「統合失調症統合の軌跡」 光の悟り

  光の悟り

        統合失調症統合の軌跡

  目次

  プロローグ

 

  光の戦士論抜粋

 

  相対性理論

   ベクトル

    ベクトルという表現と社会の動き

    ベクトルの方向性

    ベクトルバランス

   相対性理論とは 

四次元物理学・相対性理論

二種類の相対性理論

相対性理論の相対という意味

相対的な時間

光の常識

光の速度は絶対

物質と時空

相対性理論統合失調症

 

 

  量子論

   光のネットワーク

   量子論とは

    ミクロの世界・量子論

    量子論の原理

    量子論の持つ相補性

    量子論による無とは

    光のネットワークと量子論

   

   超大統一理論

 

   光の悟り

 

     人類2000年キーワード

 

   参考文献

 

プロローグ

 統合失調症という症状は、精神医学の中でうつ病と並び、二大精神病と呼ばれます。人類の歴史上登場するのは、文献的にはギリシャ時代と言われ、統合失調症の症状は、ギリシャ神話の物語のようでもあります。精神医学的には、幻想や妄想と言われ、陽性症状から陰性症状に移行し、全体的に時間とともに症状は落ち着いていくようです。

症状の安定には哲学の完成が必要で、この症状の発病は20歳前後と若く、自分としての哲学が、まだ発達段階の時に発病します。

私の著書の光の戦士論では、統合失調症を統合するに至った私の哲学を書き綴りました。神と人間の関係という、人間とは人類とはという問いに、四次元という概念のもと哲学を完成させていきました。

また、四次元ストリービックバン伝説では、私の統合失調症の症状における16年のストーリーを簡潔に書き綴りました。

 今回の光の悟りは、相対性理論量子論という、宇宙の物理理論を加え、考えていったものです。相対性理論量子論は20世紀の二大物理学と呼ばれ、現代の物理学あり、それは四次元物理学です。

有名なアインシュタインが今から100年前に考え出された理論が相対性理論であり、同時期に有名な物理学者が集まって作られた理論が量子論です。相対性理論は、時間と空間の関係における時空という概念を誕生させ、その時空とは四次元と三次元との関係を表します。

 量子論とは、アンシュタインと同時期の有名な物理学者が集まり作られた、ミクロの世界の物理学で、その理論を完成させたものです。

 現代の最先端技術であるカーナビゲーションや携帯電話などは、この二大理論により出来ています。

 光の戦士論で哲学を完成させていきますが、統合失調症の統合を、物理的な見地で哲学を織り交ぜながら考えたものです。

 本の出版にあたってお世話になった友人、東城クリニックの東城先生、武田出版の皆様には心から感謝致します。

 

              高橋 章

 光の戦士論抜粋

  統合失調症の統合において、哲学の完成が大切であることを光の戦士論の中で述べましたが、その中で、症状を物理的見地から表すのに、光の戦士論から抜粋したものを述べていきたいと思います。

 光の戦士論で述べましたが、絶大な圧倒的な力を有する神をベクトル。心における魂の会話を光のネットワークと表現しました。

私が思うに、統合失調症の症状とは、霊的な世界が広がり、四次元との関わりが生まれると考えています。それは昔流にいえば、黄泉の国とも呼ばれる世界で、統合失調症の統合により、霊感が強くなるという状態になります。

しかし、発病したばかりの頃は何も分からず、どうしていいのか解りませんでした。統合失調症が発病すると、四次元における自分の存在があり、魂が現に全宇宙意識に存在しているということに気づくようになります。四次元とは心の世界であり、その心の世界において、人類の教えが大切であり、また憲法・法律が心に明るさ、楽しさ、輝きを生み出しています。哲学が自由を統合し、憲法法律においても人間の自由は謳われ、何でもしてもよいのが、人間の自由ではありません。憲法・法律の後ろに人類の教えのあることを知らなければ、憲法・法律で謳っている内容が把握できなくなってしまいます。

魂が永遠であることが人類の本質であり、その全宇宙意識の永遠の輝きが、人類の永遠の命であると私は思っています。人類の教えを大切にすればするほど、人類が幸せになり、絶大な圧倒的な力を有する神と人類の関係に人間の一番自然な姿があり、人類の善に対する努力が命であるならば、絶大な圧倒的な力を有する神の愛がすべてである。それは人類の持つイデオロギーであり、人類すべての教えの答えでもあります。人類には哲学があり、我々人類は絶大な圧倒的な力を有する神の世界を構築するために地球に存在す。それが人類であり神々である。その哲学において、繁栄を築き上げて来たのが今の人類の姿であると思います。

 聖書の中で出てきている会話も、四次元の存在を肯定すれば自然に聞こえるものです。人類の教えはすべて正しく、すべてがつながり、宇宙に存在するもの、すべて肯定して考えなければならない。四次元にはベクトルが存在し、ベクトルを絶対にした次元が五次元であり、その一番の高次元が天国として存在するのだと思います。歴史上、宗教の移り変わりを見ても、五次元=宗教であることに気付きます。

謎とされるナスカの地上絵やピラミッドの預言など、地球上には様々な謎が込められています。四次元と三次元の関係を肯定的に考えていくことで、地球に存在する謎も解きほぐされていくと私は思います。

 四次元における絶大な圧倒的な力を有する神との会話や、魂の会話である光のネットワークは、宇宙のスペクトルに作用する絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーとして、人間の生体電子に作用しているというのは、絶大な圧倒的な力を有する神の言葉です。それは、Oリングテストとしても、三次元に作用しています。

 統合失調症の統合において、ベクトルの考え方と、光のネットワークの安定が大切であり、統合することにより霊感の強い状態となります。

 統合失調症の様々な症例を調べてみると、それぞれにおいて、四次元のストーリーがあり、それぞれのストーリーを生きるようになります。宗教的に表現すればミッションであり地球での役割です。

現代の精神医学で幻覚であるとか、妄想であるとか言われていますが、統合失調症の発病は、ベクトルが創り出している三次元と四次元の調和が崩された時に、発病しているように見えます。

宗教的なものや霊的なものは四次元にあり、修行によって四次元に入る人もいれば、自然に四次元との関わりを持てる人がいるのだと思っています。

統合失調症が発病するのは、結婚や就職などストレスが多く働いている時、その三次元と四次元のバランスにより創り出されている調和を壊す働きが加わると、発病するケースが多いようです。

 今回の、光の悟りでは、物理的な角度から、ベクトルと光のネットワークを考えていきたいと思います。

「光の戦士論」・「ビックバン伝説」改正文

 

 光の戦士論で絶大な圧倒的な力を有する神のことを、正物質と言っていましたが、正物質は正物質であり、反物質反物質です。相対性理論における現代物理学から考えて行きましたが、絶大な圧倒的な力を有する神とは、光であり、ベクトルであり、神の意志が存在するパワーエネルギーです。四次元において、キリスト教会が、神のパワーエネルギーの存在に対して、これが神なんだと言っていましたが、統合失調症の統合において、神であり絶大な圧倒的な力を有する神に聞いたところ、ビックバン融合が正解だと言っています。お詫びと修正をさせていただきます。ご了承ください。

 

               高橋 章

 
 相対性理論
 ベクトル

  ベクトルという表現と社会の動き

 統合失調症の症状(四次元)の中で、絶大な圧倒的な力を有する神を、「ベクトル」と表現しました。すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配していると、四次元に入ってから実感しています。

 絶大な圧倒的な力を有する神と人類・人間との関係に人類・人間の一番自然な姿があり、そこには、人類すべての教えの答えがあります。

人間の頭脳の発想の一つまでも、絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、人間は心で努力するかどうかで、人生が決まってしまうと感じています。

心の努力は、憲法・法律を含めた上で、人類5千年の教えであり、人類が人類の教えを大切にするならば、大切にすればするほど人類は幸せになっていきます。人間としての努力は、絶大な圧倒的な力を有する神に愛されるための努力であり、その努力を忘れない限り、人類は幸せになっていくと思います。

 人間は煩悩無くして生きていくことはできません。煩悩は簡単にいえば、幸せになりたいという思いです。

ただ、煩悩には、善と悪があり、善の煩悩の正しさは理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。その善の煩悩にしても、ほどほどにというのが人類の教えです。

善の煩悩を結び、悪の煩悩を否定するということは、人類永遠の作業であり、この作業をしっかり行うことで社会に活力が生まれ、より良い社会を生み出すことが出来きます。

 現代のテーマは、経済の永遠性がテーマになっています。私が感じるのは、経済の永遠性を自由というものに求めているように見えてなりません。

 マルクス経済理論ですが、自由に経済の繁栄を求め、宗教を否定します。

そこには、人類の教えと経済の分裂であり、経済というものの考え方で、経済を発展させるものは自由であるという考え方が、世界的な考え方であるように見えます。

しかし、先進国は、少子化の現象が現れ、経済の活性化に悩んでいるのが現状です。少子化すれば国力が衰え、国の衰退につながっていきます。経済の活性化を自由に求めても、自由には性格があり、活性化させる上で、その方法がすべてだとはいえません。

自由の性格とは、自由を極論していくと、それは破壊であり、自由のスプロール現象を作り出していきます。スプロール現象とは、建築学の用語で、無秩序な都市計画により、街がスラム化し都市機能が働かなくなることです。

 政治・経済社会の両輪と言いますが、政治にしても経済にしても、哲学の発展したものが、政治であり経済です。文明が発達するときには必ず哲学の完成があります。

すべてを統合しているものは哲学だと言えます。自由というものは哲学をすべて壊してしまいます。

人類5千年の教えの中で、今の繁栄を築き上げてきたのであり、決して自由が今の繁栄を築いたわけではありません。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、自由では決して成り立たないのです。自由とは掛け替えのないものであり、みんなで守るものが自由であると思います。

 日本経済は、1993年には一人当たりのGDPは世界の一位であったものが、2006年には18位まで落ちてしまいました。1993年ごろと言えば、バブルの始まる前で、高度成長真っ盛りのころです。その頃の日本の姿を考えた時、その頃流行した歌などを聞いていると、世の中の柱を自由というものに置き換え始めた時期のような気がするのです。

 憲法・法律を簡単に表現すると愛を柱として、それぞれの自由を尊重すると謳っています。それをいつの間にか、自由を柱にするような国にしてしまったのが、経済に現れているような気がしてなりません。

 人類の教えをシンプルに表現すると、善が命で愛がすべてと表現できると思います。人類のイデオロギーにも見えます。すべてが善と愛の組み合わせで出来ていて、善を愛が開くことにより、繁栄するエネルギーが生み出されているのです。

そこにあるのは、宇宙の誕生であるビックバンです。それは偶然の衝突ではなく、絶大な圧倒的な力を有する神の御の手の中による融合であると思っています。

相対性理論において、宇宙は四次元の中に存在しています。すなわち四次元の中に三次元が存在しているのです。四次元には、絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーが存在しているのも事実です。四次元の中で、偶然の衝突があったなどということはあり得ないと考える方が自然に思えます。

絶大な圧倒的な力を有する神の言葉によると、四次元のゆがみと正物質と反物質の融合により、宇宙を誕生させたと言っています。男と女の存在も、ビックバン融合によって表わす宇宙の姿で、男の基本のコスモスは善であり、女の基本のコスモスは愛であるということは、人類のイデオロギーにもなっています。コスモスとはギリシャ哲学でいう秩序で、善とは厳しさであり、愛とは優しさとして、それぞれの形を表わしています。正物質と反物質の融合は、それぞれ相反するものが融合してビックバンとなりますが、それは男と女の姿でもあり、宇宙のエネルギーを生み出している源だと思います。また、キリスト教をはじめ、セックスには閉鎖的な宗教の教えが多いのですが、ビックバン融合という考え方に到達したことにより、セックスは解放されるとも言っています。

 日本経済・アメリカ経済で同じ現象が起こっています。

日本経済のバブルの崩壊は、リゾート法によって、銀行が土地にお金を貸しまくったことが原因です。一億総不動産屋とも言われた時代で、土地であれば何でも値上がりした時代でした。金余り気味だった当時、お金を貸したがっていた銀行が、善のタガをはずしてしまったのです。

銀行の使命・役割は、お金が善であることを守ることにあります。善のタガが外れることにより、日本経済はいっぺんにバブル経済となります。自由を経済の柱にした状態となり、それは多額の不良債権を生み出し、またサラリーマンは一生働いてもマイホームが持てないという経済状態を作り出してしまいました。それがバブルの崩壊へとつながっていったのです。

 アメリカ経済のサブプライムローン問題は、低所得者への住宅ローンが、多額の不良債権を生み出し、アメリカ経済の金融不安を作り出し、やはりそこには、銀行が善のタガをはずしたことにあります。また経済を繁栄させる為の、苦肉の策だったのかもしれません。

 経済には、銀行のやっていることが反映していきます。銀行法を簡単に表現すると、「経済の健全な発展に寄与し、預金者等を守る。」というのが、銀行法です。銀行が銀行法を守り、人類の教えを大切にするならば、その姿は経済に反映していくと思います。

 人類すべての教えの答えである善が命で愛がすべてという形は、経済にも当てはまります。

善が命とは、経済において、善が命である形を作らなければなりません。それは自由競争であり、銀行が使命・役割を果たすことにあります。

愛がすべてとは、経済活動そのものを指します。愛とは、人を大切に思う心です。家造りなどは、愛がすべてそのものです。

経済理論の根っこの根っこは自愛で、自分を心から愛せるという心が、国を繁栄させ人類を繁栄させていくのだと思います。そこに存在するのは、ベクトルなのだと私は思っています。イエス・キリストは神と認知されるまで300年かかります。ベクトルが絶対なのだと言ったのはイエス・キリストであり、みんなが認めるまで300年かかったと言えます。

 そして善は愛が開いてくれます。善を愛が開くことによって、繁栄の源となるエネルギーを生み出してくれます。

それはビックバン融合であり、ビックバン融合が多ければ多いほど、人類は繁栄するエネルギーを生み出すことになります。

 ケインズ経済理論の最終到達点は、お金のいらない社会に到達することにあります。今の経済は、その通過点にすぎないのです。

今の経済の現状は、経済ボリュウムが大きくなりすぎてしまい、今の経済システムでは維持出来なくなりつつあるのが、今の経済の姿だと思います。

アメリカの双子の赤字と日本の財政赤字。世界経済NO1とNO2の現状です。

文明の進化に伴って、経済の進化も可能になってきていると私は思います。

経済の繁栄には、文明の繁栄度があると思います。文明の繁栄において、経済の繁栄をレベル的に捉え、最大の繁栄度を引き出していくことが大切だと思います。そのためには、経済においてビックバン融合を沢山作るという作業が必要になります。経済における文化レベルを上げていくことが必要であり、文明の進化に伴って、経済全体の生活レベルを上げていくという考え方が必要だと思います。

また、コンピューター化・機械化の推進による効率の向上は、お金の帳尻を合わせるマイナス経済ではなく、国はある程度自由にお金を使えるプラス経済に進化していけると私は思っています。

 金は天下の回りもの。人類の教えを大切にすることにより、人類は幸せへと向かっていくと思うのです。

 憲法・法律は絶対であり、みんなの安心でもあります。それは国の繁栄のためのルールであり、そのルールを守ることでゲームが楽しくなります。日本の憲法は、良心の自由を保障し、法律で規定するのは、哲学・思想以外の自由は、すべて公共の福祉の上に成り立っています。

公共の福祉とは、みんなのためであり、みんなのためとは、人を大切にする心、みんなを大切にする心とは、愛であり、愛の教えとは、イエス・キリストを始め宗教の教えです。

結局、憲法・法律上で謳う人間の自由は、ベクトルを絶対としての自由です。

憲法・法律を簡単に表現すれば、愛を柱として、それぞれの自由を尊重するのが、日本の憲法・法律です。イエス・キリストを守っているのが日本の憲法・法律と言っても良いと思います。

 すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配している。絶大な圧倒的な力を有する神に愛される努力をするのが人間の努力であり、その努力は人間として正しい生き方であり、その努力が理想社会を

構築していくのだと私は思います。

 

 ベクトルの方向性

 ベクトルとは、物理学・建築力学において

力の方向性を表します。ベクトル計算において、力の合力や力のバランスなどを数値によって表わすものです。

 四次元において、一人一人にそれぞれのベクトルが働いています。それはOリングテストによって示され、ベクトルが人間の生体電子に作用することにより、三次元にベクトルが表示されていると考えています。Oリングテストとは、その人にとって、良いと思われる方向性を表わし、また、人にとって良くないと思われるものは否定されます。

例えば、たばこなど人間の健康にとって良くないとされるものは、拒否されます。医学的にOリングテストの研究をしている医学博士もおり、医学的研究も進んでいます。

 四次元において、ベクトルとは進むべき方向性であり、その方向に進むことが、その人の人生にとっても最良と思われます。宗教的に考えれば、その人のミッションというものであり、ミッションとは地球での役割であり、そのミッションにおいて、その人の持って生まれた才能は、その人の運命星にあると思います。その運命星に前世での蓄積があり、持って生まれた才能とは、前世での蓄積であり、それがベクトルにより花開くものだと思っています。

 四次元において、三次元の当たり前と思われることは、ベクトルが創り出していると考えています。その当たり前というものが、人類全体を進化させて行くのであると思っています。

統合失調症になって、幻覚や妄想と言われる部分はそこにあると考えています。統合失調症という症状は、ベクトルの創り出している、四次元と三次元の調和が崩れて発病するケースがほとんどのように見受けられます。陽性症状から陰性症状となって症状が安定するまで、四次元の中でもがくようになります。統合失調症の統合のためには、哲学の完成が大切であり、哲学が完成すると、症状は安定し霊感の強い状態になります。

四次元においてそれぞれのストーリーがありますが、それはミッションに関係するものだと思っています。統合失調症になり成功する人もいれば、失敗する人もいます。統合失調症になった人の中で、ノーベル賞受賞した数学者もいます。

 聖書の中で、「主は言われる。わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災いを与えようとするものではなく、それは平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与えようとするものである。エレミヤ書第29章11節

」と記されている。イエス・キリストの言葉であり、私のよく行く教会の今年の標語となっています。

 ベクトルの指しているものは、その人にとってはその人の幸せあり、人類全体においては、壮大な夢とロマンであると、私は思っています。

人類は選ばれた生命体として、三次元を託され、全宇宙を永遠とする仕事をこなし、全宇宙に笑顔を満ち溢れさせるというネバーエンディンストーリー完成のため、進化し続けるものであるということが、今の地球に隠された謎となっていたのではないでしょうか?  

UFOの謎、ナスカの地上絵の謎、ピラミッドの謎等、すべが壮大な夢とロマンを指しているように思えるのです。ベクトルの指すものを追いかけていく人類であって欲しいと思っているのは、私だけではないと思います。

 ベクトルバランス

 四次元と三次元のバランスのことである。

四次元と三次元のバランスが世の中に調和を生み出していると思っています。

相反する二つの事柄が互いに補い合って一つの事柄や世界を形成しているという思想を、中国の古代思想で陰陽思想と言いますが、日本でも昔から、陰陽思想の考え方は大事にされています。伊勢神宮に行くと、いろいろな神社がありますが、昼と夜に別れ、対をなしています。これも陰陽思想の現れであると思います。

韓国の国旗に描かれている太極図は、陰と陽という対立する気が絡み合い、相互作用を行うことで、すべての自然現象や人間活動が決まるという陰陽思想を表現しています。

 日本の稲荷神社では、キツネが神の使いとされます。このキツネは山にいるキツネではなく、白狐(ビャッコ)といって目に見えない白いキツネを表現しています。昔からキツネに化かされたなどということもあります。

稲荷神社は、五穀豊穣を祈願していますが、

昔は天命を全うできますようにとの願いも込められています。甘い油揚げで包んだ稲荷ずしや、うどんのメニューでキツネうどんなどというものもあります。食べ物の名前から連想されることは、ベクトルという考え方を、日本古来から大切にしていたのではないかということです。自分の望んだものではないにしても、食べ物を食することが出来る。その考え方が理解出来て、一人前の大人として認められる。考え方の中で、生きるという人生のテーマを、ベクトルを表現して手助けしてくれているように感じるのです。

 赤の色に表現されるものは、共産主義であったり、神や人類の教えと言ったものが、赤で表現されています。人間の血の色であり、そこには、人類の蓄積と言ったものが感じられます。

日本の国旗は、白地に赤い太陽で表します。この赤い太陽はベクトルを表わしているのではないかと思っています。日本は昔、神風が吹くと言われましたが、この神風の正体とはベクトルのことで、戦前日本では神の国であることの自負が強かったのですが、昔からベクトルを大切にしていたためのものではないかと考えています。

 平原綾香のジュピターという歌がありますが、ジュピターとは「木星」のことで、ギリシャ神話では、全能の神ゼウスを指します。私はこの歌を聞くたび、ベクトルを表現している歌に聞こえます。興味ある方は、一度聞いてみてはいかがでしょうか。すごく素敵な歌です。

 今年のセリーグは、巨人が13ゲーム大逆転して優勝を決めました。四次元の中で、絶大な圧倒的な力を有する神は、13ゲーム阪神に放されている時に、巨人を優勝させると私に告げたのです。それから、巨人の快進撃は始まり、奇跡の逆転優勝を決めました。

ベクトルの輝きであり、輝く神秘の力です。

私には、人類5千年の教えの正しさを、証明して見せてくれました。

 四次元と三次元。人間の四次元を支配するものは人類の教えであり、三次元を支配するものは憲法・法律です。四次元においてベクトルとの関係があり、統合失調症が発病してベクトルに気づくまで私は時間がかかってしまいましたが、憲法・法律というものに関しても、四次元におけるベクトルとつながっているのです。

三次元に関しては、政治的なものであり、政治的なものとは、政治とは地球において天国を形成しようというものであり、それが政治の役割です。

四次元に関しては、宗教的なものであり、人類とは、人間とはという、人として大切にしなければならないことが大切になります。

四次元にはベクトルが存在し、ベクトルを絶対とする次元が五次元であり、さらにその高次元が天国であると思います。

政治と宗教の役割は別であり、憲法・法律でも、そのパワーは分散させます。

政治に利権を持たせ、宗教には実権と、その本来の役割を果たさせようというのが憲法・法律の謳うところです。

宗教法人法 総則 第一条第二項 「憲法で保障された宗教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基づいて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を制限すると解釈してはならない。」と謳っています。

私の、世の中に受けていた感じ方は全く逆で、政治は宗教を排除しなければなららいと言ったような感じさえ受けていましたが、最近になって、「宗教感を大切にしよう。」と謳おうとしています。

一番憲法・法律に忠実だったのは、公明党だったというようなことでもあります。

私は自由民主党ですが、政治にとって一番大切なものは哲学であり、人類の教えであると思っています。自由民主党保守政党であり、人類の教えを保ち守るという政党であると私は思っています。

 四次元の中に三次元は存在し、ベクトルの働きと、四次元と三次元のバランスを考えることが、統合失調症の症状の安定につながり、統合失調症を統合するにあったって大切なポイントにもなります。四次元と三次元の調和が、世の中全体の安定を創りだし、その安定の中で、人類の哲学を大事にすることによって、ゆっくりと壮大な夢とロマンに向かっていくのではないかと思っています。

  相対性理論とは

  四次元物理学・相対性理論

 相対性理論とは、今から約100年前、有名な物理学者アインシュタインが理論化したものです。その当時、物理学界はニュートン物理学が、ほぼ完成に近づいていました。しかし、光と言うものに関して、ニュートン物理学では説明がつかなかったのです。アインシュタインは、光が絶対であるという理論に基づいて、相対性理論を完成させていきました。

私たちの生活の中で、相対性理論を実感できるということは普通ありません。時間と空間の関係があるので、高速移動したときに、時間の進み方が遅くなるというようなことは、普段の生活で体感できることはありません。

光の速度に近づかない限り、時間の進み方が遅くなるのを、感じることが難しいからです。

光の速度は、真空を伝わる場合、秒速約30万キロメートルです。私たち人類が作り上げた最も早いスピードの宇宙ロケットでも、その速さは秒速約20キロメートルであり、光の速さの一万5000分の一にすぎません。相対性理論の特性は、私たちが限りなく光に近づかない限り表れてきません。私たちの身の周りの環境では、四次元というものを感じることが少ないのです。

  二種類の相対性理論

 相対性理論には、特殊相対性理論一般相対性理論の二種類あります。特殊相対性理論とは基礎の理論であり、一般相対性理論とは発展させ一般化させた理論です。

 特殊相対性理論は、光の速さはどんな速度の人から見ても秒速30万キロメートルに見えるという一つの事実を元に作られています。

普通、車が同じ速度で並行して走った場合、お互いの車のスピードの差は感じられません。

しかし、光の速度になるとお互いに、秒速30万キロメートルに感じるのです。さまざまな実験からこの事実が得られ、光が絶対であるという相対性理論の基本理論はここからきています。この不思議な物理現象から、さまざまなことが解ってきました。

 動くものは、時間の進み方が遅かったり、進行方向に対して物が縮んだり、動くものは、質量が増え、私たちの生活の中では見えないことが、四次元物理学として支配しているのです。四次元物理学とは宇宙物理学であり、相対性理論として、宇宙の真理と言えるものなのです。詳しく知りたい時は、末項の参考文献をお勧めします。

 特殊相対性理論は、ニュートン物理学では見えなかった真理を次々と提示しました。時間と空間とは重なり合ったものであり、その四次元と三次元との関わりを理論化したものでもあるのです。相対性理論の中で、四次元の中に三次元がある事を、時空と表現します。

時間と空間を統一したのが、特殊相対性理論です。

 一般相対性理論特殊相対性理論で考慮されていなかった、重力の加わった場合を考慮されています。これにより、さらに相対性理論が一般化されています。

まず、重力が強い場所では、時空が強く曲がっています。そしてまがった時空の中では、まっすぐ進むはずの光の進路が曲げられてしまいます。あまりに強い領域では、いったんその中に入った光は領域の外に脱出できなくなり、中心の方向に引きずり込まれてしまいます。これが、光も何もかも吸い込んでしまうブラックホールです。

また、重力が強いと時間の進み方が遅くなります。ブラックホールの周囲では、時間が止まっていると考えられています。重力とは、質量を持つ物質に働く力です。

一般相対性理論は、質量を持つ物質が、周囲の時空に影響を与えることを明らかにしました。人間の体は質量を持っています。私たちの世界は、時間・空間・物質が密接に絡み合って成り立っているのです。

 相対性理論の相対という意味

 「相対」とは、もともとは哲学の用語で「他との関係で成立するもの」という意味です。

反対語は「絶対」であり、これは「他との関係や比較を必要としないもの」という意味を表します。「相対評価」「絶対評価」と言う言葉があります。相対評価は、たとえば同じクラスや同学年の他の人と比べてどんな成績だったか、という評価の方法です。偏差値も相対評価の一つです。一方、絶対評価は「テストで70点以上取ったものは全員合格」というように、他の人と比べずに決める評価です。

しかし、相対性理論の中で使われる相対と言う言葉には、もう一つ別の、しかし大事な意味があります。それは「どれも正しい」とか「どれも平等に価値がある」という意味です。逆に絶対とは「それだけが正しく、他は間違いである」という見方をします。

 

 相対的な時間

 時間とは、相対的なものである。つまりそれぞれの人に、それぞれの時間があるということです。

 自分や相手が、止まっているのか、動いているのか。絶対的には決められません。でも、自分は動いていない、止まっているとみなした時、相手がどんな動きをしているのか、ということであれば分かります。それぞれがそれぞれに運動を把握する。これが相対的な運動の見方です。

 同じことが、時間についても言えるのです。

誰が見ても同じ尺度、同じ進み方に見えるような、絶対的な時間は存在しないのです。あるのは相対的な時間、すなわちそれぞれの立場で捉える、それぞれの時間の尺度だけなのです。

 光の常識

 ニュートンが発見した運動法則を基礎として形成されたニュートン力学は、地球上の物体は勿論、宇宙の惑星の運行まで、その規則性を単純な方程式で表すことに成功しました。

その方程式を使えば、惑星の位置や、望遠鏡で発見されていない未知の惑星の存在を、予言することさえ出来たのです。ニュートン力学は自然に対する人間の英知の勝利であり、19世紀末には、もはや物理学は完成され、これ以上の進展はないとさえ思われるほどでした。

ところが、地平線の彼方に怪しい雲の影が見え始めました。「運動に絶対的なものはない」はずなのに、この世にただ一つ、絶対的な運動をするものが現れたのです。それが「光」です。

 光の正体は、「粒であり波である」という、不思議なものです。これはある時は粒であり、ある時は波である、ということではありません。粒が波のように振動しているものでもありません。粒であり波であることは、ギジルとハイドのように、相反する性格が同居していることなのです。

ですが、19世紀末には、光は波と信じられていましたので、その媒質探しが、学者の中で最大の関心ごとでした。

未知の媒質は「エーテル」と名づけられ、多くの学者が血眼いなってそれを探そうとしました。しかし、どうしても見つかりませんでした。なぜ、エーテルが見つからないのか、これは光に関する大きな謎の一つでした。

 そして、光に関するもうひとつの謎が「光は、どんな速度で運動するものが見ても、常に同じ速度で見える」という不思議な性質でした。運動は相対的に捉えられるはずなのに、光の速度は誰が見ても一定なのです。つまり光は絶対的な運動をするのです。

  光の速度は絶対

 アインシュタインは、時間は、私たちが考えるような絶対のものではない。見る人の立場によって、時間の尺度が伸びたり縮んだりする、また、ある人にとっての同時が、別の人にとっては同時でなくなったりする、それが時間の本当の性質なのだと理解しよう、そう思ったのです。

 なぜなら、光の速度は絶対に一定だからです。アインシュタインにとっては、さまざまな実験で確認されたこの事実だけが、絶対的な基準でした。この基準を動かせないのならば、「時間の尺度は誰にとっても唯一絶対である」という従来の概念の方を否定しようと考え、完成されたのが相対性理論です。

 特殊相対性理論では、「この世には、光の速度を超える速さで運動するものはない」ことを前提にしています。

 光の速さは、秒速30万キロメートルというものすごいスピードですが、それでも有限の速度です。限りあるものを越えられないというのは、妙な話です。

 こんな想像をしてみます。今、宇宙ロケットを発射しました。ロケットのエンジンは毎秒10メートルの割合でロケットを加速させる能力を持ちます。ロケットは膨大な量の燃料を積んでいて、一年間は十分加速できるとします。このまま加速を続けると、一年後のロケットの速度は、

 毎秒10メートル×60秒×60分

  ×二四時間×三六五日

  =秒速約三一万五000キロメートル

となって、計算上は光を超えるはずでが、どうしてそうならないのでしょうか。それはロケットの質量が増えるからです。

 確かに、ロケットの速さはどんどん速くなります。ところが、速度が上がるにつれて、ロケットの質量も増えていくのです。

 「動くものは質量が増える」ことも、特殊相対性理論が発見した真実です。

 光の速さに近づくと、質量が増えていき、加速しにくくなります。特殊相対性理論の動いている物質の質量計算で、光の速さとなったとき、質量は無限大となります。質量が無限大となったとき、それ以上加速することはできず、光の速さを超えることは出来なくなるのです。

  物質と時空

 一般相対性理論の偉大さは、物質が周囲の時空を曲げることに築いたこと、すなわち、無関係と思われていた物質と時空とが、お互いに影響しあうものであることを見抜いたことでした。

 つまり、物質が存在するということが、時空の曲がり方を決め、逆に、時空の曲がり方が、重力による物質の運動を決めるのです。

物質と時空とは、独立して存在するのではなく、相互に関係するものであり、いわば一つのものと言えるでしょう。太陽のような質量の大きい物質の周りでは、時空が曲がっています。

しかし、私たちの身の回りにある物質周辺では、時空はほとんど曲がっておらず、ほぼ平坦であるといえます。

 特殊相対性理論は、それまで別々に扱われた時間と空間を、一つの時空として統一しました。今度の一般相対性理論は、それまで「中身」と「入れ物」として別々に扱われていた物質と時空を統一した、すなわち、時間・空間・物質をすべてまとめ上げた理論なのです。

  相対性理論統合失調症

 相対性理論をピックアップして述べましたが、相対性理論として、その基本的理論は、光が絶対であること。それにより理論の構築がなされ、時間・空間・質量が統一され、それらのすべてが関わりあって作られていということです。

 相対性理論の完成から、100年余りたっていますが、宇宙理論においてその確認のために100年費やされています。今では、カーナビゲーション等に応用され、現代技術の最先端でも応用されています。

 四次元と三次元との関わりを、相対性理論では時空と表現しますが、四次元の中に三次元は存在します。宇宙は四次元の中に存在し、ビックバンは四次元で起こった出来事です。そして宇宙は、光を絶対として構築され、光を超えるものは、宇宙に存在しないのです。

 統合失調症を考えた場合、四次元という霊的な世界へと入ります。四次元において、霊的なパワーの存在は、昔からよく語られるところでもあります。木には精霊が宿るであるとか、神社・仏閣には、霊的なパワーが集中しているという話もよく聞きます。

相対性理論で、時間と空間と質量はすべて関わりあって統合されていることを述べましが、四次元にはベクトルというものが存在しています。三次元における光とは、ベクトルであり絶大な圧倒的な力を有する神が、三次元において姿を変えたものなのではないかと思えるのです。

 近代文明は三次元に固執することではなく、超近代文明であれば、四次元に入っていかなければならならず、そしてそこには、ベクトルが存在しているのです。

 統合失調症を三次元だけで説明しようとしても、それは不可能です。それはニュートン力学ですべて説明しようとして、光の存在に気づき、相対性理論が完成されたのと似ています。四次元には確かに、ベクトルが存在し、ベクトルが絶対となって、四次元が安定しています。

 日本のことわざで、「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」ということわざがありますが、これは昔からベクトルを大切にしている国であることから、生まれたことわざではないかと思っています。

 ベクトルとは光です。ベクトルとは、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配しているということです。ベクトルと表現したのは、その進むべき方向にそれぞれの幸せ、人類全体から見れば、壮大な夢とロマンがあると思われるからです。

人類が5000年かけて築き上げてきた教えであり、その教えを守ることにより、人類の幸せがあると思います。人類の哲学を大切にすることが大事であると思います。

確かに経済の永遠性なくして、人類の永遠の命は守れません。しかし、その経済の考え方の中で、人類の教えを大切にしていくことが大事なのではないかと思います。

 四次元におけるベクトルの存在が、人類を導いてくれるものであるとも思っています。そこには絶大な圧倒的な力を有する神と人類・人間との関係があり、人類・人間の善が命であるならば、絶大な圧倒的な力を有する神の愛がすべてです。またその善に対する努力は、神秘の力となって愛が開いてくれます。

 近代文明があまりにも三次元だけにこだわるのは、自分で自分の前途を閉ざしていることと同じことのように感じます。四次元だけに限らず、ベクトルというものに対して素直な考え方で受け入れることが大切なことであると思います。

四次元とは心のことでもあり、特に宗教的なものは四次元との関わりが深いものであると私は思っています。人類が5000年かけて築き上げてきた教えより、正しい教えは何もないのです。

 相対性理論から、物理学的にも四次元との関わりは明らかであると言えます。

四次元におけるベクトルの存在は、宇宙は光が絶対として出来上がっていることと同じことだと思います。光とはベクトルであり、それが人類を導く光であると私は思います。それは永遠の悟りでもあります。

 

 量子論

  光のネットワーク

 光のネットワークとは、魂の会話である。統合失調症の症状が、高校時代に読んだ平井和正の「幻魔大戦」に出てくる光のネットワークに良く似ていることから、そのネーミングになりました。光のネットワークが地球を覆い人類を救うと言ったのは、主人公の東丈です。

統合失調症の症状の中で、テレパシーであるとか超能力であるとかさまざまな表現がされているようです。

この症状は、仏教芸術であるマンダラの中心におかれ、すべての魂と会話している感覚になるというのがこの症状となっています。光のネットワークの世界は、その世界のストーリーがあり、その世界を四次元ストーリーと呼んでいますが、思考の世界でストーリーの中に身を置くようになります。

光のネットワークで様々人と会話するようになりますが、それぞれの魂はその人の性格そのものであり、信用できる人であればあるほど、光のネットワークの世界が現実のものとなるという事実もあり、自分の受ける感覚としては、すべてが現実であるという感覚の方が精神的に安定しています。

また、仏とも会話するようになります。仏たちと会話するのも、また、楽しいものですが、絶大な圧倒的力を有する神の手の中にないテレパシーなどは、使い物にならないというのも私の感想です。光のネットワークは、全宇宙意識の中で、ベクトルによりコントロールされています。

 心を哲学すると「心の中心は全宇宙意識であり、全宇宙意識の中心が天国であり、その中心が絶大な圧倒的な力を有する神である。

魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが魂の本質。それぞれの魂は絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、サムスィンググレイトである。命はビックバンであり、その命に魂が宿る。一人一人が地球であり、全宇宙意識は四次元に存在する。」というのが考え方が心に関する哲学です。

光のネットワークのパワーエネルギーは絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーだと考えています。Oリングテストの示すものは、人類には絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーが働いているということであり、四次元におけるベクトルの存在を感じます。

統合失調症の発病は絶大な圧倒的な力を有する神の救いだと私は思っています。

 統合失調症の症状は、善に対して努力していかなければ、その症状は改善しません。絶大な圧倒的な力を有する神は、統合失調症の症状の中で、悪を潰すために一生懸命になってくれます。悪を潰すのは正義であり、人類を守ることは、コスモスを守ることであり、善を守ることです。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、決して自由では成り立たちません。好きな事をするのが、自由であるが、その根っこに善に対する努力があるのが、人間の自由です。その努力が自分の人生を改善させると思っています。

 光のネットワークの世界において、絶大な圧倒的な力を有する神を含め、いろいろな人と会話するようになりますが、絶大な圧倒的な力を有する神と和解することが、統合失調症を統合するのに必要であり、光のネットワークの中で誰の発言かも教えてもらえます。マンダラの中心には発言も集中するので、誰の発言なのか聞くのも大切なことです。

何でこういう病気になってしまったのだろうであるとか、行いが悪かったのだろうかとかいろいろ考えた時期もありましたが、統合失調症を統合すると、霊感が強くなった自分と、天国の世界が待っています。

絶大な圧倒的な力を有する神との関係に人間の一番自然な姿があります。絶大な圧倒的な力を有する神を愛することが、自分を幸せにする一番の近道であるということを、ここで述べておきたいと思います。

  量子論とは

ミクロの世界・量子論

量子論は「ミクロの世界の不思議なルールを解明した理論」です。相対性理論も、時間の進み方が遅くなったり空間が曲がったりという、自然界の不思議な真理を明らかにしました。同じように、ミクロの世界において私たちの常識はまったく通用しないことが量子論により解ったのです。

ミクロの世界とは、およそ一ミリメートルの1000万分の1より小さな世界です。これは物質を構成している原子よりさらに小さな世界なのです。

私たちが普段目にしている物質は、マクロの世界の物質です。マクロの世界の物質には私たちの常識が通用します。これに対してミクロの物質、具体的には電子などの素粒子と呼ばれる物質は、マクロの物質とはまったく

異なる、奇妙で常識はずれの性質を持っていることが量子論によって明らかになったのです。

 現代物理学は、二十世紀の初めに生まれた二つの理論に支えられ、飛躍的に発展してきました。その一つが相対性理論で、もう一つが量子論です。でも相対性理論アインシュタインがあまりにも有名なのに比べて、量子論という名前は確かに一般にさほど知られていません。でも量子論は、ある意味で相対性理論よりももっと革命的な理論であり、また実用性に富んだ理論なのです。

 実際、私たちの身の回りには、量子論から生まれたものが溢れています。現在の私たちの生活は、パソコンや携帯電話を始めとするハイテク機器なしには成り立ちません。これらの製品の心臓であるLSIなどの半導体部品の原理は量子論の上に成り立っています。

つまり私たちは日々、量子論の恩恵にあずかっているわけです。それから近年話題になっているナノテクノロジーは、量子論を応用したミクロの世界の最新技術のことです。

 相対性理論は、アインシュタインという天才がほぼ独力で作り上げました。一方、量子論は何人もの天才物理学者がアイデアを出し合って作られたものです。でもあえて一人名前を挙げるなら、デンマークの物理学者ボーアになるかもしれません。ボーアは量子論の基礎を築き、また、多くの弟子たちを育て量子論が完成に向かうのを助けたのです。

  

 

 量子論の原理

 電子や素粒子のミクロの世界の理論ですが、電子や素粒子の性格は、見ている時はその位置にあるが、目をそらすとその位置から無くなってしまうという性格があります。Aという位置にあったものを、見つめている時にはその位置に存在するが、目をそらすと消えて無くなってしまいます。また、存在を確認しようとするときは、だいたいこのあたりというぐらいしか推測できません。「確率の波」

と言いますが、無秩序な法則でしか捉える事が出来ないものとなっています。無秩序であることが自然界の法則であるということが、量子論の中にはありますが、この無秩序の法則というものが、アインシュタインはあまり好きになれませんでした。

 電子・素粒子は、粒であり波であるということが、量子論の原理になっていまが、これは、光と同じで、粒であって波であるという二つの性質を持つのです。

 私たちの日常生活の中で、粒であって波であるというような物質は存在しません。

 確認している時は、粒になっている存在であるが、目を離すと波の存在になってしまうのが、電子であり素粒子です。よってさらに確認するとき、だいたいの推測でしか捉える事が出来ず、量子論の考え方は、その無秩序な法則を定理としています。

  量子論の持つ相補性

 量子論が示す物質観・自然観の特徴を、ボーアは相補性という言葉で説明しました。相補性とは、相反する二つの事物が互いに補い合って一つの事物や世界を形成しているという考え方です。たとえば、物質は粒と波という、まったく異なる性質を併せ持っています。

これが相補性です。それから「位置を特定すると速度が曖昧になり、速度を特定すると位置が曖昧になる」という不確定性原理も相補性なのです。

 中国の古代思想である陰陽思想。または四次元と三次元の考え方も、この相補性かとまったく同じ考え方であり、宇宙の起源が、正物質と反物質の融合により誕生したということの表れでもあり、それを証明する一つの事柄なのかも知れません。

 量子論による無とは

 量子論は哲学的概念も強く、「絶対とされるものはない」であるとか、「相反するものが補い合う」というような、思想的に興味深い理論となっている。

 量子論によると、本当の意味での「真空」というものは存在しないのです。つい最近、宇宙における「ダークマター」という存在が、話題になっています。ダークマターとは目に見えない物質で、宇宙の85パーセントを占めています。

 量子論は「何もない」という状態を許さないのです。概念的または哲学的な意味でのゼロや無という状態は物理的にありえないということも、量子論が明らかにした真実の一つなのです。

 光のネットワークと量子論

 光のネットワークとは、魂の会話であることは述べましたが、四次元において、すべてつながっているという事を自覚するようになります。

俗にいう霊感が強いという状態ですが、魂は現に全宇宙意識に存在していることを、昔流に表現すれば黄泉の国にいるという表現になるでしょう。仏教芸術であるマンダラというのも、私流に光のネットワークを表す一つの表現方法ですが、量子論における、ミクロの世界もその表現方法の一つになります。

 会話しようとする魂に意識を向けた状態は、電子を確認しようとした状態とよく似ており、また、会話していた魂から意識をそらした状態も、電子から意識をそらした状態とよく似ています。

 電子・素粒子を、粒であり波でもあると、量子論はその性質を述べたが、光のネットワークにおける魂の状態も、まったく同じです。

 光のネットワークは、ベクトルがコントロールしており、四次元における、当たり前という感覚はベクトルが創り出し、その当たり前が人類を進化させているように感じています。

四次元は人類の教えが支配して、三次元は憲法・法律が支配している。そのバランスが、世の中の調和を生み出し、その調和の中で、壮大な夢とロマンに向かっているのが、人類の姿であると私には思えます。

陰陽思想という中国の古代思想を紹介しましたが、四次元の世界と三次元の世界というまったく別の二つの世界が、バランスを取ることにより、社会全体の調和を生み出し、社会の安定が生み出されていると私は感じています。

  超大統一理論

 量子論相対性理論は二十世紀の科学を動かした両輪である偉大な理論です。ところがこの二つの理論は相性が悪く、両者を同時に成り立たせようとすると様々な矛盾が生じてしまうことが分かっています。

 たとえば量子論では物質の状態を一つに確定できず、電子がここに現れる確率は40パーセント、あそこに現れる確率は30パーセント・・・・・などと考えます。これらのすべての確立を合計すれば常に100パーセントになっていて、これを「確率が保存する」と言います。ところが一般相対性理論量子論的に考えようとすると、最初は確率の合計が100パーセントだったのに、しばらくすると合計が60パーセントに変わったりして、確率が保存しないのです。それを避けようとすると、今度は「マイナスの確率」という妙なものが現れたりします。

 ともに自然の真理を表わしているはずの二つの理論がなぜ並び立たないのか、非常に不思議です。

相対性理論量子論のどちらか一方に、あるいは両方に不備があるのかもしれません。または、アインシュタインは終世量子論に納得しませんでした。

 量子論相対性理論一般相対性理論)とを融合させた理論を量子重力理論と言います。

量子重力理論の完成は、この世のすべての現象を統一的な法則で説明しようとする究極の理論、いわゆる「超大統一理論」を作る上で

重要なポイントだと考えられています。

 光の悟り

  相対性理論量子論とが、相性が悪いということは述べましたが、統合失調症の統合の中で、ベクトルとは光であり、光のネットワークにおける魂の会話・全宇宙意識の姿は量子論における電子・素粒子の姿に良く似ているということを述べました。全宇宙意識にベクトルは作用し、また光のネットワークをコントロールしています。

 そのことを相対性理論量子論との関係に置き換えれば、電子・素粒子の法則の中には、光が作用していることになります。

一人の人間の姿に、宇宙の縮図があると私は思います。

 四次元において、ベクトルと魂・全宇宙意識の関係があるならば、宇宙においは光が電子に作用しているというのが、私の推測になります。

その考え方から、超大統一理論が生まれるのではないでしょうか。

また、一人の人間の姿に、宇宙の縮図があると言いましたが、人間に質量があれば時空(四次元の中に三次元が存在しているということ)の概念が人間にも働いているということになります。そしてそこにはベクトルが絶対として存在するのです。心における超大統一理論は全宇宙意識の永遠の輝きにも大切です。

 絶大な圧倒的な力を有する神の言葉の中から、宇宙は、四次元のゆがみと正物質と反物質の融合により、宇宙を誕生させたと絶大な圧倒的な力を有する神が告げていました。

四次元とは、縦・横・高さ・時間が垂直に交わる空間です。正物質と反物質が偶然衝突するなどは、あり得ないことです。

ビックバン融合と言っていますが、絶大な圧倒的な力を有する神が融合させたという方が、自然な考えに思えます。四次元には確かに、ベクトルが存在しています。

 相対性理論から、宇宙は光が絶対となって成り立っています。四次元はベクトルが絶対となります。正物質と反物質の融合による宇宙の誕生は、四次元と三次元のバランスを生み出し、それが中国古代思想である陰陽思想につながっているのだと感じています。

 これらのことから、四次元に存在するベクトルが、宇宙に垂直に交わっていることを感じます。宇宙は光が絶対・ベクトルが絶対として出来ているのは、四次元のゆがみと表現しましたが、それは五次元において、絶大な圧倒的な力を有する神が、光・ベクトルを絶対として宇宙を誕生させたという方が自然に感じます。

 そしてそこには、人類5千年の教えの姿があるのです。

 人類が5千年かけて築き上げてきた、人類5千年の教えは、すべて正しいのです。

 光の悟りとは、人類5千年の教えであり、人類の五千年の歩みです。5次元まで行き着いて、人類の5千年の教えの奥深さを感じます。

 壮大な夢とロマンに向かう人類にとって、人類の教えほど大切なものはなく、それが人類の永遠の平和へと導かれるのではないのでしょうか。

   

 人類2000年キーワード

   (人類絶対キーワード)

  ベクトルが絶対であること。

  ベクトルが人類の命であり、

  人類は人類であって人類である。

  人類には永遠の命が与えられる。

  人類の5千年の教えを

大切にすることにより、 

  人類は壮大な夢とロマンに導かれる。

 参考文献

  相対性理論量子論

   佐藤勝彦

  相対性理論がみるみるわかる本

              佐藤勝彦

  団塊の世代「黄金の十年」が始まる

              堺屋太一著