持ち良いと感じることが、人類の羅針盤であり、けして、自由だけではないと思います。
魂が永遠であることが、人類の本質であり、それぞれの魂は、現に全宇宙意識に存在しています。全宇宙意識の永遠の輝きが、人類の命を永遠とするのだと思います。宇宙に善を撒く種となり、宇宙の希望となるべく、受け継ぎ、人類は進化しなければならないと思います。
地球は、希望の星です。
心
心の中心は、全宇宙意識であり、その中心が天国であり、その中心が、絶大な圧倒的な力を有する神である。魂は現に、全宇宙意識に存在し、その魂が、永遠であることが人類の本質でだと思います。サムスィンググレイトであり、絶大な圧倒的な力を有する神が、すべてを完全に支配しています。
善の煩悩の正しさは、理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。悪の煩悩をつぶすことは、人類の永遠の作業だと思います。地球環境問題を考えるとそのままあてはまると思います。
すべては、絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべての人類の教えの答えは、善が命であり愛がすべてであると思います。
「我々人類は、絶大な圧倒的な力を有する神の世界を、構築するために地球に存在す。それが人類であり、神々である。」
心の善と悪とは、それは生と死であり、善に対する努力は人類を進化させ、理想社会を構築していきます。
自由とは良識の基に成り立ち、それは心においても同じであって、それで初めて全宇宙意識の輝きが永遠となり、その永遠の輝きが、人類の命を永遠とするのだと思います。
幸せは、心の平和であり、それがすべての平和の源であると思います。
人類の羅針盤は、魂が気持ちよいと感ずることが、人類の羅針盤であり、けして自由だけではないと思います。
人間みんな心が大事。神々の言うことはいつも同じであり、それではじめて人類が一つとなれるのだと思います
地球で生きていく上で、一番大事なものは魂であり、二番目に命、三番目にお金であると思います。
統合失調症の症状は、光のネットワークにおいて、善の煩悩と悪の煩悩の戦いと言っても良いと思います。光のネットワークは、現実とリンクするので、哲学の完成が、統合失調症の症状を安定させていくことになります。
男と女
人間、三位一体。キリスト教の教えで、認知、精神、愛を表します。簡単にいえば、正義、良心、愛であると思います。
男と女では、大事にしなければならない順番が違う。男は、一番目に良心、二番目に正義、三番目に愛となり、女は一番目に良心、二番目に愛、三番目に正義となると思います。男と女は同じで違うのです。
男と女は、体の造りも違えば、地球での役割も違います。男は力が強く、女は子を産みます。正義は剣、愛は盾であると思います。男と女は、人間社会構成の基本であり、地球の楽しさの基本でもあります。男と女の仲の良いことが、世の中が円満になる秘訣でもあり、夫婦はその基本の基本だと思います。
人類の教えすべてが女性には、愛(イエス・キリストの説いた愛)であって欲しいと説き、その教えは厳しい。男は善でなければならないと、人類の教えもイデオロギーもそう伝えます。男と女の関係は、善が命であり愛がすべてです。そして絶対の愛とは絶大な圧倒的な力を有する神の愛であると思います。
正物質と反物質の融合によりビック・バンして宇宙が誕生したとされます。ある意味で善と愛とは相反するものです。善は厳しさであり、愛は優しさと表現できると思います。男と女のイデオロギー的な考え方や、男と女に対する社会的秩序においても、善と愛の関係が成り立っていると思います。正と反という表現は、表と裏という表現でも言い表すことが出来ると思います。
男と女は、善と愛となることが幸せとなる処方箋だと思います。
男と女が結ばれるということにおいて、その幸せにお金が比例するというのもまた現実で、結婚にはその愛を支える経済面も大事でです。しかし、お金がすべてではないと思います。
セックスの喜びは、宇宙の誕生の喜びであり、セックス・結婚というものは神聖なものであるというのが、人類の教えでもあります。
魂の永遠の喜びは、永遠に愛し合う伴侶を見つけることであり、この地球に誕生し、永遠に愛し合う伴侶を見つけ、天国に帰ってからも愛し合うことが、魂の永遠の喜びとなると思います。
人類は受け継ぐことにより進歩します。子供を作り、育てることは、二人の愛の分身が、地球で二人の愛をつなぎ、人類を進化させていくのだと思います。
人生の喜びは、愛と感動であり、その喜びを味わうために人生を送ると言っても過言ではありません。人生の宝物であり、その喜びを広げていくことも、人生にとって大切なことだと思います。
統合失調症では、男と女に関しては、愛と自由が常にテーマになりますが、愛がすべてであり、自由がすべてではない。それは、人類の教えすべてが導く答えでもあります。
人類の進化
人間としての一番の幸せは、自分の思い通りの人生を歩むことだと思います。それには人類の教えを大事にするというルールが存在します。人間社会の理想は孔子の教えから言えば仁義礼智晋です。仁はおもいやり、義は目上の人を敬う心、礼は礼儀、智は知識、晋は友達。大事にしなければならない順番です。
今の世の中は、憲法・法律が支配しています。良識の支配であり、宗教戦争という過程の中で、最良とされたのが憲法・法律が支配するという世の中です。
憲法・法律が心を支配することにより、心はコールタールにはなりません。憲法・法律の中には、自由と言う言葉が踊ります。あたかも自由がすべてであるかのような誤解が生まれます。しかし、地球に住む生命体の生態系は、すべて善に対する努力で成り立っています。すべての主義・主張は、善に対する努力で成り立ち、けして自由では成り立ちません。自由は良識の基に成り立ち、それは心においても同じであり、善と悪は、生と死であり、善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ理想社会を構築すると思います。
統合失調症の症状で展開される光のネットワークは、「自由とは良識の基に成り立ち、それは心においても同じである。」と言う一言に尽きるということも出来ると思います。
人類が大事にしなければならないのは、良識の基に成り立つ自由だと思います。心には善と悪があり、自由にすれば何でもうまくいくなどということは、けしてないのです。地球に住む生命体の生態系が示すように、すべて善に対する努力で成り立っています。
憲法・法律が謳うのは、「愛がすべてであり、みんな好きなことをして楽しみなさい。」と謳っていると思います。人間、自分の好きなことをしているのが一番楽しい。その好きなことをする根っこに善に対する努力があるのが人間としての自由だと思います。
人類の進化・人類の永遠性には四次元がキーワードになるように私には思えます。
人類の未来
現代社会は、憲法・法律が支配していますが、それは良識の支配であり、人類の長寿と繁栄が絶対であるならば、絶対の良識は、神々の長寿と繁栄にあると思います。絶大な圧倒的な力を有する神の愛(善と愛の一つになったもの)に対する表現力が良識であり、肝心な処を忘れた良識などというものはないと思います。
統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになります。神との会話ですが、神と会話するのが自然になります。神は常に正しい道を示してくれます。人間の一番自然な姿は、神と人間との関係にあり、すべて神の御手の中にあると思います。
Oリングテストは、光のネットワークにリンクします。光のネットワークは、現実にもリンクしますが、すべてが神の愛で成り立っていることを実感します。人類には絶大な圧倒的な力を有する神のパワーが働いていることを実感するようになります。
「人間として人として一番大事なものは良心であり、人は愛する人のために生きていく。そして一番上に正義が来る。心の中心は全宇宙意識であり、その中心が天国であり、その中心が、絶大な圧倒的な力を有する神である。魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが人類の本質であり、それぞれの魂は神の一部である。サムスィンググレイトであり、すべてにおいて絶対なのは、絶対の良識である。
人類のすべての教えの答えは、善が命であり愛がすべてであり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っている。」
神仏を信じ、哲学を大事にすることは、人類にとって大切なことです。現実の成功は、神のパワーなくして成功は何もないと感じています。また努力が肝心であり、人間は決しておごってはならないと思います。
みんな一緒に生きていくことが、楽しいという世の中を構築すること、愛と感動に満ち溢れる世の中を構築すること、それが地球のグローバル化だと思います。
自由とは、良識の基に成り立ち、それは心においても同じ。それではじめて全宇宙意識の輝きが永遠となり、その永遠の輝きが人類の命を永遠とすると思います。
全宇宙を永遠としてしまうような、壮大な夢とロマンが、人類には秘められているように思います。
第二章 政治
天皇陛下は日本国民統合の象徴であると、日本の憲法は謳っています。
日本と言う国は、やはり両陛下がいらっしゃるから、これだけの良識を保っていると思います。。
現在の憲法が制定されるまで、天皇陛下は日本の国の人間としての神であり、それまでの日本は神の国であると国民が信じていました。
現在の憲法となり 天皇陛下と皇后陛下は人の輪のトップとしての存在に居られます。
第二次世界大戦が終結し、焼け野原となった日本をおまわりになり、傷ついた日本人の心の支えとなられたのが昭和天皇です。
私の場合、統合失調症の統合において、天皇陛下と皇后陛下のお力を借りて統合されていきました。天皇陛下と皇后陛下の存在なしに、統合失調症の統合は語れなかったと思います。
天皇陛下は人の輪のトップとしての善であり、皇后陛下は人のトップとしての愛であると思います。お二人が人の輪のトップとなり、人の輪に秩序をもたらしていると思います。お二人のお力が、世界的においても、日本の国内においても平和と安定をもたらすために多大な貢献をなさっていると思います。お二人のお姿が善のあり方と、愛のあり方を国民に示しておられると私は思っています。
天皇陛下のお名前の仁は、孔子の理想であり、人としての理想とされます。思いやりと解され、「善は善として善を処する事をせず、悪は悪として悪を滅することをせず、仁を持て人を愛し、憎むこともある。」というのが仁です。帝王学でもありますが、仏の心にも通じていくものです。生きて仏になられるのは、天皇陛下と皇后陛下であり、政治家には政治家の仕事があります。仏になるべく善の形の修行をしているのが、お坊さんです。世界にとって絶対なのは、人類の長寿と繁栄であり、世界の平和を人類全体で守っていかなければなりません。仁とは、善と愛が一つになったものであり、神の愛そのものを指すものであると思います。
総理大臣
日本の最高権力者です。
人の一番上に立つべき人間は、正義でなければならないと思います。総理大臣は日本の正義です。一時期日本の国は政治不信に陥り、政治が大混乱した時代がありました。政治家として一番大事な資質は、正義であり、正義と理想が未来を切り開いていくのだと思います。総理大臣の理想に国民が燃え、理想の国造りに努力することで、国家の繁栄と安定につながっていくと思います。
国会は総理大臣の舞台でもあります。剣と盾(正義と愛)を使いこなす、最高の戦士でなければならないのがそ総理大臣です。
統合失調症において、善の煩悩と悪の煩悩が、政治家としての問題となる場合が多いです。善の煩悩は、正しすぎるぐらい正しいのです。善の煩悩の強い政治家ほど期待できる政治家はいないともいえます。善の煩悩の正しさが人類を進化させ、理想社会を構築する。その中で、悪の煩悩つぶすというのは、人類の永遠の作業となっていきます。ただ善の煩悩にしてもほどほどにというのが、人類の教えです。
地球に人類が存在する限り、煩悩は必ず発生ます。煩悩なしでは実社会生きていくことは出来ません。簡単にいえば、煩悩とは幸せになりたいという思いです。善の煩悩を応援し、悪の煩悩をつぶしていくということが、人類の未来を考え、社会を構成していくことで大切な作業ということになります。たとえそれはお金の要らない社会になったとしても、その作業は永遠に続くと思います。その作業で重要なのは政治家であり、政治家としてその作業を放棄することはありえないと思います。統合失調症の中で、神は悪の煩悩つぶしに本当に一生懸命です。神の言葉を借りれば、悪の煩悩が戦争の原因だとも言っています。
日本のトップとして、日本の正義として、総理大臣を応援していきたいと思います。
政党政治・民主主義
政界再編によって、二大政党の形になってきました。政党政治の良い所は、いろいろな考えを主張する政党がある所です。その中で柱となる政党が政権を担当し、国民の意見を反映させながら、国政を行うところに良い所があります。
民主主義を考えたときに民主主義には、方向性が存在するように思います。人間の魂が気持ちよいと感ずるのは、決して自由だけではないとおもいます。ここで大切にしたいのは、民主主義のルールが存在するように思えます。ものは言いようで、すべての事柄はプラス・マイナスすべてがつながる。アナログ時計にたとえると、その中の時計の数字はすべてつながっている。その中に時計の針があり、その針が時計の数字を指すことにより初めて時計が意味を成す。民主主義において、その針を壊そうとする民主主義などありえないとおもいます。
統合失調症では、政治の落ち着きが、統合失調症の安定につながっているところがあります。私の場合、統合失調症になってから、支持政党を明確にした所があります。支持政党を明確にしないと、統合失調症の症状が安定せず、いつも政党同士の争いの中に自分を置いてしまう所があります。昔はそれほど政党というものに対して無頓着でしたが、一つの政党を支持することで自分の考えがまとまり、統合失調症の症状の安定につながっていきました。
光のネットワークにおいても、民主主義の様相が強いと思います。光のネットワークでいろいろな人と会話をするようになるが、それは仏教芸術のマンダラそのものであり、統合失調症の症状として、その会話の中心におかれます。
統合失調症を統合すると、そこは天国が待っています。
現実の世界において、統合失調症は不幸の前触れとも思えるところがあるそうですが、その症状を改善させることは、現実の不幸に打ち勝つための力となっているところもあり、すべては神の愛で成り立っていることを知るようになります。
憲法・法律
日本は法治国家です。法が人を治め、人をまとめます。
日本国憲法は、世界の理想憲法とされ、マッカーサーが創った憲法であり、その憲法はキリスト教の教えが強いと思います。
現憲法の中核は良心であり、その良心とはイエス・キリストの愛であり、憲法で歌うのは、「愛がすべてであり、みんな好きなことをして楽しみなさい。」と謳います。自由という言葉が踊るが、自由がすべてだとは謳っていません。そもそも思想の自由以外は自由とはすべて公共の福祉の上に成り立っています。宗教が良心であり、良心とは宗教です。宗教を否定して自分の心が良心だと言うこともなければ、良心を否定する宗教などもありません。
人間は三位一体であるというのはキリスト教の教えで、認知・精神・愛を表しますが、簡単に言えば正義・良心・愛であり、頭・心・セックスである。セックスに関しては哲学があってはじめて愛となると思います。それは人間の持つ三つのパワーです。人類の教えを表現していくのが憲法・法律であり、すべては、神の愛で成り立っているということだと考えています。赤とブルーの関係がここにあり、赤と言うものが神・魂・人類の教えというものであり、ブルーは憲法・法律を大事にするものである。ブルーというものは、赤に対する表現力であり、赤を否定するブルーなどありえないのです。神の愛とは、善と愛とが一つになったものであり、神と人間との関係に人間の一番自然な姿があり、宗教観を大事にするということは人間として大切なことだと思います。
世の中は、良識が支配したほうが暮らしやすい。暮らしやすい世の中を創ることは、人類の永遠のテーマであり、パワーを分散した方が暮らしやすい世の中を創ることが出来ます。政教分離・三権分立すべてパワーを分散しいているのであり、政治が宗教を否定しなければならないなどということは、決してありえないことです。
「人類の教えも、お金もどちらも大事だ。」と謳っているのが憲法・法律で、お金がなければ生活が出来ず、人類の教えを大事にしなければ、社会が壊れてしまいます。
統合失調症の中で、憲法・法律とは心の理想の形であり、憲法とは人類の教えを簡単に表現したものです。現実の世界で憲法・法律を守らないものもいます。それが統合失調症のさわぎの原因の一つでもあります。生きていくためには、憲法・法律を破ってもよいなどという考え方のものが、光のネットワークの世界で槍玉にあげられます。その発想としては、まったくやくざのような発想であり、世の中いろんな人間がいるということだとも思います。人間社会全体から考えた場合、サルの自由に未来はないのです。
自由と平等
自由と平等には意味があると思います。自由とは良識の基に成り立ち、平等は自由から生まれます。良識とは、広辞苑を引くと「卓越した知識、優れた判断力」とあります。中国文明の真髄は、善であることが人の命であると教えます。また、人類すべての教えの答えは、善が命であり愛がすべてです。現代社会における良識とは、憲法・法律でありますが、人類全体を考えれば、神の愛の表現が憲法・法律になっていると思っています。
自由というものを考えたときに、だらしなくするのが、自由ではないと思います。たしかに、だらしなくするのが一番楽です。好きなことをするのが一番楽しいが、そこに善の根っこがあるのが人間の自由だと思います。
平等にしても、努力するものと努力しないものとの平等はないと思います。平等は、自由から生まれているものであって、必ず善の形が存在すると思います。
すべての主義主張は、善に対する努力で成り立ち、逆に言えば、善に対する努力でないものは、主義主張ではないとも言えます。
地球に住むすべての生命体の生態系は、すべて善に対する努力で成り立っています。巣の子鳥に餌を運ぶ母鳥が、それをやめれば小鳥は死んでしまうのです。
統合失調症において、自由とは良識の基に成り立っているということを、心でも努力するようになるのが、統合失調症です。そして、すべてが、神の愛で成り立っているのを知るのも統合失調症です。すべては神の手の中にあります。
統合失調症の症状の中で、自分の存在が、イエス・キリストや仏に例えられるという症例が多いようです。統合失調症の症例の中でもイエスキリスト・仏の存在は大きいと思います。
現実におけるOリングテストの事例などからも、すべてが絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っているということに、何の疑問も感じなくなります。
人間は選ばれた生命体であり、絶大な圧倒的な力を有する神と人間との関係に、人間の自然の姿がそこにあると思います。善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ理想社会を構築していくのだと思います。
政教分離は憲法で謳います。この政教分離はパワーの分散であり、政治が宗教を否定するものではありません。
憲法は、良心の自由を保障し、宗教の自由を保障します。良心とは人類の教え(神道・儒教・中国文明・人類のイデオロギー等)であり、宗教です。私は日本人なので、特に世界三大宗教(イスラム教・仏教・キリスト教)を指すが、人類の教え・宗教を否定して自分の心が良心だということはありえないと思います。
メディアの報道で気になるのは、政治は宗教を否定しなければならないと、誤解を受ける番組を見るときです。
宗教とは心です。政治に心がなければ大問題だと思います。
理想と正義が未来を切り開き、理想と正義の基に世界が歩調を合わせ、そして憲法が支配するというのが今の世の中です。良識の支配ですが、良識とは神の愛に対する表現力であり、世の中良識が支配したほうが暮らしやすいからです。宗教戦争のようなものがなくなるし、政治が良識の基に行われることによって、政治の異常な行動もなくなります。しかし、決して肝心な処を忘れてはならないと思いんす。
世の中にパワーを分散したものは、数多くあります。パワーを分散することで、全体の安全と安定を図れるからです。
政治と宗教は良識がつないでいるのであって、政治が宗教を否定するものであってはならないと思います。
法律でも、宗教法人法で、人類の教え(宗教)は政治に反映させなければならないと謳っています。
統合失調症では、政治も宗教もその占める位置は大きいですが、やはりそれをつなぐのは、良識であり神の愛であると思います。統合失調症という症状は、それをつなぐ作業を行うところもあります。政治と宗教がバラバラでは統合されるわけもなく、統合失調症統合のための大きな作業の一つと言ってもよいと思います。
政治家
政治家の仕事は、舵取りと官僚のコントロールです。
金権政治から政治不信になり、政界が再編成されました。日本の政治の歴史で新しいところです。
日本の憲法では国会議員の権力は、国民の恩恵のためにあると記されています。国会議員または、政治家の権力というものは、官僚のコントロールをするためにあるものとも言えます。そのためにみんなで選挙を行い、政治を行うものを選挙で選びます。
官製談合などと騒がれているが、官僚政治というものが決して良いものでないことは世界的に騒がれています。
政治家の一番大事な資質は正義だと思います。正義が一番上に来なければなりません。そして理想というものを大事にしなければならないと思います。現実主義は理想主義が支えています。
現実主義は簡単に言えば、お金がすべてです。しかし理想主義によって、現実主義は成り立っているのです。
未来を切り開くのは、正義と理想であり、そして正義と理想の基に、国際協調が生まれます。絶大な圧倒的な力を有する神の愛に対する表現力が良識であり、それが憲法・法律の支配となっていると思います。肝心な処を忘れて、政治もなにもありません。
統合失調症の症状の中で、政治家も良く出てきます政治家の権力というものが、一
市民に及ぶということはあるまじきことであり、政治家の権力というものを理解していないと思います。また逆に官僚をコントロールしようとしない政治家も自分の仕事を良く理解していないと言えます。政治家も憲法・法律に支配されるわけですが、政治は政治家が行わなければいけません。官僚政治などというものは決して良いものではなく、官僚が政治家に抵抗するなどということ自体、憲法・法律を良く理解していないと言えます。
結局、政治とお金の問題に行き着いてきますが、政党が憲法・法律にのっとり官僚をコントロールすることにより政治献金を受けることは、正当だと私は考えます。官僚にそういう権限は何もありません。
善の煩悩の強い政治家ほど期待できる政治家はいないともいえます。煩悩なくして生きていくことは出来ません。しかし、煩悩は善と悪があり、善の煩悩の正しさが理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。でもほどほどにと言うのが人類の教えであり、簡単に言えばお坊さんの持つ善の煩悩です。悪の煩悩は社会を壊してしまうので、悪の煩悩つぶすことは人類の永遠の作業であり、お金の要らない社会になったとしてもその作業は続くものだと思います。政治家の仕事として、善の煩悩を大切にして守っていくと言うのは、大切な仕事であると思います。孔子の政治哲学として富の公平な分配がありますが、社会を造っていくとき大切なことだと思います。それが生きていく力の一つになっていくと思います。
政治家は理想社会の構築の実現を目指さなければなりませえん。理想社会というものは、人類の教えにあります。肝心なことを忘れて政治も何もありません。政教分離の意味がまったくなくなってしまいます。我々は人間社会を構築しているのです。そのリーダーが国会議員であり、政治家です。
人類には「ベクトル」が存在し、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあります。
第三章 経済
経済の理論
経済理論の根本は、自愛です。自分を愛するということが、経済を動かします。現代の経済学からすれば、「欲しい」という気持ちが、その根本となっていますが、その行動は自分を愛することから生まれます。車が欲しい。おいしいものを食べたい。家が欲しい。物・サービスすべて欲しいという行動はすべて、自分を愛することから生まれます。逆に、お金持ちになりたければ愛されることです。物・サービスすべてにおいて愛されることです。経済とは、愛の循環から成り立ちます。それが経済学の根本の部分であり、けして経済は自由で成り立っているわけではありません。
マルクス理論は、有名な経済理論だが、経済の繁栄のエネルギーを自由に求めて、宗教を否定します。心と経済の分裂であり、精神分裂症と言われた語源でもあるような気もします。マルクス理論は経済理論において、成熟していない理論ではないかと思えます。
経済において、お金が善であることが、経済の命です。
日本のバブルはなぜ起こったのか?
リゾート法によって、銀行が善のたがを外したからです。バブルの頃、銀行は土地であればなんでもお金を貸しました。銀行が金余り状態になり、お金を貸しまくったのです。それがバブルの原因です。それが大量の不良債権を作り出し、銀行まで崩壊するという状態を生んでしまったのです。
経済活動をとらえた場合、その活動は愛がすべてです。家つくりなどは、愛がすべてそのものと言っても良いと思います。
経済の繁栄においても、そこにあるのは人類の教えの答えであり、善が命で、愛がすべてだという答えがあると思います。
経済と人類の教えが、分裂するということは、決してないのです。
統合失調症の統合は、経済と人類の教えの統合であるとも言ます。人類の教えと経済の理論が一つになって、統合失調症の症状は軽減ます。統合失調症の症状は、いろいろの分野が統合すると、楽しくなってきます。それには、自分の哲学を完成させることが一番重要なところです。
今、世界は自由経済に、グローバル化しています。自由経済が経済構成として最良とされます。日本の国は、経済大国でありますが、アメリカから学んでいることも多く、経済を自由にすることで経済を維持しようとしています。経済は現代のテーマであり、経済の発展が人類の発展であるという考え方が主流です。そのためアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の考え方も一緒に輸入しているところがあります。しかし、このアメリカナイズは、人類の教えをすべて破壊してしまいます。そもそもアメリカ自体がアメイカナイズに苦しんでいるというのが実情です。このアメリカナイズは、いろいろな社会問題を発生させ、国を衰退させる原因の一つだと考えています。やはり人類の教え・宗教観がしっかりしている国が繁栄します。アメリカ経済が強いのは、アメリカ人は頭が良く、ベクトルで動き、アメリカの憲法の理想は正義というところにあると思います。正義に自由を当てはめると魂は熱くなります。経済を発展させる上で、「魂が熱い」というのも重要な要素になっていると思います。
自由競争の造り出すものは、競争の原理(善に対する努力)と、善のバランスです。昔、エジプトでは、ピラミッドを造るのに競争原理を利用して造りました。善に対して努力するのに、競争させることで競争の原理を生み出します。大きな資本が小さな資本を食べてしまうのは、経済における定石と考える部分だと思います。大きな善が小さな善に勝つのは当たり前です。社会は善に対する努力で成り立っています。決して自由で成り立っているわけではありません。本来、自由とは楽なものであり、自分の好きなことをするというのが、自由です。現代社会は自由=善という考え方をするが、自由とは、掛け替えのないもの・大切なものであり、考え方として自由=善では、ないと思います。自由とはみんなで守るものであり、自由がすべてだという考え方はないと思います。
もう一つ自由競争の造り出すものに、善のバランスがあります。競争によって、それぞれの善の形が生まれ、全体でバランスを造り出します。その中で自由に行動し経済全体を支えています。
自由競争は、人類の教えから考えれば、善が命の部分です。
統合失調症においても、結局アメリカナイズが問題です。アメリカナイズの考え方は、心・社会を衰退させてしまうものだと言えます。症状の中で、アメリカナイズと戦っていると言ってもよいと思います。
経済の永遠性
経済の永遠性を考えると、自由にあるようには思えません。
バブルを造り出した状態を考えると、銀行が善のたがをはずしたのが、一番の原因で、リゾート法そのものは、愛の法律です。やはりそこにあるのは、経済においても大事なのは人類の教えであり、善が命で愛がすべてであると言えます。
人間としての一番の幸せは、自分の思うようになる、自分の思いどおりの人生を歩むということが、人間としての一番の幸せであり、そこには善に対する努力があり、それが人間としての自由として尊重されるべきものであると思います。
幸せを求める自由において、大事なのは人類の教えであり、それが人類のルールとなるものです。世界において、特に日本においては、平和は絶対とされるべきものであり、その平和とは人類のルールが造り出すものだと思います。
アメリカナイズは、人類の教えを破壊し、嫉妬・やきもちは、社会の根源悪になってしまいます。この二つも、否定しなければならないものだと思います。経済においても、大事にしなければならないのは、人類の教えであり、経済の健全な発展のためには、人類のみんなが大事にしなければならないことだと思います。人類の教えは、熱い魂となり、経済を根本から支えるものとなると思います。
経済の永遠性を考えたときに、経済自体、人間そのものを創っているように思えます。
国会が頭脳、お金が血液、銀行・官が心臓、土地は経済の基盤であり不動産業が骨盤、衣食住車にかかわる業種が背骨、情報産業が神経・血管、各業種が体全体を構成し、そして一人ひとりが一つの細胞。そして大事なものは、心であり、人類の教え。経済学からみれば経済における根っこは、自愛です。自由競争の創り出すものは、善に対する努力と善のバランス。経済活動そのものは愛がすべてです。自分を心から愛せる国を創ることが国を繁栄させることになると思います。人類全体の経済が、一人の人間として構成していくようにも思えます。文明社会で一番大事なものは、エネルギーであり、文明社会を根本から支えます。人を動かすエネルギーは、心であり愛であり、お金は栄養素であり血液であると思います。
統合失調症において、前にも述べましたが、症状の中で人類の教えと経済の分裂が、統合失調症の症状を悪くします。心において人類の教えと経済が統合されると、統合失調症の症状は安定します。
経済の要
経済の要は、銀行です。お金が善であることが、経済の命であり、それを守るのが、銀行の使命であり役割だと思います。
リゾート法によって、銀行が善のたがをはずしてしまい、バブルを造り出してしまいました。
銀行には銀行法があります。銀行法を簡単に言えば「経済の健全な発展のために努力し、預金者等を保護する」というのが、銀行の使命であり役割になります。体でいえば銀行が心臓であり、体に血液を送り出しています。銀行が健全であることが、健全な経済を造り出し、丈夫な経済を造ります。銀行が会社の経営に対しての、経営としての可能性・安全性を思慮し、経営者にお金を貸しだすことで、世の中にお金を流しだします。当然、貸し出したお金は銀行に返っていくわけですが、銀行の使命を忘れると、経済が壊れてしまいます。それはバブルによって経験済みです。銀行も株式会社ですが、銀行はけして金儲け主義に走ってはならないと思います。
銀行が、護送船団方式をやめ、ビック・バンしたことによって、銀行にも、善に対する努力と、善のバランスが生まれます。預金の保護のことを考えると、預金者には不安な部分もできますが、経済全体を考えると、経済の健全性・安全性が増すことになります。
経済は生き物です。人の体の健康状態を、維持することとまったく同じとも言えます。健康な体の基本は、きれいな血液です。
お金は道具です。社会構成は、善に対する努力で成り立ち、お金はその対価になります。人類がこれだけ進化してくると、貨幣制度でなくカードを使ったりして、新しい社会構成は考えられてきています。社会構成・経済においてその基盤となるものは、善であることが重要であり、それを守ることが、社会構成・経済を守ることになります。人類の発展を考えたときに、そこにあるのは、人類の教えであり、善が命で、愛がすべてです。
統合失調症では、経済におけるアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)をいかに退治するかというのが問題となります。アメリカという国は大好きだし、アメリカの文化も大好きです。そもそもアメリカナイズというもので苦しんでいるのはアメリカです。
経済の未来予想図
暮らしやすい世の中を造ることが、人類の永遠のテーマです。その答えは、人類の教えでも、現代の経済理論でも同じで、愛に生きることのできる社会を創り上げることにあると思います。ギリシャ哲学にコスモスとカオスがあります。コスモスが秩序でカオスが混沌です。コスモスとカオスは混在し、理想主義と現実主義が二つで一つであることと同じだと思います。理想主義とは哲学であり、現実主義とはお金です。政治と経済は社会の両輪ですが、その両輪を結ぶのは哲学だと思います。
経済理論上は最終的に、お金の要らない社会に到達しようとしています。法律では、「国民には労働の義務がある」と謳っていますが、すべての主義主張がそうであるように、社会構成は善に対する努力で成り立っています。今、私たちは、貨幣制度の中で生活しています。お金という道具を使い社会を創り上げていますが、世界的にどの国も、赤字で悩んでいます。生活が豊かになり、お金のかかる世の中になって来ているのも事実です。今は、誰でも携帯電話は持っていますし、車も必需品、生活するのにお金はいくらあっても足りません。国は赤字続きで借金が膨らんでいます。先進国ではどの国も少子化の問題を抱えている国が多いです。日本は急速な高齢化社会を迎えようとしています。少子化すると国力は衰退してしまいます。
人類の未来を切り開くのは、正義と理想にあります。人類は常に理想に向かっていかなければなりません。「自由から愛へ」。人類は常にそのサイクルの中で進化していくと思います。
世界で今の貨幣制度を続けていたのでは、ただその借金で苦しむようになってしまいます。人類の進化は、今の貨幣制度から脱却して、新しい貨幣制度を可能にしているように思います。人類は今の貨幣制度からの脱却は必要だとも思います。今の貨幣制度へのこだわりは、ただ人類を苦しめるだけになってしまいます。
社会構成は、善に対する努力と、その努力を国が補償し、社会的基盤を守ることにあります。
新しい貨幣制度とは、国はお金を自由に使い、お金の帳尻あわせの作業をなくしてしまうのです。借金で成り立つ経済を造っても、それはただ人類を苦しめるだけになってしまいます。経済バランスを造り出すのに借金によって作り出すのでは、それではマイナスの経済です。生産性の向上と機械化・コンピューター化はプラスの経済を可能にすると思います。
人類の新しい幕開けは、そこにあるような気がします。
第四章 会社
経営哲学
経済とは、経世済民の略です。世をつなぎ民を救う。
政治と経済が世の中の両輪であり、政治が正義なら、経済は愛だと思います。経済の循環は愛の循環であり、世の中の経済の基盤は善だと思います。経営にとって重要なのは、やはり人類の教えです。
経営においては、経世済民が経営哲学になるべきものだと思います。そからそれぞれの会社の理念・理想が生まれ、会社の永遠性をもたらすべく努力していきます。
自由競争では、善に対する努力と善のバランスが生まれます。
世の中のために、いかに社会的貢献をしていくか?社会的貢献が大きい会社をいかに創り上げることができるか?
経営は夢とロマンだと思います。経営者にとって会社の経営のするうえで、夢とロマンが、やりがい、がんばりに変わるわけで、経営者の心といってもよいと思います。
夢とロマンは、人生を明るくします。経営者にとって、何もかにも、思い通りになるわけではありません。しかし、幸せは夢を実現したステージにあるのも事実です。
経営哲学における会社の理念・理想は、会社で働くものにとって、魂を熱くさせるものがあります。人はお金を稼ぐとき、人のために、世の中のために働いているということが、自分の誇りになり働く糧となり、世の中に存在する自分に満足感を感じるものだと思います。
人間にとっての一番の幸せは、自分の思うようになることだと思います。自分の思うとおりの人生を歩むということで、そのために善に対して努力するのが人間としての自由だと思います。
経営者は自由です。自由でありたいと思いが強い人は、やはり経営者であることが多いと思います。しかし、そこには人類の教えがあり、自由とは良識の基に成り立ち、経営とは愛であるということは、けして忘れてはならないと思います。一人で経営している場合は別ですが、人を雇う場合、けして経営者は肝に銘じなければならないものだと思います。
統合失調症の発病において、恋愛の悩み、会社選びの悩みの中で、発病するケースが多いようですが、そこに存在する問題として、やはりアメリカナイズの問題が多く占めていると私は思っています。
天の時
天の時、地の利、人の輪。仕事を成功させる三つの条件として、中国の貞観政要に記されています。この貞観政要とは、帝王学の書で、日本には平安時代入ってきて、それ以来、リーダーの書として愛読されているものです。
天の時とはまさに天の時であり、チャンス到来、善を尽くす時です。
経営者にとって、時代を読むというのが仕事でもあります。この企画はどうだろう、この商品は売れるだろうか、時代のニーズに合ったものでなければ、仕事は成功しないでしょう。企画にしても、商品にしても、会社が一丸となって努力していくが、時代にあっていなければ、会社にとって多大な損害となります。会社の経営にとって、一番難しいのは時代を読むことであり、経営者の仕事は時代を読む能力が大事になります。時代の情報を整理し、時代に対して敏感になることでこの能力は、養われていくものですが、努力したからといって、必ず成功するとは限りません。仕事の成功を考えたときには、必ず神の力が働くように感じます。人によって、偶然であるとか、ついているととらえるかも知れません。仕事の成功は、神から愛され、神の力に守られるということが、不可欠であるように思えてならないのです。
人間社会だけで世の中を成り立たせようとしても、そこには繁栄を感じられません。アメリカでは、お金に「我々は神を信ずる。」と書いてあります。神の愛で守られる、神の力を信ずることで、人間社会全体が繁栄し、成り立っているように思えてなりません。
日本には神社がたくさんありますが、中でも伊勢神宮は、神のパワーが強い磁場だと言われています。神から愛されるためには、神を愛し、神を喜ばせることが大事で、また仏を大事にすることで、仏に守ってもらえます。宗教観というものを大事にして、当たり前のことを当たり前にするということが大事だとも、多くの人が語っています。
神に対して、「私を幸せにしてください。」という謙虚な気持ちが、人を幸せにしていくと私は思います。
統合失調症では、神と話すようになります。そしてすべて神の御手の中にあり、すべて神の愛で成り立っていることを知ります。「天の力は愛の力。愛の力は天の力。」統合失調症の症状の安定化のためには、善に対して努力していくことも大事ですが、症状の中で神と和解することが、精神の安定には大事で、Oリングテストもその一つですが、人類には神の力が働いていることを感じるようになります。
地の利
地の利も、仕事を成功させる条件の一つであり、その場所なければなしえない利益、その場所だから得られる利益ということになります。
現実において地の利から得られる利益も、大きな影響があります。
自由競争なので、利益が大きい仕事には、新規参入者が増え過当競争になりやすい。ある市の場合など、ホテル業界の過当競争に熾烈なものがあり、その市の先見性から投資をするのでしょうが、これだけホテルを造って一体どうするのだろうと考えてしまうところもあります。しかし、その中でも立地のよいホテルは、その過当競争にでも勝ち残っていけるようにも見えます。
マンション業界を見てみると、今、マンションも数多く建っています。分譲マンションには、日本の人口の約十分の一の人たちが住んでいるそうですが、マンションを購入するにあたって、優先する順位がありまず。一番目は価格。予算上、手の届くマンションを購入します。二番目に場所。結婚していて子供がいる場合、子供の学校が一番の問題であり、子供がいる場合は一番考慮するところです。三番目に間取りです。
デベロッパーが開発する場合、その場所に開発する計画性が、分譲するにおいての成否を左右します。計画性が優れている場合、あまり苦労することなくマンションは売れていきます。計画性が悪いと売れ残りが多くなり、経営的に圧迫するようになります。やはり計画性には、場所の選定が大きなウェートを占め、計画する場所によって成否が決まるといっても過言ではありません。
もう一つ土地売買の例をとって見ると、昔バブルのころは、土地というだけでどんな所でも売れた時代がありました。一億総不動産家と言われ、子供まで不動産に興味があるという時代でした。今は、売れない土地は安くても売れないという時代で、相場的な意味で、場所と価格が売主と買主の折り合いにつかなければ売買とはなりません。
不動産業的な見地から、地の利というものを見てみましたが、事業の場合、投資というリスクを背負うので、重要な位置づけの一つになります。
統合失調症の統合において、私は住んでいるところを変えなかったおかげで、成功できたと思っているところもあります。他に移り住んでしまっては統合させることが出来たかどうかはわかりません。
人の輪
仕事を成功させるための三つ目の条件である人の輪。貞観政要には、「輪をもって滅ぶなかれ」ともあります。人の輪とは正しい人の輪でなければならないというのが、貞観政要の教えでもあります。
正しい人の輪で大事なのが、まず人の輪のトップに立つ人物です。リーダーとも言いますが、トップの考え方でどういう人の輪が出来るかが決まります。正しい人の輪をつくるためには、トップは、善でなければなりません。現実を考えてみても、日本という国は、両陛下がいらしゃるお陰で、これだけの平和と平穏を保っているというのも事実です。天皇陛下は日本国民統合の象徴であり、人の輪の支えとなっています。トップが、いいかげんだったり、悪である人の輪は、人が安心して暮らせる人の輪ではありません。暮らしやすい世の中を創るということが、人類の永遠のテーマであり、政治にしても経済にしても、トップに立つ人間の自覚と責任というものは、人の輪にとって本当に大事なものだと思います。
現代の世の中を考えたときに、政治の富の公平な分配が、善の煩悩に対する分配と成しえることが、重要なファクターになっているように思います。この部分がでたらめだと、でたらめな世の中になってしまいます。
次に大事なのが、信賞必罰。信賞必罰は、人の輪に対して善の方向性を生み出します。正しい人の輪は、常に善の方向性が生み出されなければならず、善に対して努力する人の輪であるならば、信賞必罰の考え方が重要になってきます。会社であれば、会社では善の形をつくりあげ、自分の会社の善の形をいかに社会に認めてもらうのかが良い会社の創り方でもあります。
ここで笑いというものを取り上げてみたいと思います。笑いは人をつなぐものとして重要なものだと思います。笑いは心の潤滑油となって人の心をつなぎます。笑いは心というエンジンの潤滑油そのものであり、新鮮なエンジンオイルはエンジンを守り、エンジンの働きを助けます。その反対で悪くなったエンジンオイルはエンジンを悪くし壊してしまいます。
人の輪を考えたときに、そこには神と人類との関係を忘れてはならないと思います。
統合失調症では、前にも述べた光のネットワークがありますが、光のネットワークに関しては、統合失調症の統合の中で述べたいと思います。
会社の永遠性
会社の平均寿命は十年と言われます。時代には波があり、良いものは必ず悪くなり、悪いものは必ず良くなるとも言われます。その中で会社の永遠性を考えてみたいと思います。
まず第一に、売るものを含めた上で、社会的貢献を果たす会社でなければなりません。その社会的貢献のセンスが愛されれば、利益も大きくなり会社が潤います。
第二に、薄利多売であること。自由競争という善のバランスは、薄利多売の形を取っていかなければ、会社の永遠性はなくなってしまいます。
第三に、薄利多売にする中で、会社のもうけのシステムを考えること。
第四に、営業マンが優秀であること。優秀な営業マンとは、愛される営業マンであり、営業マンが愛されることが、会社が愛されることになります。
以上四つが、会社の永遠性としての骨組みになります。
会社の永遠性に肉付けしていくと、仕事を成功させるための三つの条件である天の時・地の利・人の輪。そして、会社としても、働いている人たちも大事にしなければならないのは人類の教えであり、善が命で愛がすべてであるということは、会社の中核でなければならないと思います。
経営者は、それらを踏まえたうえで時代の先を読み、会社の経営にあたっていかなければ会社の永遠性は生まれてこないと思います
人間がこの地球で生きていくという中で、会社が社会的な貢献を果たし、暮らしやすい世の中を創るということが、会社にとって一番大事なことだと私は思います。
統合失調症の中では、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになります。すべて神の御手の中にあり、すべて神の愛で成り立っていることを知ります。二十世紀における、ブルーへのこだわりだけが人を幸せにするのではなく、神と人間の関係の中に人間の一番自然な姿があると私は思います。人間は全宇宙意識に生きて、三次元に存在しています。統合失調症の統合は、神がすべてを統合していくようになります。
神は人類を愛しています。
人類が善となることが命ならば、神の愛がすべてです。神と人類の関係はそこにあると私は思っています。
第五章 家族
親子
親子の関係が、人の結びつきの中で一番強いものです。
親は子に対して、さまざまなことを教えます。それは先祖代々引き継がれてきたものでもあります。親子の情は、人としての情の根っこでもあります。人間だけには限らず、この地球に住む生命体において、高等であればあるほど、その情は深いともいえます。血をわけた子が一番かわいいと言うこともよく聞きます。さまざまな人間関係において、その土台となっているものです。
親子というものを考えたときに、人としての生き方の中で、その核となるものは宗教観であると思います。宗教観なしに子供を育てようとしても、支えていくものは情だけになり、何の疑問を感じないということのほうが不思議に感じます。セックスした結果子供が出来、その結果子供を育てるという世の中では、社会の繁栄はないでしょう。
今、先進国は少子化の問題を抱えている国が多いです。日本の国は、第二次世界大戦までは人口は増えていきます。世界大戦終了後、新憲法になり少子化の一途をたどります。アメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の考え方が、宗教観や人類の教えを壊しているように思えてなりません。人間みな自由で平等だということは、私は小学校三年生で教わりました。自由で平等なのは命の権利であり、自由と平等を保障する国家の基、暮らしやすい社会を築き上げるのであって、地球に動物園のサルの山を作るのとはぜんぜん違います。
生きていくということは、地球で暮らす戦士たちの集団であり、戦士は魂の結びつきを大事にし、つらい時、苦しい時、助け合ってお互い協力して戦っていくという戦士の戦いそのもののようにも見えます。
親子には魂の約束があり、その約束の基に誕生し、親子の魂の絆は、社会としての絆の基盤となり、社会として人と人とを結ぶ基盤となるものだと思います。魂の約束、魂の絆が、人としての財産であるということを大切にしなければならないと思います。
宗教観・人類の教えというものが大事であるということは、親が子に教えていかなければならず、子が親になり、子が親になるのです。子の幸せを考えることが親の幸せとなり、親子関係の基本とは、そこにあると思います。親としての生き方、子としての生き方の中で、魂の約束があることをけして忘れてはならないと思います。
夫婦
哲学的に夫婦を考えると、人類の教の基本にあると思います。人類の教えの基本とは、みんな一緒に生きていくことが楽しいという世の中を構築すること、愛と感動に満ち溢れる世の中を構築することにあると思います。現代の世の中はそのために、憲法と法律でまとめようとしています。人類の教えは、女性に厳しいところはあります。人類とは、女性の愛としての自覚からすべて始まります。愛とは思いやりであり、人を大切に思う心(ときめき)です。男の愛を女が受け入れて、愛は成就します。善が命で愛がすべてです。それが人類としての愛の形だと思います。
結婚というものは、男と女の人生における大事業であり、大事業を成功させるためには、二人で愛を揃えて夢を揃えることが必要です。本当は、自由社会というものの理想は、みんなが自由で愛と夢がいっぱいになる世の中を理想としていると思いますが、宗教観というものが、愛を支え夢を支えるのであって、ただ単にアメリカナイズの世の中を創っても、人類の教えを壊してしまい、暮らしにくい世の中になってしまいます。人類の教えには、人類五千年の歴史があり、人類が五千年かけて積み重ねてきたものです。
現実的に考えると、結婚には経済力が大事です。昔は惚れたはれたで結婚してみてもとよく言ったものですが、現実主義というものは、簡単に言えば、お金がすべてです。理想主義と現実主義は二つが一つで成り立ち、幸せを考えたときにその核となるものは愛です。その愛を守り、潤わせるのもがお金であり、それを知らないと不幸になってしまうというのも現実です。
夫婦は、やはりお互い助け合い、支えあわなければならないと思います。日々の暮らしの中でも、夫婦で支えあい、お互い大切にすることが思いやりとなり、その愛のパワーが心に充満すると、大きな力となり、夢の実現のために、愛のパワーが大きな力を発揮し、夢を実現するための原動力となると思います。心を見つめたときに、神の愛(絶対の愛)を守るのが男と女だと思います。そこには人類の教えがあり、哲学があります。
伴侶を大切にするということは、家族愛につながり、子供たちが大きくなってからも、社会で生きていくうえで、心の大きな支えとなっていくと思います。人生において家族の大切さは、その人の人生の核となり、心の核になっていくと思います。
セックスを哲学すると、セックスの喜びは、宇宙の誕生の喜びです。若い年代のときは性欲が強いのは自然の摂理で、人類を繁栄させるものであります。セックスとは夫婦の喜びであり、結婚とは神聖なものであるというのが人類の教えです。セックスには哲学があって始めて愛に変わります。子供をつくり、教え、育て、家族があり、夫婦の営みがある。家族の幸せを考え、家族という愛の絆をつくりあげていくのが夫婦です。
永遠に愛し合う伴侶を見つけるということは、魂の永遠の喜びであり、この地球に誕生する喜びは、永遠に愛し合う伴侶をみつけることにあるとも思います。仏教では愛語は楽しいと言いますが、愛の喜びが魂の喜びであり、魂の喜びあるところに生きる喜びがあると思います。
人間みんな心が大事であり、気持ちが一番大事です。愛とは思いやりであり、人を大切に思う心(ときめき)であり、その愛が人をつないでいるのです。愛は守り、つなぐ。男は善となり男であって、女は愛となって女。善が命であり、愛がすべてです。絶対の愛とは神の愛なのだと私は思います。
健康
体の健康というのも、気になる問題の一つです。
医学には、予防医学、西洋医学、東洋医学がありますが、健康な体を維持するために大切なことは、すべて同じことを言っています。
まず、きれいな水。人間の体は、約65パーセント水分です。血液をきれいにするために、水を毎日2リットル飲みなさいということはよく聞きます。昔、酒は百薬の長と言ったのは、酒はきれいな水で出来ているからです。しかし、少量のアルコールは体によいが、あまりたくさん飲むと肝臓によくありません。
きれいな水で、一番おすすめするのが還元水です。世界の中で、トレドの水など病気を治す水があります。その水を分析すると、すべて活性水素水であることが解明されてきています。予防医学とは、簡単に言えば体から発生する活性酸素を、いかに抑えるかと言うのが予防医学です。この活性酸素と言うのは、人間のあらゆる病気の原因とも言われています。活性水素水は、体から発生する活性酸素と結合し、体を弱アルカリ性に保つため還元水と言われています。還元水は癌やエイズにも効果があるとも言われ、きれいな水としてお勧めするとすれば、還元水をお勧めしたいです。
次に、体を温めること。ひえは万病の元と昔から言われます。体を冷やすことは人間の体にとって、細胞の働きを弱め免疫力を低下させます。免疫力が低下するので病気になりやすいのです。現代人は、基礎体温が低くなっているとも言われています。昔の人と比べ体を動かす機会が減ったため、どうしても基礎体温が低くなったようです。毎日お風呂に入って、体をよく温め疲れを癒すことは、体の健康のためにもほんとに大切なことです。今から十五年ほど前、遠赤外線がもてはやされたときがありました。遠赤外線は体を芯から温め、基礎体温を上げる効果があります。基礎体温が上がれば免疫力が上がり、病気になりにくい体が出来ます。遠赤外線は成長光線ともよばれ、遠赤外線効果で病気が治ったという人もたくさんいると言うのもほんとの話です。
最後に、バランスの取れた食事。体をつくりあげていく栄養素のバランスが大事で、自分で食事のバランスを考えることも大事なことです。
きれいな水を飲み、体は冷やさず、バランスの取れた食事をすることが、健康のために本当に大切なことになると思います。
第六章 文化
日本
日本は世界の良心です。私は日本国民の一人であり、日本を愛する一人です。
日本の文化的特徴と捕らえたときに、わびとさびがあると思います。日本人の持っている感覚の中で、わびとさびというものは日本に根ざしたものです。人間関係にしても、あらゆる文化・芸術の分野にも感じるところが多くあります。日本は古来、遣隋使や遣唐使など、中国文明の影響を多く受けています。仏教の伝来や、さまざまな中国文明の教えが日本に入ってきて、日本ではそれを消化していきますが、日本人のわびとさびというものはその中でも残っていきます。宗教建築からわびとさびを考えていくと、わびとさびというものは日本人の持っている美的感覚であるように思えます。日本料理にしても、日本絵画にしても、日本人の美的センスと言うものが随所に、現れてきているのだと思います。すしは、今世界的なブームになっているようですが、すしや日本料理に対して海外の人は、おいしくて大変きれいだというのが評判です。日本絵画にしても日本人の持っている美的センスであり、それは人間関係・対人関係でも同じような気がします。
日本という国を考えたときに、日本の姿は、神道仏教にキリスト教がかぶさっているのが日本の国のように思えます。第二次世界大戦敗戦によって、現憲法がマッカーサーによって作られますが、現憲法はキリスト教の教えが強いと思います。良心の自由を保障し、すべてそこから成り立っているのが現憲法です。良心とは心の愛であり、イエスキリストの説く愛です。日本国民のほとんどは神道仏教であり、憲法・法律の統治下のもと暮らしてますが、憲法はキリスト教なのです。
キリスト教の精神と神道仏教の精神をつなぐことは必要であると思います。日本には世界各国の文化が融合しています。その中で日本人としての心というものが一つになることによって、日本という国を愛する心になっていくのだと思います。
統合失調症において、憲法と人類の教えは大切なものとなります。憲法によって心はコールタールにならず、人類の教えによってその輝きを保ちます。命に魂が宿り、その魂に人類の教えを刻み込んで魂が進化し、憲法・法律を守ることによって人間社会の繁栄があるのだと思います。
アメリカ
アメリカは世界の正義です。世界のリーダーであり、自由を象徴する国です。
アメリカという国は、メイフラワー号にのってイギリスから移民したのが、アメリカの国の始まりであり、フロンティア精神に富み、国を開拓しアメリカという国を造り上げたのは偉大です。
私にとってアメリカの自由の象徴は、自由の女神です。独立を記念してフランスから送られものですが、右手に掲げるたいまつはベクトルに見えます。左手には人類の教えとしての書物を持っています。独立と自由がアメリカという国の始まりだったことにまちがいはないと思います。そしてその基盤は、奇跡のりんごにあると思います。
私の目から見て、アメリカの成功は、自由だからというよりも、魂の熱い国だからだと思っています。アメリカの憲法の理想は正義です。それに自由を当てはめるのがアメリカです。正義の基にアメリカはまとまります。選挙にしても国民は、大統領候補の演説を聞きながら大統領候補の理想に燃え、当選後も大統領の理想と正義に国民が熱くなるというのがアメリカの国民性であり、大統領制の良いところでもあります。また自由に関しても、大統領のテレビの演説を聴くと、教会の礼拝に行くことを大切にしながら自由を唱えるのが大統領の姿であり、ただ闇雲に自由を唱えているわけではありません。アメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の問題は、アメリカの国の中でも問題となっており、アメリカの小学校でも問題となっているのも事実です。
アメリカ映画は世界的に大ヒットする映画も多いです。やはり世界的に大ヒットする映画は人類の教えの強いものが多く、スターウォーズにしてもジョージルーカス監督は、宗教観の強いものだともいっています。映画という媒体によって、世界のイデオロギーを統一しているといっても過言ではないと思います。映画というものは国民性がよく現れますが、正統派のアメリカンスタイルはスーパーマンだと思っています。正義感が強く、みんなのために働くというアメリカン魂そのもののように思います。
アメリカという国は、世界のあらゆる人種の人たちが集まっている国であり、世界が集約されている国でもあります。世界のリーダーたる自覚がアメリカという国を創りあげていると私は思います。
中国
中国は世界の善です。中国四千年の歴史は、人類の歴史でもあります。
中国はとても歴史を重んじる国であり、日本の総理大臣の靖国神社参拝問題では非常に敏感になるのも、歴史的背景や中国国民の気持ちを考えるからであって、靖国神社参拝問題が国際間の問題とまでなっています。靖国神社参拝問題は解決しなければならない問題であり、この問題の解決は中国国民の心と日本国民の心の問題の解決であり、中国と日本の国交正常化する一番の近道でもあると思います。私から見ていて、靖国神社にA級戦犯の合祀をしてから中国で問題視し始めたわけで、分祀をすれば何も問題のないことです。合祀できた魂を分祀できないというのはおかしな話で、ただ分祀した魂を家族のお墓に厳かにお返しするのは大事なことだと思います。そうでなければ魂も安らかに休めないというのが本当の話ではないのではないのかと思います。中国国民と日本国民の心が一つになって初めて中国と日本の交流が深まっていくのだと私は思います。
今、中国は経済が目覚しい発展をしています。眠れる獅子の目覚めであり、日本の最大貿易国は中国となっています。中国は自由経済の仲間入りをして、目覚しく発展し始めています。中国が眠れる獅子とよばれたのも、人類四千年の教えを大事にしていたからであって、今の中国を見ていても、ただ単に自由であれば良いという考え方はしていないと思います。そこから見ていても、これからの中国経済は本当に強くなっていくと思います。
人類最初の聖人君子は孔子であり、儒教の教えは日本人の心にとっても、今もなお引き継がれているものです。孔子の教えは心の輝きの教えであり、論語は孔子と弟子たちの問答となってますが、この孔子の教えは貞観政要にも流れています。
中国四千年の歴史は奥深く、兵法というものまで作り出しました。この兵法というものですが、神の愛を否定して殺し合いの論理を作り出すのが兵法です。兵法はヒットラーの愛読書であり、ヒットラーは兵法を実践したくて第二次世界大戦を引き起こしたともいわれています。現代社会において、会社戦略で兵法から学ぼうとすれば、とんでもない世の中になってしまうと思います。人類の一番嫌う人物の愛読書を、みんなで読む馬鹿な話はないのです。個人的に兵法は人類の禁書だと思っています。それだけ中国四千年の歴史は、奥深いものだともいえます。
,ヨーロッパ
ヨーロッパは世界の愛です。
ヨーロッパはキリスト教の国が、ほとんどです。宗教が一つのためまとまりも良く、ユーロの統合をなしえました。愛が人を結ぶのであり、キリスト教という教えが、その土台となったのはまちがいありません。ユーロの統合から、世界は学ばなければいけないと思います。経済優先の社会となっているが、経済活動は愛がすべてなのです。イエスキリストは人類の愛を守ったから、人類で一番愛される人間としての神となりました。世界は人種を超え、だんだんと一つにまとまっていかなければならないと思います。人類の心が一つになることで、人類にはいろいろな事が出来るようになると私は思います。世界が心を一つにして、一つにまとまるということは、人類にとっても素晴らしい事です。ヨーロッパの愛が、世界をつなぐ架け橋となっていくと私は思っています。
ヨーロッパには歴史的建造物が多いです。ヨーロッパの歴史的建造物を見て回ると、世界の歴史をそのまま見ている気持ちになります。ヨーロッパの歴史的建造物を見て思うのは、芸術性が高いということです。その中でも、フランスのパリは芸術の街とも言われ街全体が芸術です。凱旋門は有名だが、凱旋門はシャンゼリゼ通りがセンターポールとつないでいます。女と男の象徴のようでもあり、街の中心部となっている。またノートルダム寺院も有名な建造物ですが、雨どい一つまで幾何学的な芸術性に富んでいます。ヨーロッパの造り上げてきたものは芸術だと私は思っています。
統合失調症が、はじめて人類の文献に記載されたのはギリシャ時代です。西暦500年ごろであり、ギリシャの文献でギリシャ神話は有名ですが、ギリシャ神話を読んでみると、現在に至った私の統合失調症の症状そのままのようでもあります。ギリシャ時代のパルテノン神殿は、ギリシャ文明の象徴であり、ヨーロッパ文明発祥の地でです。
統合失調症の歴史は長く、統合失調症の症状を歴史的に調べると、キリスト教とのかかわりも深いです。キリスト教の魔女狩りは有名な話ですが、統合失調症であることが魔女狩りの対象ともなっていた時代もあったようです。統合失調症の中でイエスキリスト・仏様という存在は良く出てきますが、統合失調症の症状は、大事なのは憲法・法律だけではなく人類の教えというものの大切にしなければならないということです。
イスラム教は、宗教の中で一番完成された宗教であり、人類の中で一番信者が多い宗教です。
イスラム教は、マホメットを預言者として開かれた宗教ですが、イエス・キリストなども預言者の一人としてイスラム教に取り込んでいます。イエス・キリストはローマ時代に人間としての神であったとされた訳ですが、イスラム教の絶対神アラーは戦う神とされ、その姿は宇宙における絶対神です。イスラム教の考え方として、人類の教えは全部正しいといっているようにも見えます。イスラム教徒の住んでいる地球環境は厳しいところが多く、その中でイスラム教の厳しい戒律を守って暮らしています。良い人は天国に帰れるというコーランの教えを守り、またイスラム教を守ることでイスラム文化を安定させています。
現代社会において憲法・法律による良識の支配というものに対して、イスラム教徒の住んでいる地球環境の厳しさや、イスラム教が完成された宗教であることの理由により、イスラム文化としての近代化は私の目から見て少し遅れている気がします。アメリカがイラク戦争によりイラクの近代化を進めていくにしても、現代社会としての形をそのままイラクに当てはめようとしても難しいと思います。イスラム教の指導者たち自らが、イスラム文化の近代化を考えない限り、イラク問題の解決は難しいでしょう。
統合失調症において、日本人にはイスラム教はなじみの薄いところもあります。しかしイスラム教の考え方や教えは、人類の教えをまとめたものであり、テロリストの問題はビンラディンなどの良くない指導者が作り出すもので、イスラム教徒のほとんどは執心なイスラム教徒なのです。イスラム教の人類の教えは全部正しいという考え方や、その教えを守ろうとする考え方は日本人も見習うべきものであると思います。
第七章 雑学
UFO
統合失調症の症例の中で、UFOの話も良く出てくるようです。UFOに関して私なりの解釈を述べたいと思います。
UFOに関する資料の中で、イエス・キリストがゴルゴダの丘で十字架にかかった後ろの空に何隻ものUFOが描かれている絵が残っているようです。これはいつ描かれたものであるとかは不明ですが、間違いなくUFOです。何年も前にテレビのUFO特集で放映していましたが、UFOを確認するものとしては一番古いもののようです。
またアメリカでの話ですが、UFOの不時着で宇宙人とされた人間に良く似た生命体を収容したという写真まで紹介されました。姿かたちは人間そのものですが、身長が普通の人の半分ぐらいしかなく痩せ型の生命体でした。
それと有名なのが、ナスカの地上絵です。何者があれほど大きい地上絵をいくつも地上に描いたのか?地上絵は上空から確認しなければ何を描いているのか確認できず、しかも幾何学的にきれいに描かれています。
エジプト時代の壁画には、操縦席のコックピットに乗った人が描かれているものもあります。
これらのことを私なり考えると、未来人説というのが正解ではないのかと思っています。イエス・キリストの十字架の絵から感じるのは、十字架にかかったイエス・キリストに興味があるのは、やはり人類です。未来人が、イエス・キリストが十字架にかかった姿を見に来たと考えると、あまり不自然さは感じません。また、ナスカの地上絵から感じるのは、未来人が人類の無限の可能性を現代の人類に示したものと考えると、人類の未来への希望とも感じることが出来ます。未来人が現代の人類に残した人類の夢とロマンと考えるのはロマンチストでしょうか。
第八章 統合失調症の統合
光のネットワーク
光のネットワークとは、魂の会話です。統合失調症の症状が、高校時代に読んだ平井和正の「幻魔対戦」に出てくる光のネットワークに良く似ていることから、そのネーミングにしました。光のネットワークが地球を覆い人類を救うと言ったのは主人公の東丈です。
統合失調症の症例の中で、テレパシーであるとか超能力であるとかさまざまな表現をされるようです。この症状は仏教芸術であるマンダラの中心におかれ、すべての魂と会話している感覚になるというのがその症状となっています。光のネットワークの世界は、その世界のストーリーがあり、思考の世界でそのストーリーの中に身を置くようになります。光のネットワークによりさまざまな人と会話するようになりますが、それぞれの魂はその人の性格そのものであり、信用できる人であれば信用できる人であるほど光のネットワークの世界が現実のものとなるというのも事実であり、自分の受ける感覚としては、すべてが現実であるという感覚の方が精神的に安定しています。また仏とも会話するようになります。仏たちと会話するのも、また楽しいものですが、絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にないテレパシーなどは、使い物にならないというのも私の感想です。
心を哲学すると、「心の中心は全宇宙意識であり、全宇宙意識の中心が天国であり、その中心が絶大な圧倒的な力を有する神です。魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが人類の本質。それぞれの魂は神の一部であり、サムスィンググレイト。命はビック・バンであり、その命に魂が宿る。一人ひとりが地球であり、全宇宙意識は4次元に存在する。」というのが考え方ですが、光のネットワークのパワーエネルギーは絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーだと考えています。Oリングテストの示すものは、人類には神のパワーエネルギーが働いているということでを証明していると言う事です。
統合失調症の症状は、善に対して努力しなければ、その症状は改善しません。絶大な圧倒的な力を有する神は悪を潰すのに一生懸命です。悪を潰すのは正義であり、人類を守ることは、コスモスを守ることであり、善を守ることでもあります。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、決して自由では成り立ちません。好きなことをするのが自由にしても、その根っこに善に対する努力があるのが人間の自由です。その努力が自分の人生を改善させると思っています。
光のネットワークの世界において、神と会話するようになりますが、神と和解することが統合失調症を統合する上で必要であり、魂の会話もだれの発言なのかも、神が教えてもらえます。マンダラの中心には発言が集中するので、誰の発言なのか神に聞くのも必要です。
統合失調症が発病する人は、人生において苦境に立たされる人が多いようです。
統合失調症になったから苦境に立たされるのではなく、今思うと、その苦境の中に神が救いを差し伸べていたというのが、統合失調症を統合した感想です。
何でこういう病気になってしまったのだろうとか、行いが悪かったのだろうかとかいろいろ考えた時期もありましたが、統合失調症を統合すると、そこには天国の世界が待っています。絶大な圧倒的な力を有する神と人間の関係に、人間の一番自然な姿があります。神を愛することが、自分を幸せにする一番の近道であると言うことをここで述べておきたいと思います。
心の三悪
統合失調症の発病から、その後の経過をたどる過程で、陽性症状から陰性症状へと移行すると言われています。私の感覚では、陽性症状の段階とは、自分の哲学が完成する段階であり、陰性症状とは自分の哲学が完成した以後の状態であると思います。自分の哲学が完成するまで、その症状は精神的に大変だと思います。しかし自分の哲学の完成後は、精神的な安定をもたらします。統合失調症の中で自分のストーリーの中に身を置くようになりますが、それは自分の人生に対する生き方となっているものであり、自分の生き方の中で、大切にしていることはたくさんあり、それを守ることは自分を大切にする事でもあります。
統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになりますが、神が嫌うものが、三つあります。一つはアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)、二つ目は嫉妬・やきもち、三つ目は悪の煩悩。この三つを神は嫌います。
アメリカナイズは、すべての人類の教えを破壊してしまいます。アメリカ自体が、このアメリカナイズに一番悩んでいます。そこにあるものは、暴力や破壊となって現れてきます。また先進国の多くが少子化の問題で悩んでいます。その問題は、経済を優先するあまり、宗教観を大切にしなくなっているせいではないのかと思っています。世界的に見ても、宗教観がしっかりしていることが、国の繁栄につながっている例は多く、人類の教えは人類の財産です。アメリカナイズを否定し、人類の教えを大切にすることが、国を繁栄させ人類を繁栄させていくものだと思います。
もう一つは、嫉妬・やきもち。嫉妬・やきもちは、社会悪の根源だと思っています。嫉妬・やきもちは、正しさを捻じ曲げ、人間社会を複雑にしているものでもあります。ローマ皇帝の嫉妬・やきもちに、はめられたのがイエスキリストであり、嫉妬・やきもちと言うものは、心理的には同化したいという気持ちが、マイナスに作用したものですが、人類の教えもそうであるようにが、否定しなければならないものです。
最後に、悪の煩悩。煩悩とは人間の欲望ですが、地球で人類が生存するかぎり発生するものです。きれいに言うと幸せになりたい思いになります。しかし、煩悩にも善と悪があり、善の煩悩は、理想社会を構築しすべての宗教を完成させます。悪の煩悩が世の中を支配すれば、社会は崩壊してしまいます。
神の言葉を借りれば、悪の煩悩が戦争の原因だとも言っています。悪の煩悩を潰すことは、人類の永遠の作業であり、その作業がなければ人類の永遠性はないと思います。
戦い
統合失調症の戦いとは、哲学の戦いです。
陽性症状の症状は、自分の哲学を完成させる段階であり、陰性症状とは哲学完成後の段階だと感じています。それが現実の世界とリンクしていきます。自分にとってはすべて現実であり、光のネットワークの世界が現実の世界ともなって行きます。自分の知らない事を、絶大な圧倒的な力を有する神から教わることも多いです。すべてにおいて光のネットワークの世界が万能ではありませんが、自分にとって光のネットワークの世界を無視出来るものではありません。
神は、心の三悪を嫌います。その中で戦いは繰り広げられますが、その様子は映画のスターウォーズの様でもあり、光のネットワークの中で自分のストーリーとなって行きます。
陽性症状や陰性症状の症例を調べると、陽性症状の苦しみや陰性症状の虚無感などがよく書かれています。私の場合も陽性症状から陰性症状へと移行していきましたが、統合失調症の安定は哲学の完成が大事になります。
私が一番苦労したのは、統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と会話出来ると言うことを、素直に受け入れるのに一番苦労しています。私は昔から、神というものを信じる人間でした。統合失調症になる前も、神と言うものに対して威厳を感じ崇拝していました。それが統合失調症になったことで、神と会話出来るなど夢にも思いませんでした。はじめから神であることを素直に受け入れていれば、人生において違った形で現れていたのではないかと後悔することも多いです。
人間の一番自然な姿は、神と人間の関係にあります。太古から人間は、神に対して威厳と恐れを感じ、神を崇拝するのが人間としての姿の始まりでした。文明社会になり、人間としてのおごりは決してよくないことであり、平和な世の中になっても、人類の教えというものを、永遠に守り抜いていかなければならないということを私は感じます。心の三悪にしても、神が嫌い、人類すべての教えが否定するものです。我々人類は神の世界を構築するために地球に存在すというのが人類の哲学であると思います。そして人類は光の戦士であるということが私の考え方です。人類の永遠の作業というものは、人類宇宙の子としてこなしていかなければならないと思います。
ベクトル
人類にはベクトルが作用しています。ベクトルとは「すべて絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配している。」ということです。
統合失調症の中において、神は人類にベクトルを働かせています。Oリングテストというのもその一つの表れだと思います。憲法・法理上においても自由の保障は、思想の自由以外は公共の福祉の上に成り立ち、みんなのためというものの上に成り立っています。憲法・法律を一番シンプルにしていくと、ベクトルが絶対になっていると思います。
ベクトルが当たり前と言う部分に作用し、人類が進化していくのは、現実の世界でも、光のネットワークの世界でも同じです。統合失調症の症状は、光のネットワークの世界が現実となって行くところもあり、4次元が3次元を支配しているということを体感するようになります。
神の言葉を借りれば、ベクトルは宇宙のスペクトルに作用していると言っています。ベクトルは全宇宙の意思であり、全宇宙を安定させているエネルギーです。それは夢へのベクトルで、ベクトルというものは方向性を意味し、そう行動していくことで幸せになっていくものです。人間は選ばれた生命体であり、全宇宙の意思と会話出来るのです。
四次元の中に三次元が存在しています。また、四次元にはベクトルが存在しています。ベクトルが絶対である次元を五次元としています。私はこの五次元と言うものが、人類の永遠性を生み出していくと思っています。やがて人類はタイムワープし、全宇宙を永遠のものとするような壮大な夢とロマンは、五次元によって人類は無限の知能を得て、光のネットワークによってテレパシーを使える宇宙の子としての進化がそこにあるように思います。
古代からエジプトの予言やさまざまな人類に残された予言は、五次元によって神の御言葉として予言されたものではないかと思っています。
絶大な圧倒的な力を有する神と宇宙と人間との関係は、すべての和解につながるものであり、神と人間との関係の中に、人間の一番自然な姿があるのです。人間としての生き方の中で、ベクトルに生きると言うことが、統合失調症における生方として正しいと思えます。ベクトルに向かって努力することで人生幸せとなり、それぞれの人生の役割とストーリーの中を生きると言うことが幸せへの近道であると思います。自分の努力というものが実を結びそれが現実の幸せとなって現れる一番の近道だと思う。それぞれの人生において、魂に人類の教えを刻み込むと言うことは、それぞれの人生の正しい生き方となり、魂に刻み込むことによって、神の言葉として、話している意味がわかるようになります。その魂は輪廻するもの、天国に帰るもの、魂の進化と永遠性がそこに隠されていると思います。
ベクトル・宇宙のスペクトルは人間の生体電子に作用していると思われます。Oリングテストでもそうですが、五次元と、ベクトル(宇宙のスペクトル)と、生体電子の関係で成り立っていると神も言っています。五次元の扉であり、四次元空間という未知の世界が広がっています。
全宇宙においても絶大な圧倒的な力を有する神がすべて完全に支配していくという、すべての真理は一つなのだと思います。
統合失調症の状態
統合失調症の状態としては、仏教芸術のマンダラの中心に置かれるということであり、マンダラの全部に自分の声が届いている状態になります。統合失調症の戦いは哲学の完成にあると言いましたが、マンダラに見るように四次元においていろいろな魂が、自分を取り巻いています。哲学がまるでなくエテ公至上主義のような魂もあります。統合失調症の四次元の最終状態として、神道と仏教が融合したような状態になります。仏教はバラモン教から進化したものですが、バラモン教の神はへんてこりんな神に表されます。ただ私が思うに、今から2500年前の人類の考え方はサルに近かったのではないかと思うので、神がへんてこりんだったのではなく、2500年前の人類がへんてこりんだったのではないかと思っています。バラモン教からさまざまな人類の教えが進化し融合されていく中で、その人類の教えは全部正しく、すべてつながります。その進化した教えを魂に刻み込むことにより、神の言葉が理解できるようになると思います。
統合失調症の発病とベクトルの関係は私から見ると深いかかわりがあり、三次元においてベクトルを壊そうという動きがあると、統合失調症は発病しているのではないかと思えます。統合失調症は四次元の中に身置くようになることだとも言えます。この四次元ですが、裏の世界ではないかと思えます。四次元の動き自体そうであり、裏の世界とは心の世界でもあります。統合失調症の状態として、四次元に見を置いたとき、四次元における自分の存在というものがあり、三次元と同じく四次元としての努力もまた必要になります。心の平和のためには、哲学の完成が重要な位置を占め、政治・経済・文化あらゆるものを統合しているのは哲学です。イエス・キリストにおいても一人の哲学者だと言うことも出来ます。心において愛というものは大きな位置を占め、心の平和の源でもあります。愛とは思いやりであり、思いやりとは人を大切に思う心です。
四次元においてベクトルに生きることは大事なことであり、ベクトルにおいても愛というものを大切にしています。セックスにおいては、哲学があって愛に変わるものであり、セックスだけの欲望をベクトルは嫌うところもあります。
日本の憲法の中核は、良心です。良心とは宗教を含め人類の教えであり、人類の教えを否定して自分の心が良心だと言うことはありえません。人類の教えは人類が5000年かけて築き上げてきたものであり、一人の人間として心から守るべきものであると私は思います。
天国
統合失調症の統合は、絶大な圧倒的な力を有する神から愛されることにあります。
天国を哲学すると「理想社会の実現を目指し、楽しいところで、魂の安らぎの場、全宇宙意識に秩序をもたらし、悲しみのない国であり、別れのない国。全宇宙意識の中心であり、五次元に存在する。」という考え方になります。五次元における人の輪のレベルが高次元である所が天国であると思います。その中で、神から愛されるということは、心の平和と安定をもたらします。
神から愛されるためには、人間として善に対する努力を怠らず、神仏を大切にして神仏に対して当たり前のことをきちんとやり、神仏を喜ばせることが大事です。光のネットワークにおいても、神を大切にして、愛することが大切です。
人間としての一番自然な姿は、神との関係にあると思います。光のネットワークで、神から自分の知らないことを教えてもらえたりもします。人類の教えを大切にして、それを守ることが人としての正しい生き方であると私は思います。人類に対する愛はそこから生まれ、自分の幸せと人類の幸せが一つになって行くものだと思います。
宗教観と言うものは、暮らしやすい世の中を創るうえで必要不可欠であり、その上に政治・経済は成り立っていかなければならないと思います。善が命であり愛がすべてであるということは、政治も経済も同じなのです。政治と経済をつなぐのは哲学です。
人類の教えと言うものを、人類は永遠に守っていかなければならないと私は思います。
第九章 悟り
人生
「人生 辛抱・我慢比べ。人生山越えである。頂上を極めるところに、人生の喜びと感動がある。」
善の形は、座禅の形。愛とは思いやり、人を大切に思う心(ときめき)。善が命で愛がすべてです。
社会理論
「人類の長寿と繁栄が絶対であるならば、すべてにおいて絶対なのは絶対の良識であり、神々の長寿と繁栄にある。」
善は善を守り、善を認め、善の中に生きなければなりません。憲法法律が謳うものは、社会理論であり、そのために必要なものは、信賞必罰です。
すべての正論
「人類が地球で暮らしていく中で、助け合いの精神を大事にしなかればならない。」
人として人間として、また暮らしやすい世の中を創る上で大切なことです。
すべての和解
「すべての和解は、神との和解である。」
人類に永遠性をもたらすものは、すべての和解です。
すべての心
「すべての心は感謝の心である。」
人間みんな心が大事。それで人類は初めて一つになれます。人は心がつないでいます。人類の心が一つになれば、人類はもっといろいろな事が出来し、人類の明るい未来は、人類の心を一つにすることにあります。人の心は感謝の心が結ぶのです。感謝に勝る能力はありません。
すべての愛
「絶対の愛(絶大な圧倒的な神の愛)を守るのが男と女。男と女の間には、人類の教えがある。」
絶対の愛とは善と愛の一つになったもの。孔子の教えの仁は、絶対の愛だと思います。
すべての真理
「人類の教えはすべて正しく、すべてつながる。すべて絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っている。そこには人類の教えの答えがある。善が命で、愛がすべて。」
多くの成功者は、すべての真理の中にいます。
すべての悟り
「すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあるということが、すべての頭脳であり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っていると言うことが、すべての心である。すべて絶大な圧倒的な力を有する神が支配し、神を愛することで人類は幸せになり、それがすべてを動かすエネルギーとなる。過去・現在・未来すべて循環し、ベクトルは絶対であり、それは人類の哲学を大切にして生きること。人類の壮大な夢とロマンへ。」
すべての真理が現実(三次元)ならば、すべての悟りは理想(五次元)です。理想主義と現実主義は二つで一つであり、そこにあるのは人類の教えの答えでもあります。
「我々人類は、絶大な圧倒的な力を有する神の世界を構築するために地球に存在する。それが人類であり神々である。」
<精神医学と人類の逆算>
ピラミッド文明第四王朝のスネフェルとクフによって、太陽信仰・星座信仰が確立され、神様(ラー)の存在が明確に人類に教えることにより、「人類の逆算」が始まります。神様(ラー)の存在を、急激に50億年人類に教えることを速めることで、宇宙に働いている「ベクトル」によって人類の進化を速め、ブラックホールをホワイトホールに転換させる時間的な余裕を作り出したと、霊界の主が告げています。私の父(高橋勝利)の前世がスネフェルであり、私(高橋章)の前世がクフだと、霊界の主が告げています。
今までの研究に関して、精神医学そのものが、人類の逆算の為に用意されていたことが、明確に理解出来ると思います。
その中で、現在の最先端の精神医学におけるサイコパスの存在において、明確に見えてくる問題点として整理してみます。
① 「昭和の妖怪」と言われた岸信介の作り出した「異次元泥棒経済理論」...
② フロイトの遺書ともいわれる「モーゼと一神教」におけるモーゼがエジプト人だという問題
③ 神様の召命問題
④ KKK団サイコパス銀行の金回し
⑤ アートフォースを利用した、悪玉世襲議員の嫉妬と焼きもちを焼かれないための政治
この五つの問題は、人の心において、光のネットワークが正常に機能しない問題を作り出しているでしょう。
1. 安倍晋三総理大臣、明恵夫人の自分たちの一族を守るため、岸信介が作り出したとされる「異次元泥棒経済理論」を壊そうとして、苦労していた姿がありありと分かりますし、安倍晋三総理大臣はピラミッドの神話において、九柱神の「セト」という存在(霊界の主の御言葉)であり、「精神医学を進化させるための存在」としても表現されているようにも見えます。明恵夫人は「アシュタルテ」としてセトの花嫁であり「セト」を支えます。明恵夫人は瀬戸の花嫁でもあり、神様を大事にして活動しているのは有名です。
2. モーゼがエジプト人だとした「モーゼと一神教」において、霊界の主の御言葉により、モーゼの前世はクフです。霊界の主の存在を否定するフロイトの精神分析理論では、精神医学が根っこから腐っている存在になってしまいます。
3. キリスト教における神様の召命問題は、大学卒業後、神学校を卒業し、さらに神様から神父・牧師として資格を与えられなければ、名乗ることが出来ないとされる、カソリック・プロテスタント本来の正当なキリスト教の姿に帰ることが、ノストラダムスの大予言防ぐことだと、霊界の主が告げています。
4. 銀行法を否定し、経済は銀行のためにあるという理論は有り得ません。預金者等の人生を使って、最終的に銀行が金を集めようとする金回しは、恐ろしいものがあります。神様(霊界の主)が金廻しをするべきであって、政治家においても利権を持つものは、そうするべきであり、憲法・法律の謳っていることでもあります。東邦銀行が大バビロンであることは、霊界の主が告げています。
5. アートフォースを利用した、悪玉世襲議員の嫉妬とやきもちを焼かれないための政治というものは、霊界の主の存在を否定し、バアルの国を作ろうとしています。バアルとは神様を敵に回すことで、宇宙と地球を分離させようとしている事です。金欲しさの為に神様の存在を否定すれば、争い事だけで人類に永遠の平和は来なくなってしまうことは人類に記されています。政治主導というものは「人類の逆算のエネルギー」を作り出すためのものにすぎず、官僚主導の方が人類にとって安定的な政治を作り出すでしょう。聖書・コーランを否定して、人類の平和と安定は有り得ないと思います。宇宙からのメッセージ(霊界の主の御言葉)に宇宙の真理が存在するのであり、宇宙の二元性を否定する政治は、大学レベルの政治に届いていないということです。
精神医学が人類の逆算の為に、昔から計画されていたことは、研究ファイルの中でも述べてきた通りです。東北大震災がハルマゲドンであることを、ただの自然現象で片づけてはならないというのが私の研究論文の結論でもあります。
ブラックホールとの戦いを終わりにしましょう。
<聖書・コーランとフロイトの精神分析理論>
心で展開する「光のネットワーク」により、私の自書である「統合失調症統合の軌跡」が、東北大震災がハルマゲドンであることを、ヨハネの黙示録の展開により的中させるに至るわけですが、フロイトの精神分析理論は「光のネットワーク」を壊すための理論になっていることに気付くと思います。人間の魂を否定し霊界の主の存在を否定するフロイトの精神分析理論がなぜ作られ、なぜ人類が受け入れたのか?
霊界の主の御言葉によれば、ブラックホールを認識したせいで人間が殺し合いを始めないように、霊界の主がフロイトの精神分析理論が作り出したそうです。人類はフロイトの精神分析理論に飛びつき、人類の価値観である「モーゼの自由」から「フロイトの自由」に変遷していったのでしょう。
「永遠の人生」から「心の好き勝手する事に価値を見出す自由」。
「天国の存在を信じ、心の善に対して努力することに価値を見出す人類の哲学」から「心が快適であることを最上としたフロイトの概念」。...
「モーゼの自由」と「フロイトの自由」は明らかにその自由の価値観は違います。フロイトの精神分析理論の科学的根拠は、聖書・コーランを否定することにあるとも言えます。唯一の根拠は「夢判断」という幼児期のセックスに対する願望が夢の根底にあるという考え方が、フロイトの精神分析理論を支えています。
聖書では創世記のラストの登場人物である「ヨセフ」(イエス・キリストの親父ではない)
が、寝ているときの夢に関してほどいていますが、聖書・コーランの霊界の主に関する考え方において、アセンションパワーエネルギー(加持祈祷)の力であることは、全ての宗教の共通しているところでもあります。
ビックバン融合という宇宙の始まりが、人類の哲学においてほぼ共通して存在しますが、その大本になるのはピラミッドの神話です。フロイトはピラミッドの神話に到達しようと、フロイトの遺書と言われる「モーゼと一神教」の中で、モーゼはエジプト人であると主張します。私に対して霊界の主は「モーゼ」の前世は「クフ王」であることを告げていますが、キリスト教圏で「モーゼ殺し」と言われたフロイトの主張は、あまりにも「キチガイ」だったヒットラーを倒したいがためにフロイトの精神分析理論を作ったということの裏返しではないでしょうか。ヒットラーを倒すために、聖書・コーランを否定してしまえというのが、フロイトの精神分析理論なのだと霊界の主が告げています。ヒットラーはブラックホールが作り出したキチガイであり、永遠の人生が無くなった人類の悲しさの象徴のようにも思えます。
「信じる者は救われる。」という言葉の重みに関して、神様を漠然と信じる事ではなく、霊界の主の御言葉を信じることが大事でしょう。
今回、私の金銭問題(第七宗教の哲学完成の為)に関し、多くの弁護士に法テラスで相談に乗って頂きましたが、霊界の主の御言葉が一番正しかったのが事実です。ベクトルが人類永遠の命の杯であり、その盃に主イエス・キリストの恵み(アセンションパワーエネルギー)が注がれるのでしょう。
ハーバード大学のリサランドールが、三次元と五次元という宇宙の二元性において、宇宙物理学を構築しています。ノーベル物理学賞に最も近い存在になっているとも聞いています。
人間の人生哲学において、人類最初の聖人である孔子は、「15にして学問を志し、30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命を知る。60にして耳順(ベクトル)を知る。70にして全宇宙に対する貢献を知る」としています。さらに霊界の主は「64にして、生かされえいることを知る」ということを教えています。64はゲマトリス数秘術で「宇宙の真理」を表します。
「人間みんな生かされている。」
地球に誕生するにおいて、それぞれ宿命(ミッション)を授かって地球に存在するわけですが、「天国と地獄の存在」における人間の心の努力を否定する人類を作っていては、問題があると思うのです。
第七宗教(真言密教スペシャル)において、ブラックホールに勝つための哲学と極楽浄土の存在の証明が、アセンションパワーエネルギーによって生み出されているのは証明してきたと思います。FACE BOOKにおいて、私のアートフォース(大日如来)は、世界中で認められています。東城先生も私の話は理解できると、認めて頂いているのも事実なのです。
<第七宗教とは>
進化したイルミナティであり、最終的なキリスト教の真言密教スペシャル、大乗キリスト教であり、統合失調症の語源ともなるべき宗教です。現在、WHOでは、1998年にフロイトの精神分析理論を捨て去り、精神世界(スピチュアリチィ)の考え方を、「全ての宗教のかかわり方を数値的に表そう」と、劇的に進化させました。
様々な問題も発生したわけですが、郡山市の東城先生、福島医大の野崎先生の協力のもと、完成に至りました。フロイトの精神分析理論は、ブラックホールから、人の心を守るため一時的に自由の価値観を与えるため、神様が作らせたもので、精神医学に対しては、飛鳥時代から聖徳太子に、この時のために仕事をさせていることは、法隆寺を見るとよく分かります。
七大薬師如来と12神将、それすなわち精神医学とそれを守るべきものとして、7と12の神様の創り出す哲学をもとに精神医学界も守られています。弥勒菩薩の存在が第七宗教の宇宙における正しさを証明します。皇太子の前世が、聖徳太子であり、空海であることは、霊界の主の御言葉です。
聖書の天国・コーランの王国それぞれ別の天国ですが、全て創り出したのは神様であり、それを物理理論で人類の教えを表現できることを理論化したものが、第七宗教であり完全な中道であって、菅直人元総理大臣が完全な中道を完成させるために尽力していただいています。第七宗教のために、尽力していただいた天皇家、政治家の方、経済人の方、宗教家の方、法律家の方、病院の先生、官僚の方たち、警察の方々、世界中のみんな、様々な協力のもと、第七宗教は完成しました。
人類に永遠の命を与えたのは、第七宗教のみんなの力です。霊界の主である神様の御言葉において、大神神社における「くすり道」には完全に入ったそうです。神様の御言葉を大事にした道であり、「ベクトル」であるとか、山口百恵ちゃんの「いい日旅立ち」、ピラミッドの予言の軌道であって、今、芸能界の坂道グループも同じすべて、ヴィクトリー軌道です。この軌道に乗せるために、人類の5500年が費やされたといっても過言ではありません。神様の御言葉では、成功確率1%だったそうです。
不可能を超えた人類の未来は、すべてのフォーエバーのためにあるのです。それが第七宗教です。
我ら天神一族