「統合失調症統合の軌跡」 光の戦士論 改訂版

  統合失調症統合の軌跡   高橋 章

 プロローグ

 統合失調症精神分裂病と呼ばれたのは、一昔前のことです。精神病の一角を占め、躁うつ病と並んで、二大精神病と呼ばます。発生率は、100人に2~3人と言われ、その原因は、未だに解明されていません。発病の原因は、就職、結婚など、人生の転機に発病する場合が多く、思春期の終わりから、発病する率が高いと言われています。

人類の歴史上登場するのは、西暦約500年のギリシャ時代と言われ、はじめて人類の文献上に記されたといわれています。

キリスト教時代には、魔女狩りの対象にもなり、人類の歴史上、その関わりも長ものがあります。

 統合失調症の統合として、現代の精神医学と宗教(哲学)とのかかわり、科学文明社会における宇宙とのかかわり、現代社における政治、経済、文化、すべてが統合していかなければ、その症状は軽減しません。

その現象が、統合失調症の症状の中で、繰り返されるわけであるが、人類の教え、そして現代社会を支配している憲法・法律、その中で生きていく私たち一人一人の心の大切さ、この地球に誕生し、一人一人の命の放つ輝き、一人一人の人生の尊さを、みんなで守ることが、地球を守ることであり、地球を守ることが、全宇宙を守ることになると思います。

 この統合失調症という病気から、地球における人間という存在が、特別な存在であり、一人一人が神々となるべく誕生する存在なのだということを、お伝え出来れば幸いです。

 私が発病してから、長く主治医を努めていただいている、東城クリニックの東城先生には、心より感謝いたします。

 

第一章 哲学

 

 

ビック・バン

 宇宙の起源です。最新の宇宙理論では、正物質と反物質の融合することでインフレーションを起こし、ビック・バンを起こしたと考えられています。そして、三次元から見ると、宇宙は正物質が支配していきます。

 

人類が、絶対神と呼ぶのは、宇宙の創造主であり、人間を創り上げたのが神(絶対神)とされます。

日本では天照大神が、日本の創造主であり、伊勢神宮で祭られています。

イスラム教の絶対神アラーは、戦う神とされ、マホメットイエス・キリスト預言者と呼びます。

絶対神であり絶大な圧倒的な力を有する神は、我々人類が神と呼ぶ存在です。

 統合失調症の症状は、悪との闘いであり、悪を倒して、はじめて症状が落ち着くところがあります。悪とは破壊であり、心を破壊しようとする悪との戦いが、統合失調症の症状でもあります。

 「神のパワーなくして、成功は何もない。」ということが、現実の姿のように私には見えます。絶対神と、宇宙と、人間との関係が、そこには存在すると思います。

 

全宇宙意識

 全宇宙の魂の集合体です。御仏の世界であり、仏教の説く世界です。

全宇宙意識は四次元に存在し、それぞれの魂は、現に全宇宙意識に存在していると思います。全宇宙意識の中心が天国であり、良い人は天国に帰れると、すべての宗教が教えます。

天国とは、理想社会構築の実現を目指し、楽しいところで、魂の安らぎの場であり、全宇宙意識に、秩序をもたらしているのが天国であると思います。全宇宙意識を、よく表しているのが、仏教芸術のマンダラであり、天国には、神々たちがたくさん居ます。

統合失調症では、魂と魂の会話になっていきます。光のネットワークと呼んでいますが、絶大な圧倒的な力を有する神のコントロールによって、魂と魂の会話をするようになります。光のネットワークが現実となっていくので、光のネットワークを無視出来なくなります。現実と光のネットワークの関係は、すべて現実であり、「すべての真理は現実と共にある。」ということです。

光のネットワークの世界は、幻魔大戦スターウォーズの世界と同じで、光のネットワークと名づけたのも、幻魔大戦からです。人類は光のネットワークを使って、地球を幻魔から守るのだと、主人公の東丈が説きますが、統合失調症の症状は、現実の世界とリンクしながら、光のネットワークが展開していきます。仏になった人たちも数多く登場します。

人それぞれの魂は、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、この地球に誕生した命に魂が宿る。サムスィンググレイトと呼ばれます。それぞれの魂の輝きが、全宇宙意識の輝きを創りあげるのであり、永遠の命とは、全宇宙意識の永遠の輝きであって、それぞれの魂の輝きを保つことが、永遠の命を手に入れることになるのだと思います。

 

 

善と悪

何を持ってして善なのか。善の形とは。

人間は三位一体であるというのは、キリスト教の教えます。認知、精神、愛ですが、簡単に言い表せば、正義、良心、愛にあたると思います。頭、心、セックス。人間の持つ三つのパワーであり、いずれにしても、人間にとって気持ちのよいものです。人間を肯定したとき、その三つが揃ったものが善だと思います。

人間社会というものにおいて、人間社会の長寿と繁栄を考えれば、人間を否定することは出来ません。

正義、良心、愛、三つ揃える作業が良識であり、絶対の良識を考えれば、神々の長寿と繁栄が、絶対の良識であると言えます。イエス・キリストの説いた愛とは、良心のことであることは、ここで述べておきたいと思います。

善の形は、座禅の形。

社会生活を営む上で、大事なことは自己責任ということが言えます。魂が善の形を重んじることで、社会生活における立派な人間になることが出来る。人間は魂に人類の教えを刻み込んで進化し続けていくのだと思います。

悪とは何なのか。

悪とは、善の破壊であり、悪がはびこれば、人間は破壊され、人間社会は崩壊してしまいます。

心には、善と善に対する破壊があり、そのすべてを肯定し、自由にすれば人間社会は何でもうまく良くなどということはありえないという事は、バブル崩壊で経験済みであり、人類はその歴史で幾度となく経験していることだと思います。

人類の問題の根っこには、必ず人間のおごりがあると思います。人間としてのおごりの傷口が広がっていくと、それは悪に代わっていきます。善は生であり、悪は死だと思います。

人間社会を考えた時に、社会の創り方において、「人間のおごりは出来るだけなくしていきましょう。その中で多少の人間のおごりは目をつぶって、愛で結ばれましょう。」という考え方が大事であると思います。

これと同じことが、統合失調症の中で、展開されます。

魂の輝きは、善の輝きであり、善の輝きを保つためには、良識と言うものが大事になるわけで、それが魂本来の輝きを保ち、人間は心地よく感じます。善とは人類の教えであり、悪とはその破壊であると思います。

人間社会の羅針盤は、けして自由ではなく、善であることに気持ちよいと感ずることが、人類の羅針盤とならなければならないと思います。

善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ、理想社会を構築していくのだと思います。

 

人類の答え 

人類のすべての教えの答えは、「善が命であり、愛がすべて。」であるとだと思います。

キリスト教、仏教、イスラム教、儒教、人類のすべての教えの導くものは、善が命であり、愛がすべてであるということだと思います。

すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、絶大な圧倒的な力を有する神が、すべてを完全に支配している。

日本の現憲法でも、自由がすべてとは謳っていません。憲法が謳うのは、愛がすべてであり、みんな好きなことをして、楽しみなさいと謳っていると感じます。

憲法では良心の自由を保障しますが、良心とは何なのか?

簡単に言えば、良い心ですが、良い心とは結局宗教にあると思います。

キリスト教は、愛の宗教と呼ばれますが、イエス・キリストは人類の愛を守ったから、愛のコスモスとなり、人類から一番愛される人間としての神となったのだと思います。

イエス・キリストの説いた愛を、簡単に言えば、思いやり・人を大切に思う心(ときめき)が愛だと思います。

セックスに関しては、三位一体における愛ですが、三位一体から考えれば、心とセックスが結びついたものが、愛の感情となると思います。愛がすべてであって、愛の感情がすべてではない。愛の感情を考えれば、正しい愛の感情もあれば、まちがった愛の感情もあります。

統合失調症の発病は、人類の答えに関係していると思っています。統合失調症の症状を改善させるものは、善と愛です。善を命とし、愛を尊び、愛を守り、愛のために戦い、愛を貫くことで、統合失調症の症状は改善します。

愛がすべてであるというその愛は、良心の愛であり、人間のエネルギーになっていると思います。

人の善に対する努力は、愛がまとめます。

天の力は愛の力、愛の力は天の力。

 

魂・命

 命とは、ビック・バンであり、その命に魂が宿る。ひとつの命は、ひとつの地球であり、ひとつの生命の尊さが、宇宙を創り上げていると思います。

 それぞれの魂は、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、その魂は地球に誕生し、永遠に愛し合う伴侶を見つけることで、魂の永遠の喜びとなると思います。

 人間が地球で生きていくうえで、一番大事なものは魂であり、二番目に命、三番目にお金になると思います。

 魂が自分自身であり、それぞれの性格と同じで、誰一人にしてもまったく同じ人はいません。輪廻しながら造り上げられるものであると思います。

 統合失調症の症状の中で悪の力は、魂を破壊しようとします。悪の力との戦いの中で、自分の哲学が、完成していくと言ってもよいと思います。

 絶大な圧倒的な力を有する神とは、絶対の正義であり、絶対の良心であり、絶対の愛である。人類が神と呼ぶ絶対神である。一人の人間が絶対神となることは出来ないが、一人ひとりがサムスィンググレイトであり、それぞれの魂が、絶大な圧倒的な力を有する神の一部であり、息子であり娘であると思います。

 人類の羅針盤は、魂が気持ち良いと感じることが、人類の羅針盤であり、けして、自由だけではないと思います。

 魂が永遠であることが、人類の本質であり、それぞれの魂は、現に全宇宙意識に存在しています。全宇宙意識の永遠の輝きが、人類の命を永遠とするのだと思います。宇宙に善を撒く種となり、宇宙の希望となるべく、受け継ぎ、人類は進化しなければならないと思います。

 地球は、希望の星です。

 

 心の中心は、全宇宙意識であり、その中心が天国であり、その中心が、絶大な圧倒的な力を有する神である。魂は現に、全宇宙意識に存在し、その魂が、永遠であることが人類の本質でだと思います。サムスィンググレイトであり、絶大な圧倒的な力を有する神が、すべてを完全に支配しています。

 善の煩悩の正しさは、理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。悪の煩悩をつぶすことは、人類の永遠の作業だと思います。地球環境問題を考えるとそのままあてはまると思います。

 すべては、絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべての人類の教えの答えは、善が命であり愛がすべてであると思います。

 「我々人類は、絶大な圧倒的な力を有する神の世界を、構築するために地球に存在す。それが人類であり、神々である。」

 心の善と悪とは、それは生と死であり、善に対する努力は人類を進化させ、理想社会を構築していきます。

 自由とは良識の基に成り立ち、それは心においても同じであって、それで初めて全宇宙意識の輝きが永遠となり、その永遠の輝きが、人類の命を永遠とするのだと思います。

 幸せは、心の平和であり、それがすべての平和の源であると思います。

 人類の羅針盤は、魂が気持ちよいと感ずることが、人類の羅針盤であり、けして自由だけではないと思います。

 人間みんな心が大事。神々の言うことはいつも同じであり、それではじめて人類が一つとなれるのだと思います

 地球で生きていく上で、一番大事なものは魂であり、二番目に命、三番目にお金であると思います。

 統合失調症の症状は、光のネットワークにおいて、善の煩悩と悪の煩悩の戦いと言っても良いと思います。光のネットワークは、現実とリンクするので、哲学の完成が、統合失調症の症状を安定させていくことになります。

 

男と女

 人間、三位一体。キリスト教の教えで、認知、精神、愛を表します。簡単にいえば、正義、良心、愛であると思います。

男と女では、大事にしなければならない順番が違う。男は、一番目に良心、二番目に正義、三番目に愛となり、女は一番目に良心、二番目に愛、三番目に正義となると思います。男と女は同じで違うのです。

 男と女は、体の造りも違えば、地球での役割も違います。男は力が強く、女は子を産みます。正義は剣、愛は盾であると思います。男と女は、人間社会構成の基本であり、地球の楽しさの基本でもあります。男と女の仲の良いことが、世の中が円満になる秘訣でもあり、夫婦はその基本の基本だと思います。

 人類の教えすべてが女性には、愛(イエス・キリストの説いた愛)であって欲しいと説き、その教えは厳しい。男は善でなければならないと、人類の教えもイデオロギーもそう伝えます。男と女の関係は、善が命であり愛がすべてです。そして絶対の愛とは絶大な圧倒的な力を有する神の愛であると思います。

 正物質と反物質の融合によりビック・バンして宇宙が誕生したとされます。ある意味で善と愛とは相反するものです。善は厳しさであり、愛は優しさと表現できると思います。男と女のイデオロギー的な考え方や、男と女に対する社会的秩序においても、善と愛の関係が成り立っていると思います。正と反という表現は、表と裏という表現でも言い表すことが出来ると思います。

 男と女は、善と愛となることが幸せとなる処方箋だと思います。

男と女が結ばれるということにおいて、その幸せにお金が比例するというのもまた現実で、結婚にはその愛を支える経済面も大事でです。しかし、お金がすべてではないと思います。

セックスの喜びは、宇宙の誕生の喜びであり、セックス・結婚というものは神聖なものであるというのが、人類の教えでもあります。

 魂の永遠の喜びは、永遠に愛し合う伴侶を見つけることであり、この地球に誕生し、永遠に愛し合う伴侶を見つけ、天国に帰ってからも愛し合うことが、魂の永遠の喜びとなると思います。

 人類は受け継ぐことにより進歩します。子供を作り、育てることは、二人の愛の分身が、地球で二人の愛をつなぎ、人類を進化させていくのだと思います。

 人生の喜びは、愛と感動であり、その喜びを味わうために人生を送ると言っても過言ではありません。人生の宝物であり、その喜びを広げていくことも、人生にとって大切なことだと思います。

 統合失調症では、男と女に関しては、愛と自由が常にテーマになりますが、愛がすべてであり、自由がすべてではない。それは、人類の教えすべてが導く答えでもあります。

 

人類の進化

 人間としての一番の幸せは、自分の思い通りの人生を歩むことだと思います。それには人類の教えを大事にするというルールが存在します。人間社会の理想は孔子の教えから言えば仁義礼智晋です。仁はおもいやり、義は目上の人を敬う心、礼は礼儀、智は知識、晋は友達。大事にしなければならない順番です。

今の世の中は、憲法・法律が支配しています。良識の支配であり、宗教戦争という過程の中で、最良とされたのが憲法・法律が支配するという世の中です。

 憲法・法律が心を支配することにより、心はコールタールにはなりません。憲法・法律の中には、自由と言う言葉が踊ります。あたかも自由がすべてであるかのような誤解が生まれます。しかし、地球に住む生命体の生態系は、すべて善に対する努力で成り立っています。すべての主義・主張は、善に対する努力で成り立ち、けして自由では成り立ちません。自由は良識の基に成り立ち、それは心においても同じであり、善と悪は、生と死であり、善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ理想社会を構築すると思います。

 統合失調症の症状で展開される光のネットワークは、「自由とは良識の基に成り立ち、それは心においても同じである。」と言う一言に尽きるということも出来ると思います。

 人類が大事にしなければならないのは、良識の基に成り立つ自由だと思います。心には善と悪があり、自由にすれば何でもうまくいくなどということは、けしてないのです。地球に住む生命体の生態系が示すように、すべて善に対する努力で成り立っています。

 憲法・法律が謳うのは、「愛がすべてであり、みんな好きなことをして楽しみなさい。」と謳っていると思います。人間、自分の好きなことをしているのが一番楽しい。その好きなことをする根っこに善に対する努力があるのが人間としての自由だと思います。

 人類の進化・人類の永遠性には四次元がキーワードになるように私には思えます。

 

人類の未来 

  現代社会は、憲法・法律が支配していますが、それは良識の支配であり、人類の長寿と繁栄が絶対であるならば、絶対の良識は、神々の長寿と繁栄にあると思います。絶大な圧倒的な力を有する神の愛(善と愛の一つになったもの)に対する表現力が良識であり、肝心な処を忘れた良識などというものはないと思います。

 統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになります。神との会話ですが、神と会話するのが自然になります。神は常に正しい道を示してくれます。人間の一番自然な姿は、神と人間との関係にあり、すべて神の御手の中にあると思います。

 Oリングテストは、光のネットワークにリンクします。光のネットワークは、現実にもリンクしますが、すべてが神の愛で成り立っていることを実感します。人類には絶大な圧倒的な力を有する神のパワーが働いていることを実感するようになります。

 「人間として人として一番大事なものは良心であり、人は愛する人のために生きていく。そして一番上に正義が来る。心の中心は全宇宙意識であり、その中心が天国であり、その中心が、絶大な圧倒的な力を有する神である。魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが人類の本質であり、それぞれの魂は神の一部である。サムスィンググレイトであり、すべてにおいて絶対なのは、絶対の良識である。

 人類のすべての教えの答えは、善が命であり愛がすべてであり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っている。」

神仏を信じ、哲学を大事にすることは、人類にとって大切なことです。現実の成功は、神のパワーなくして成功は何もないと感じています。また努力が肝心であり、人間は決しておごってはならないと思います。

 みんな一緒に生きていくことが、楽しいという世の中を構築すること、愛と感動に満ち溢れる世の中を構築すること、それが地球のグローバル化だと思います。

自由とは、良識の基に成り立ち、それは心においても同じ。それではじめて全宇宙意識の輝きが永遠となり、その永遠の輝きが人類の命を永遠とすると思います。

全宇宙を永遠としてしまうような、壮大な夢とロマンが、人類には秘められているように思います。

 

第二章 政治

 

天皇陛下皇后陛下

 天皇陛下は日本国民統合の象徴であると、日本の憲法は謳っています。

 日本と言う国は、やはり両陛下がいらっしゃるから、これだけの良識を保っていると思います。。

 現在の憲法が制定されるまで、天皇陛下は日本の国の人間としての神であり、それまでの日本は神の国であると国民が信じていました。

 現在の憲法となり 天皇陛下皇后陛下は人の輪のトップとしての存在に居られます。

 第二次世界大戦終結し、焼け野原となった日本をおまわりになり、傷ついた日本人の心の支えとなられたのが昭和天皇です。

 私の場合、統合失調症の統合において、天皇陛下皇后陛下のお力を借りて統合されていきました。天皇陛下皇后陛下の存在なしに、統合失調症の統合は語れなかったと思います。

 天皇陛下は人の輪のトップとしての善であり、皇后陛下は人のトップとしての愛であると思います。お二人が人の輪のトップとなり、人の輪に秩序をもたらしていると思います。お二人のお力が、世界的においても、日本の国内においても平和と安定をもたらすために多大な貢献をなさっていると思います。お二人のお姿が善のあり方と、愛のあり方を国民に示しておられると私は思っています。

 天皇陛下のお名前の仁は、孔子の理想であり、人としての理想とされます。思いやりと解され、「善は善として善を処する事をせず、悪は悪として悪を滅することをせず、仁を持て人を愛し、憎むこともある。」というのが仁です。帝王学でもありますが、仏の心にも通じていくものです。生きて仏になられるのは、天皇陛下皇后陛下であり、政治家には政治家の仕事があります。仏になるべく善の形の修行をしているのが、お坊さんです。世界にとって絶対なのは、人類の長寿と繁栄であり、世界の平和を人類全体で守っていかなければなりません。仁とは、善と愛が一つになったものであり、神の愛そのものを指すものであると思います。

 

総理大臣

 日本の最高権力者です。

 人の一番上に立つべき人間は、正義でなければならないと思います。総理大臣は日本の正義です。一時期日本の国は政治不信に陥り、政治が大混乱した時代がありました。政治家として一番大事な資質は、正義であり、正義と理想が未来を切り開いていくのだと思います。総理大臣の理想に国民が燃え、理想の国造りに努力することで、国家の繁栄と安定につながっていくと思います。

 国会は総理大臣の舞台でもあります。剣と盾(正義と愛)を使いこなす、最高の戦士でなければならないのがそ総理大臣です。

 統合失調症において、善の煩悩と悪の煩悩が、政治家としての問題となる場合が多いです。善の煩悩は、正しすぎるぐらい正しいのです。善の煩悩の強い政治家ほど期待できる政治家はいないともいえます。善の煩悩の正しさが人類を進化させ、理想社会を構築する。その中で、悪の煩悩つぶすというのは、人類の永遠の作業となっていきます。ただ善の煩悩にしてもほどほどにというのが、人類の教えです。

地球に人類が存在する限り、煩悩は必ず発生ます。煩悩なしでは実社会生きていくことは出来ません。簡単にいえば、煩悩とは幸せになりたいという思いです。善の煩悩を応援し、悪の煩悩をつぶしていくということが、人類の未来を考え、社会を構成していくことで大切な作業ということになります。たとえそれはお金の要らない社会になったとしても、その作業は永遠に続くと思います。その作業で重要なのは政治家であり、政治家としてその作業を放棄することはありえないと思います。統合失調症の中で、神は悪の煩悩つぶしに本当に一生懸命です。神の言葉を借りれば、悪の煩悩が戦争の原因だとも言っています。

 日本のトップとして、日本の正義として、総理大臣を応援していきたいと思います。

 

政党政治・民主主義

 政界再編によって、二大政党の形になってきました。政党政治の良い所は、いろいろな考えを主張する政党がある所です。その中で柱となる政党が政権を担当し、国民の意見を反映させながら、国政を行うところに良い所があります。

民主主義を考えたときに民主主義には、方向性が存在するように思います。人間の魂が気持ちよいと感ずるのは、決して自由だけではないとおもいます。ここで大切にしたいのは、民主主義のルールが存在するように思えます。ものは言いようで、すべての事柄はプラス・マイナスすべてがつながる。アナログ時計にたとえると、その中の時計の数字はすべてつながっている。その中に時計の針があり、その針が時計の数字を指すことにより初めて時計が意味を成す。民主主義において、その針を壊そうとする民主主義などありえないとおもいます。

 統合失調症では、政治の落ち着きが、統合失調症の安定につながっているところがあります。私の場合、統合失調症になってから、支持政党を明確にした所があります。支持政党を明確にしないと、統合失調症の症状が安定せず、いつも政党同士の争いの中に自分を置いてしまう所があります。昔はそれほど政党というものに対して無頓着でしたが、一つの政党を支持することで自分の考えがまとまり、統合失調症の症状の安定につながっていきました。

 光のネットワークにおいても、民主主義の様相が強いと思います。光のネットワークでいろいろな人と会話をするようになるが、それは仏教芸術のマンダラそのものであり、統合失調症の症状として、その会話の中心におかれます。

統合失調症を統合すると、そこは天国が待っています。

現実の世界において、統合失調症は不幸の前触れとも思えるところがあるそうですが、その症状を改善させることは、現実の不幸に打ち勝つための力となっているところもあり、すべては神の愛で成り立っていることを知るようになります。

 

憲法・法律

 日本は法治国家です。法が人を治め、人をまとめます。

 日本国憲法は、世界の理想憲法とされ、マッカーサーが創った憲法であり、その憲法キリスト教の教えが強いと思います。

 現憲法の中核は良心であり、その良心とはイエス・キリストの愛であり、憲法で歌うのは、「愛がすべてであり、みんな好きなことをして楽しみなさい。」と謳います。自由という言葉が踊るが、自由がすべてだとは謳っていません。そもそも思想の自由以外は自由とはすべて公共の福祉の上に成り立っています。宗教が良心であり、良心とは宗教です。宗教を否定して自分の心が良心だと言うこともなければ、良心を否定する宗教などもありません。 

 人間は三位一体であるというのはキリスト教の教えで、認知・精神・愛を表しますが、簡単に言えば正義・良心・愛であり、頭・心・セックスである。セックスに関しては哲学があってはじめて愛となると思います。それは人間の持つ三つのパワーです。人類の教えを表現していくのが憲法・法律であり、すべては、神の愛で成り立っているということだと考えています。赤とブルーの関係がここにあり、赤と言うものが神・魂・人類の教えというものであり、ブルーは憲法・法律を大事にするものである。ブルーというものは、赤に対する表現力であり、赤を否定するブルーなどありえないのです。神の愛とは、善と愛とが一つになったものであり、神と人間との関係に人間の一番自然な姿があり、宗教観を大事にするということは人間として大切なことだと思います。

 世の中は、良識が支配したほうが暮らしやすい。暮らしやすい世の中を創ることは、人類の永遠のテーマであり、パワーを分散した方が暮らしやすい世の中を創ることが出来ます。政教分離三権分立すべてパワーを分散しいているのであり、政治が宗教を否定しなければならないなどということは、決してありえないことです。

 「人類の教えも、お金もどちらも大事だ。」と謳っているのが憲法・法律で、お金がなければ生活が出来ず、人類の教えを大事にしなければ、社会が壊れてしまいます。

 統合失調症の中で、憲法・法律とは心の理想の形であり、憲法とは人類の教えを簡単に表現したものです。現実の世界で憲法・法律を守らないものもいます。それが統合失調症のさわぎの原因の一つでもあります。生きていくためには、憲法・法律を破ってもよいなどという考え方のものが、光のネットワークの世界で槍玉にあげられます。その発想としては、まったくやくざのような発想であり、世の中いろんな人間がいるということだとも思います。人間社会全体から考えた場合、サルの自由に未来はないのです。

 

自由と平等

 自由と平等には意味があると思います。自由とは良識の基に成り立ち、平等は自由から生まれます。良識とは、広辞苑を引くと「卓越した知識、優れた判断力」とあります。中国文明の真髄は、善であることが人の命であると教えます。また、人類すべての教えの答えは、善が命であり愛がすべてです。現代社会における良識とは、憲法・法律でありますが、人類全体を考えれば、神の愛の表現が憲法・法律になっていると思っています。

 自由というものを考えたときに、だらしなくするのが、自由ではないと思います。たしかに、だらしなくするのが一番楽です。好きなことをするのが一番楽しいが、そこに善の根っこがあるのが人間の自由だと思います。

 平等にしても、努力するものと努力しないものとの平等はないと思います。平等は、自由から生まれているものであって、必ず善の形が存在すると思います。

 すべての主義主張は、善に対する努力で成り立ち、逆に言えば、善に対する努力でないものは、主義主張ではないとも言えます。

 地球に住むすべての生命体の生態系は、すべて善に対する努力で成り立っています。巣の子鳥に餌を運ぶ母鳥が、それをやめれば小鳥は死んでしまうのです。

 統合失調症において、自由とは良識の基に成り立っているということを、心でも努力するようになるのが、統合失調症です。そして、すべてが、神の愛で成り立っているのを知るのも統合失調症です。すべては神の手の中にあります。

統合失調症の症状の中で、自分の存在が、イエス・キリストや仏に例えられるという症例が多いようです。統合失調症の症例の中でもイエスキリスト・仏の存在は大きいと思います。

現実におけるOリングテストの事例などからも、すべてが絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っているということに、何の疑問も感じなくなります。

 人間は選ばれた生命体であり、絶大な圧倒的な力を有する神と人間との関係に、人間の自然の姿がそこにあると思います。善に対する努力は、人間として人として正しい生き方であり、その努力は人類を進化させ理想社会を構築していくのだと思います。

 

政教分離

 政教分離憲法で謳います。この政教分離はパワーの分散であり、政治が宗教を否定するものではありません。 

 憲法は、良心の自由を保障し、宗教の自由を保障します。良心とは人類の教え(神道儒教中国文明・人類のイデオロギー等)であり、宗教です。私は日本人なので、特に世界三大宗教イスラム教・仏教・キリスト教)を指すが、人類の教え・宗教を否定して自分の心が良心だということはありえないと思います。

 メディアの報道で気になるのは、政治は宗教を否定しなければならないと、誤解を受ける番組を見るときです。 

 宗教とは心です。政治に心がなければ大問題だと思います。

理想と正義が未来を切り開き、理想と正義の基に世界が歩調を合わせ、そして憲法が支配するというのが今の世の中です。良識の支配ですが、良識とは神の愛に対する表現力であり、世の中良識が支配したほうが暮らしやすいからです。宗教戦争のようなものがなくなるし、政治が良識の基に行われることによって、政治の異常な行動もなくなります。しかし、決して肝心な処を忘れてはならないと思いんす。

世の中にパワーを分散したものは、数多くあります。パワーを分散することで、全体の安全と安定を図れるからです。

政治と宗教は良識がつないでいるのであって、政治が宗教を否定するものであってはならないと思います。

法律でも、宗教法人法で、人類の教え(宗教)は政治に反映させなければならないと謳っています。

統合失調症では、政治も宗教もその占める位置は大きいですが、やはりそれをつなぐのは、良識であり神の愛であると思います。統合失調症という症状は、それをつなぐ作業を行うところもあります。政治と宗教がバラバラでは統合されるわけもなく、統合失調症統合のための大きな作業の一つと言ってもよいと思います。

 

政治家

政治家の仕事は、舵取りと官僚のコントロールです。

金権政治から政治不信になり、政界が再編成されました。日本の政治の歴史で新しいところです。

 日本の憲法では国会議員の権力は、国民の恩恵のためにあると記されています。国会議員または、政治家の権力というものは、官僚のコントロールをするためにあるものとも言えます。そのためにみんなで選挙を行い、政治を行うものを選挙で選びます。

官製談合などと騒がれているが、官僚政治というものが決して良いものでないことは世界的に騒がれています。

 政治家の一番大事な資質は正義だと思います。正義が一番上に来なければなりません。そして理想というものを大事にしなければならないと思います。現実主義は理想主義が支えています。

現実主義は簡単に言えば、お金がすべてです。しかし理想主義によって、現実主義は成り立っているのです。

 未来を切り開くのは、正義と理想であり、そして正義と理想の基に、国際協調が生まれます。絶大な圧倒的な力を有する神の愛に対する表現力が良識であり、それが憲法・法律の支配となっていると思います。肝心な処を忘れて、政治もなにもありません。

 統合失調症の症状の中で、政治家も良く出てきます政治家の権力というものが、一

市民に及ぶということはあるまじきことであり、政治家の権力というものを理解していないと思います。また逆に官僚をコントロールしようとしない政治家も自分の仕事を良く理解していないと言えます。政治家も憲法・法律に支配されるわけですが、政治は政治家が行わなければいけません。官僚政治などというものは決して良いものではなく、官僚が政治家に抵抗するなどということ自体、憲法・法律を良く理解していないと言えます。

結局、政治とお金の問題に行き着いてきますが、政党が憲法・法律にのっとり官僚をコントロールすることにより政治献金を受けることは、正当だと私は考えます。官僚にそういう権限は何もありません。

善の煩悩の強い政治家ほど期待できる政治家はいないともいえます。煩悩なくして生きていくことは出来ません。しかし、煩悩は善と悪があり、善の煩悩の正しさが理想社会を構築し、すべての宗教を完成させます。でもほどほどにと言うのが人類の教えであり、簡単に言えばお坊さんの持つ善の煩悩です。悪の煩悩は社会を壊してしまうので、悪の煩悩つぶすことは人類の永遠の作業であり、お金の要らない社会になったとしてもその作業は続くものだと思います。政治家の仕事として、善の煩悩を大切にして守っていくと言うのは、大切な仕事であると思います。孔子の政治哲学として富の公平な分配がありますが、社会を造っていくとき大切なことだと思います。それが生きていく力の一つになっていくと思います。

政治家は理想社会の構築の実現を目指さなければなりませえん。理想社会というものは、人類の教えにあります。肝心なことを忘れて政治も何もありません。政教分離の意味がまったくなくなってしまいます。我々は人間社会を構築しているのです。そのリーダーが国会議員であり、政治家です。

人類には「ベクトル」が存在し、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあります。

 

第三章 経済

 

経済の理論

 経済理論の根本は、自愛です。自分を愛するということが、経済を動かします。現代の経済学からすれば、「欲しい」という気持ちが、その根本となっていますが、その行動は自分を愛することから生まれます。車が欲しい。おいしいものを食べたい。家が欲しい。物・サービスすべて欲しいという行動はすべて、自分を愛することから生まれます。逆に、お金持ちになりたければ愛されることです。物・サービスすべてにおいて愛されることです。経済とは、愛の循環から成り立ちます。それが経済学の根本の部分であり、けして経済は自由で成り立っているわけではありません。

マルクス理論は、有名な経済理論だが、経済の繁栄のエネルギーを自由に求めて、宗教を否定します。心と経済の分裂であり、精神分裂症と言われた語源でもあるような気もします。マルクス理論は経済理論において、成熟していない理論ではないかと思えます。

経済において、お金が善であることが、経済の命です。

日本のバブルはなぜ起こったのか?

リゾート法によって、銀行が善のたがを外したからです。バブルの頃、銀行は土地であればなんでもお金を貸しました。銀行が金余り状態になり、お金を貸しまくったのです。それがバブルの原因です。それが大量の不良債権を作り出し、銀行まで崩壊するという状態を生んでしまったのです。

経済活動をとらえた場合、その活動は愛がすべてです。家つくりなどは、愛がすべてそのものと言っても良いと思います。

経済の繁栄においても、そこにあるのは人類の教えの答えであり、善が命で、愛がすべてだという答えがあると思います。

経済と人類の教えが、分裂するということは、決してないのです。

統合失調症の統合は、経済と人類の教えの統合であるとも言ます。人類の教えと経済の理論が一つになって、統合失調症の症状は軽減ます。統合失調症の症状は、いろいろの分野が統合すると、楽しくなってきます。それには、自分の哲学を完成させることが一番重要なところです。

 

 

自由経済

今、世界は自由経済に、グローバル化しています。自由経済が経済構成として最良とされます。日本の国は、経済大国でありますが、アメリカから学んでいることも多く、経済を自由にすることで経済を維持しようとしています。経済は現代のテーマであり、経済の発展が人類の発展であるという考え方が主流です。そのためアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の考え方も一緒に輸入しているところがあります。しかし、このアメリカナイズは、人類の教えをすべて破壊してしまいます。そもそもアメリカ自体がアメイカナイズに苦しんでいるというのが実情です。このアメリカナイズは、いろいろな社会問題を発生させ、国を衰退させる原因の一つだと考えています。やはり人類の教え・宗教観がしっかりしている国が繁栄します。アメリカ経済が強いのは、アメリカ人は頭が良く、ベクトルで動き、アメリカの憲法の理想は正義というところにあると思います。正義に自由を当てはめると魂は熱くなります。経済を発展させる上で、「魂が熱い」というのも重要な要素になっていると思います。

自由競争の造り出すものは、競争の原理(善に対する努力)と、善のバランスです。昔、エジプトでは、ピラミッドを造るのに競争原理を利用して造りました。善に対して努力するのに、競争させることで競争の原理を生み出します。大きな資本が小さな資本を食べてしまうのは、経済における定石と考える部分だと思います。大きな善が小さな善に勝つのは当たり前です。社会は善に対する努力で成り立っています。決して自由で成り立っているわけではありません。本来、自由とは楽なものであり、自分の好きなことをするというのが、自由です。現代社会は自由=善という考え方をするが、自由とは、掛け替えのないもの・大切なものであり、考え方として自由=善では、ないと思います。自由とはみんなで守るものであり、自由がすべてだという考え方はないと思います。

もう一つ自由競争の造り出すものに、善のバランスがあります。競争によって、それぞれの善の形が生まれ、全体でバランスを造り出します。その中で自由に行動し経済全体を支えています。

自由競争は、人類の教えから考えれば、善が命の部分です。

統合失調症においても、結局アメリカナイズが問題です。アメリカナイズの考え方は、心・社会を衰退させてしまうものだと言えます。症状の中で、アメリカナイズと戦っていると言ってもよいと思います。

 

経済の永遠性

経済の永遠性を考えると、自由にあるようには思えません。

バブルを造り出した状態を考えると、銀行が善のたがをはずしたのが、一番の原因で、リゾート法そのものは、愛の法律です。やはりそこにあるのは、経済においても大事なのは人類の教えであり、善が命で愛がすべてであると言えます。

人間としての一番の幸せは、自分の思うようになる、自分の思いどおりの人生を歩むということが、人間としての一番の幸せであり、そこには善に対する努力があり、それが人間としての自由として尊重されるべきものであると思います。

 幸せを求める自由において、大事なのは人類の教えであり、それが人類のルールとなるものです。世界において、特に日本においては、平和は絶対とされるべきものであり、その平和とは人類のルールが造り出すものだと思います。

 アメリカナイズは、人類の教えを破壊し、嫉妬・やきもちは、社会の根源悪になってしまいます。この二つも、否定しなければならないものだと思います。経済においても、大事にしなければならないのは、人類の教えであり、経済の健全な発展のためには、人類のみんなが大事にしなければならないことだと思います。人類の教えは、熱い魂となり、経済を根本から支えるものとなると思います。

 経済の永遠性を考えたときに、経済自体、人間そのものを創っているように思えます。

 国会が頭脳、お金が血液、銀行・官が心臓、土地は経済の基盤であり不動産業が骨盤、衣食住車にかかわる業種が背骨、情報産業が神経・血管、各業種が体全体を構成し、そして一人ひとりが一つの細胞。そして大事なものは、心であり、人類の教え。経済学からみれば経済における根っこは、自愛です。自由競争の創り出すものは、善に対する努力と善のバランス。経済活動そのものは愛がすべてです。自分を心から愛せる国を創ることが国を繁栄させることになると思います。人類全体の経済が、一人の人間として構成していくようにも思えます。文明社会で一番大事なものは、エネルギーであり、文明社会を根本から支えます。人を動かすエネルギーは、心であり愛であり、お金は栄養素であり血液であると思います。

 統合失調症において、前にも述べましたが、症状の中で人類の教えと経済の分裂が、統合失調症の症状を悪くします。心において人類の教えと経済が統合されると、統合失調症の症状は安定します。

 

 経済の要 

 経済の要は、銀行です。お金が善であることが、経済の命であり、それを守るのが、銀行の使命であり役割だと思います。

 リゾート法によって、銀行が善のたがをはずしてしまい、バブルを造り出してしまいました。

 銀行には銀行法があります。銀行法を簡単に言えば「経済の健全な発展のために努力し、預金者等を保護する」というのが、銀行の使命であり役割になります。体でいえば銀行が心臓であり、体に血液を送り出しています。銀行が健全であることが、健全な経済を造り出し、丈夫な経済を造ります。銀行が会社の経営に対しての、経営としての可能性・安全性を思慮し、経営者にお金を貸しだすことで、世の中にお金を流しだします。当然、貸し出したお金は銀行に返っていくわけですが、銀行の使命を忘れると、経済が壊れてしまいます。それはバブルによって経験済みです。銀行も株式会社ですが、銀行はけして金儲け主義に走ってはならないと思います。

 銀行が、護送船団方式をやめ、ビック・バンしたことによって、銀行にも、善に対する努力と、善のバランスが生まれます。預金の保護のことを考えると、預金者には不安な部分もできますが、経済全体を考えると、経済の健全性・安全性が増すことになります。

 経済は生き物です。人の体の健康状態を、維持することとまったく同じとも言えます。健康な体の基本は、きれいな血液です。

 お金は道具です。社会構成は、善に対する努力で成り立ち、お金はその対価になります。人類がこれだけ進化してくると、貨幣制度でなくカードを使ったりして、新しい社会構成は考えられてきています。社会構成・経済においてその基盤となるものは、善であることが重要であり、それを守ることが、社会構成・経済を守ることになります。人類の発展を考えたときに、そこにあるのは、人類の教えであり、善が命で、愛がすべてです。

 統合失調症では、経済におけるアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)をいかに退治するかというのが問題となります。アメリカという国は大好きだし、アメリカの文化も大好きです。そもそもアメリカナイズというもので苦しんでいるのはアメリカです。

 

経済の未来予想図

 暮らしやすい世の中を造ることが、人類の永遠のテーマです。その答えは、人類の教えでも、現代の経済理論でも同じで、愛に生きることのできる社会を創り上げることにあると思います。ギリシャ哲学にコスモスとカオスがあります。コスモスが秩序でカオスが混沌です。コスモスとカオスは混在し、理想主義と現実主義が二つで一つであることと同じだと思います。理想主義とは哲学であり、現実主義とはお金です。政治と経済は社会の両輪ですが、その両輪を結ぶのは哲学だと思います。

 経済理論上は最終的に、お金の要らない社会に到達しようとしています。法律では、「国民には労働の義務がある」と謳っていますが、すべての主義主張がそうであるように、社会構成は善に対する努力で成り立っています。今、私たちは、貨幣制度の中で生活しています。お金という道具を使い社会を創り上げていますが、世界的にどの国も、赤字で悩んでいます。生活が豊かになり、お金のかかる世の中になって来ているのも事実です。今は、誰でも携帯電話は持っていますし、車も必需品、生活するのにお金はいくらあっても足りません。国は赤字続きで借金が膨らんでいます。先進国ではどの国も少子化の問題を抱えている国が多いです。日本は急速な高齢化社会を迎えようとしています。少子化すると国力は衰退してしまいます。

 人類の未来を切り開くのは、正義と理想にあります。人類は常に理想に向かっていかなければなりません。「自由から愛へ」。人類は常にそのサイクルの中で進化していくと思います。

世界で今の貨幣制度を続けていたのでは、ただその借金で苦しむようになってしまいます。人類の進化は、今の貨幣制度から脱却して、新しい貨幣制度を可能にしているように思います。人類は今の貨幣制度からの脱却は必要だとも思います。今の貨幣制度へのこだわりは、ただ人類を苦しめるだけになってしまいます。

 社会構成は、善に対する努力と、その努力を国が補償し、社会的基盤を守ることにあります。

 新しい貨幣制度とは、国はお金を自由に使い、お金の帳尻あわせの作業をなくしてしまうのです。借金で成り立つ経済を造っても、それはただ人類を苦しめるだけになってしまいます。経済バランスを造り出すのに借金によって作り出すのでは、それではマイナスの経済です。生産性の向上と機械化・コンピューター化はプラスの経済を可能にすると思います。

 人類の新しい幕開けは、そこにあるような気がします。

 

第四章 会社

 

 

経営哲学

 経済とは、経世済民の略です。世をつなぎ民を救う。

 政治と経済が世の中の両輪であり、政治が正義なら、経済は愛だと思います。経済の循環は愛の循環であり、世の中の経済の基盤は善だと思います。経営にとって重要なのは、やはり人類の教えです。

 経営においては、経世済民が経営哲学になるべきものだと思います。そからそれぞれの会社の理念・理想が生まれ、会社の永遠性をもたらすべく努力していきます。

 自由競争では、善に対する努力と善のバランスが生まれます。

 世の中のために、いかに社会的貢献をしていくか?社会的貢献が大きい会社をいかに創り上げることができるか?

 経営は夢とロマンだと思います。経営者にとって会社の経営のするうえで、夢とロマンが、やりがい、がんばりに変わるわけで、経営者の心といってもよいと思います。

 夢とロマンは、人生を明るくします。経営者にとって、何もかにも、思い通りになるわけではありません。しかし、幸せは夢を実現したステージにあるのも事実です。

 経営哲学における会社の理念・理想は、会社で働くものにとって、魂を熱くさせるものがあります。人はお金を稼ぐとき、人のために、世の中のために働いているということが、自分の誇りになり働く糧となり、世の中に存在する自分に満足感を感じるものだと思います。

 人間にとっての一番の幸せは、自分の思うようになることだと思います。自分の思うとおりの人生を歩むということで、そのために善に対して努力するのが人間としての自由だと思います。

経営者は自由です。自由でありたいと思いが強い人は、やはり経営者であることが多いと思います。しかし、そこには人類の教えがあり、自由とは良識の基に成り立ち、経営とは愛であるということは、けして忘れてはならないと思います。一人で経営している場合は別ですが、人を雇う場合、けして経営者は肝に銘じなければならないものだと思います。

 統合失調症の発病において、恋愛の悩み、会社選びの悩みの中で、発病するケースが多いようですが、そこに存在する問題として、やはりアメリカナイズの問題が多く占めていると私は思っています。

 

天の時 

 天の時、地の利、人の輪。仕事を成功させる三つの条件として、中国の貞観政要に記されています。この貞観政要とは、帝王学の書で、日本には平安時代入ってきて、それ以来、リーダーの書として愛読されているものです。

 天の時とはまさに天の時であり、チャンス到来、善を尽くす時です。

 経営者にとって、時代を読むというのが仕事でもあります。この企画はどうだろう、この商品は売れるだろうか、時代のニーズに合ったものでなければ、仕事は成功しないでしょう。企画にしても、商品にしても、会社が一丸となって努力していくが、時代にあっていなければ、会社にとって多大な損害となります。会社の経営にとって、一番難しいのは時代を読むことであり、経営者の仕事は時代を読む能力が大事になります。時代の情報を整理し、時代に対して敏感になることでこの能力は、養われていくものですが、努力したからといって、必ず成功するとは限りません。仕事の成功を考えたときには、必ず神の力が働くように感じます。人によって、偶然であるとか、ついているととらえるかも知れません。仕事の成功は、神から愛され、神の力に守られるということが、不可欠であるように思えてならないのです。

人間社会だけで世の中を成り立たせようとしても、そこには繁栄を感じられません。アメリカでは、お金に「我々は神を信ずる。」と書いてあります。神の愛で守られる、神の力を信ずることで、人間社会全体が繁栄し、成り立っているように思えてなりません。

 日本には神社がたくさんありますが、中でも伊勢神宮は、神のパワーが強い磁場だと言われています。神から愛されるためには、神を愛し、神を喜ばせることが大事で、また仏を大事にすることで、仏に守ってもらえます。宗教観というものを大事にして、当たり前のことを当たり前にするということが大事だとも、多くの人が語っています。

 神に対して、「私を幸せにしてください。」という謙虚な気持ちが、人を幸せにしていくと私は思います。

 統合失調症では、神と話すようになります。そしてすべて神の御手の中にあり、すべて神の愛で成り立っていることを知ります。「天の力は愛の力。愛の力は天の力。」統合失調症の症状の安定化のためには、善に対して努力していくことも大事ですが、症状の中で神と和解することが、精神の安定には大事で、Oリングテストもその一つですが、人類には神の力が働いていることを感じるようになります。

 

地の利

 地の利も、仕事を成功させる条件の一つであり、その場所なければなしえない利益、その場所だから得られる利益ということになります。

 現実において地の利から得られる利益も、大きな影響があります。

 自由競争なので、利益が大きい仕事には、新規参入者が増え過当競争になりやすい。ある市の場合など、ホテル業界の過当競争に熾烈なものがあり、その市の先見性から投資をするのでしょうが、これだけホテルを造って一体どうするのだろうと考えてしまうところもあります。しかし、その中でも立地のよいホテルは、その過当競争にでも勝ち残っていけるようにも見えます。

 マンション業界を見てみると、今、マンションも数多く建っています。分譲マンションには、日本の人口の約十分の一の人たちが住んでいるそうですが、マンションを購入するにあたって、優先する順位がありまず。一番目は価格。予算上、手の届くマンションを購入します。二番目に場所。結婚していて子供がいる場合、子供の学校が一番の問題であり、子供がいる場合は一番考慮するところです。三番目に間取りです。

デベロッパーが開発する場合、その場所に開発する計画性が、分譲するにおいての成否を左右します。計画性が優れている場合、あまり苦労することなくマンションは売れていきます。計画性が悪いと売れ残りが多くなり、経営的に圧迫するようになります。やはり計画性には、場所の選定が大きなウェートを占め、計画する場所によって成否が決まるといっても過言ではありません。

 もう一つ土地売買の例をとって見ると、昔バブルのころは、土地というだけでどんな所でも売れた時代がありました。一億総不動産家と言われ、子供まで不動産に興味があるという時代でした。今は、売れない土地は安くても売れないという時代で、相場的な意味で、場所と価格が売主と買主の折り合いにつかなければ売買とはなりません。

 不動産業的な見地から、地の利というものを見てみましたが、事業の場合、投資というリスクを背負うので、重要な位置づけの一つになります。

 統合失調症の統合において、私は住んでいるところを変えなかったおかげで、成功できたと思っているところもあります。他に移り住んでしまっては統合させることが出来たかどうかはわかりません。

 

人の輪

 仕事を成功させるための三つ目の条件である人の輪。貞観政要には、「輪をもって滅ぶなかれ」ともあります。人の輪とは正しい人の輪でなければならないというのが、貞観政要の教えでもあります。

 正しい人の輪で大事なのが、まず人の輪のトップに立つ人物です。リーダーとも言いますが、トップの考え方でどういう人の輪が出来るかが決まります。正しい人の輪をつくるためには、トップは、善でなければなりません。現実を考えてみても、日本という国は、両陛下がいらしゃるお陰で、これだけの平和と平穏を保っているというのも事実です。天皇陛下は日本国民統合の象徴であり、人の輪の支えとなっています。トップが、いいかげんだったり、悪である人の輪は、人が安心して暮らせる人の輪ではありません。暮らしやすい世の中を創るということが、人類の永遠のテーマであり、政治にしても経済にしても、トップに立つ人間の自覚と責任というものは、人の輪にとって本当に大事なものだと思います。

現代の世の中を考えたときに、政治の富の公平な分配が、善の煩悩に対する分配と成しえることが、重要なファクターになっているように思います。この部分がでたらめだと、でたらめな世の中になってしまいます。

 次に大事なのが、信賞必罰。信賞必罰は、人の輪に対して善の方向性を生み出します。正しい人の輪は、常に善の方向性が生み出されなければならず、善に対して努力する人の輪であるならば、信賞必罰の考え方が重要になってきます。会社であれば、会社では善の形をつくりあげ、自分の会社の善の形をいかに社会に認めてもらうのかが良い会社の創り方でもあります。

 ここで笑いというものを取り上げてみたいと思います。笑いは人をつなぐものとして重要なものだと思います。笑いは心の潤滑油となって人の心をつなぎます。笑いは心というエンジンの潤滑油そのものであり、新鮮なエンジンオイルはエンジンを守り、エンジンの働きを助けます。その反対で悪くなったエンジンオイルはエンジンを悪くし壊してしまいます。

 人の輪を考えたときに、そこには神と人類との関係を忘れてはならないと思います。

 統合失調症では、前にも述べた光のネットワークがありますが、光のネットワークに関しては、統合失調症の統合の中で述べたいと思います。

 

会社の永遠性

 会社の平均寿命は十年と言われます。時代には波があり、良いものは必ず悪くなり、悪いものは必ず良くなるとも言われます。その中で会社の永遠性を考えてみたいと思います。

まず第一に、売るものを含めた上で、社会的貢献を果たす会社でなければなりません。その社会的貢献のセンスが愛されれば、利益も大きくなり会社が潤います。

第二に、薄利多売であること。自由競争という善のバランスは、薄利多売の形を取っていかなければ、会社の永遠性はなくなってしまいます。

第三に、薄利多売にする中で、会社のもうけのシステムを考えること。

第四に、営業マンが優秀であること。優秀な営業マンとは、愛される営業マンであり、営業マンが愛されることが、会社が愛されることになります。

以上四つが、会社の永遠性としての骨組みになります。

会社の永遠性に肉付けしていくと、仕事を成功させるための三つの条件である天の時・地の利・人の輪。そして、会社としても、働いている人たちも大事にしなければならないのは人類の教えであり、善が命で愛がすべてであるということは、会社の中核でなければならないと思います。

経営者は、それらを踏まえたうえで時代の先を読み、会社の経営にあたっていかなければ会社の永遠性は生まれてこないと思います

人間がこの地球で生きていくという中で、会社が社会的な貢献を果たし、暮らしやすい世の中を創るということが、会社にとって一番大事なことだと私は思います。

統合失調症の中では、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになります。すべて神の御手の中にあり、すべて神の愛で成り立っていることを知ります。二十世紀における、ブルーへのこだわりだけが人を幸せにするのではなく、神と人間の関係の中に人間の一番自然な姿があると私は思います。人間は全宇宙意識に生きて、三次元に存在しています。統合失調症の統合は、神がすべてを統合していくようになります。

神は人類を愛しています。

人類が善となることが命ならば、神の愛がすべてです。神と人類の関係はそこにあると私は思っています。

 

第五章 家族

 

親子

親子の関係が、人の結びつきの中で一番強いものです。

親は子に対して、さまざまなことを教えます。それは先祖代々引き継がれてきたものでもあります。親子の情は、人としての情の根っこでもあります。人間だけには限らず、この地球に住む生命体において、高等であればあるほど、その情は深いともいえます。血をわけた子が一番かわいいと言うこともよく聞きます。さまざまな人間関係において、その土台となっているものです。

親子というものを考えたときに、人としての生き方の中で、その核となるものは宗教観であると思います。宗教観なしに子供を育てようとしても、支えていくものは情だけになり、何の疑問を感じないということのほうが不思議に感じます。セックスした結果子供が出来、その結果子供を育てるという世の中では、社会の繁栄はないでしょう。

今、先進国は少子化の問題を抱えている国が多いです。日本の国は、第二次世界大戦までは人口は増えていきます。世界大戦終了後、新憲法になり少子化の一途をたどります。アメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の考え方が、宗教観や人類の教えを壊しているように思えてなりません。人間みな自由で平等だということは、私は小学校三年生で教わりました。自由で平等なのは命の権利であり、自由と平等を保障する国家の基、暮らしやすい社会を築き上げるのであって、地球に動物園のサルの山を作るのとはぜんぜん違います。

生きていくということは、地球で暮らす戦士たちの集団であり、戦士は魂の結びつきを大事にし、つらい時、苦しい時、助け合ってお互い協力して戦っていくという戦士の戦いそのもののようにも見えます。

親子には魂の約束があり、その約束の基に誕生し、親子の魂の絆は、社会としての絆の基盤となり、社会として人と人とを結ぶ基盤となるものだと思います。魂の約束、魂の絆が、人としての財産であるということを大切にしなければならないと思います。

宗教観・人類の教えというものが大事であるということは、親が子に教えていかなければならず、子が親になり、子が親になるのです。子の幸せを考えることが親の幸せとなり、親子関係の基本とは、そこにあると思います。親としての生き方、子としての生き方の中で、魂の約束があることをけして忘れてはならないと思います。

 

夫婦

哲学的に夫婦を考えると、人類の教の基本にあると思います。人類の教えの基本とは、みんな一緒に生きていくことが楽しいという世の中を構築すること、愛と感動に満ち溢れる世の中を構築することにあると思います。現代の世の中はそのために、憲法と法律でまとめようとしています。人類の教えは、女性に厳しいところはあります。人類とは、女性の愛としての自覚からすべて始まります。愛とは思いやりであり、人を大切に思う心(ときめき)です。男の愛を女が受け入れて、愛は成就します。善が命で愛がすべてです。それが人類としての愛の形だと思います。

結婚というものは、男と女の人生における大事業であり、大事業を成功させるためには、二人で愛を揃えて夢を揃えることが必要です。本当は、自由社会というものの理想は、みんなが自由で愛と夢がいっぱいになる世の中を理想としていると思いますが、宗教観というものが、愛を支え夢を支えるのであって、ただ単にアメリカナイズの世の中を創っても、人類の教えを壊してしまい、暮らしにくい世の中になってしまいます。人類の教えには、人類五千年の歴史があり、人類が五千年かけて積み重ねてきたものです。

現実的に考えると、結婚には経済力が大事です。昔は惚れたはれたで結婚してみてもとよく言ったものですが、現実主義というものは、簡単に言えば、お金がすべてです。理想主義と現実主義は二つが一つで成り立ち、幸せを考えたときにその核となるものは愛です。その愛を守り、潤わせるのもがお金であり、それを知らないと不幸になってしまうというのも現実です。

夫婦は、やはりお互い助け合い、支えあわなければならないと思います。日々の暮らしの中でも、夫婦で支えあい、お互い大切にすることが思いやりとなり、その愛のパワーが心に充満すると、大きな力となり、夢の実現のために、愛のパワーが大きな力を発揮し、夢を実現するための原動力となると思います。心を見つめたときに、神の愛(絶対の愛)を守るのが男と女だと思います。そこには人類の教えがあり、哲学があります。

伴侶を大切にするということは、家族愛につながり、子供たちが大きくなってからも、社会で生きていくうえで、心の大きな支えとなっていくと思います。人生において家族の大切さは、その人の人生の核となり、心の核になっていくと思います。

 セックスを哲学すると、セックスの喜びは、宇宙の誕生の喜びです。若い年代のときは性欲が強いのは自然の摂理で、人類を繁栄させるものであります。セックスとは夫婦の喜びであり、結婚とは神聖なものであるというのが人類の教えです。セックスには哲学があって始めて愛に変わります。子供をつくり、教え、育て、家族があり、夫婦の営みがある。家族の幸せを考え、家族という愛の絆をつくりあげていくのが夫婦です。

 永遠に愛し合う伴侶を見つけるということは、魂の永遠の喜びであり、この地球に誕生する喜びは、永遠に愛し合う伴侶をみつけることにあるとも思います。仏教では愛語は楽しいと言いますが、愛の喜びが魂の喜びであり、魂の喜びあるところに生きる喜びがあると思います。

 人間みんな心が大事であり、気持ちが一番大事です。愛とは思いやりであり、人を大切に思う心(ときめき)であり、その愛が人をつないでいるのです。愛は守り、つなぐ。男は善となり男であって、女は愛となって女。善が命であり、愛がすべてです。絶対の愛とは神の愛なのだと私は思います。

 

健康

 体の健康というのも、気になる問題の一つです。

 医学には、予防医学、西洋医学東洋医学がありますが、健康な体を維持するために大切なことは、すべて同じことを言っています。

まず、きれいな水。人間の体は、約65パーセント水分です。血液をきれいにするために、水を毎日2リットル飲みなさいということはよく聞きます。昔、酒は百薬の長と言ったのは、酒はきれいな水で出来ているからです。しかし、少量のアルコールは体によいが、あまりたくさん飲むと肝臓によくありません。

 きれいな水で、一番おすすめするのが還元水です。世界の中で、トレドの水など病気を治す水があります。その水を分析すると、すべて活性水素水であることが解明されてきています。予防医学とは、簡単に言えば体から発生する活性酸素を、いかに抑えるかと言うのが予防医学です。この活性酸素と言うのは、人間のあらゆる病気の原因とも言われています。活性水素水は、体から発生する活性酸素と結合し、体を弱アルカリ性に保つため還元水と言われています。還元水は癌やエイズにも効果があるとも言われ、きれいな水としてお勧めするとすれば、還元水をお勧めしたいです。

 次に、体を温めること。ひえは万病の元と昔から言われます。体を冷やすことは人間の体にとって、細胞の働きを弱め免疫力を低下させます。免疫力が低下するので病気になりやすいのです。現代人は、基礎体温が低くなっているとも言われています。昔の人と比べ体を動かす機会が減ったため、どうしても基礎体温が低くなったようです。毎日お風呂に入って、体をよく温め疲れを癒すことは、体の健康のためにもほんとに大切なことです。今から十五年ほど前、遠赤外線がもてはやされたときがありました。遠赤外線は体を芯から温め、基礎体温を上げる効果があります。基礎体温が上がれば免疫力が上がり、病気になりにくい体が出来ます。遠赤外線は成長光線ともよばれ、遠赤外線効果で病気が治ったという人もたくさんいると言うのもほんとの話です。

 最後に、バランスの取れた食事。体をつくりあげていく栄養素のバランスが大事で、自分で食事のバランスを考えることも大事なことです。

 きれいな水を飲み、体は冷やさず、バランスの取れた食事をすることが、健康のために本当に大切なことになると思います。

 

第六章 文化

 

日本

日本は世界の良心です。私は日本国民の一人であり、日本を愛する一人です。

 日本の文化的特徴と捕らえたときに、わびとさびがあると思います。日本人の持っている感覚の中で、わびとさびというものは日本に根ざしたものです。人間関係にしても、あらゆる文化・芸術の分野にも感じるところが多くあります。日本は古来、遣隋使や遣唐使など、中国文明の影響を多く受けています。仏教の伝来や、さまざまな中国文明の教えが日本に入ってきて、日本ではそれを消化していきますが、日本人のわびとさびというものはその中でも残っていきます。宗教建築からわびとさびを考えていくと、わびとさびというものは日本人の持っている美的感覚であるように思えます。日本料理にしても、日本絵画にしても、日本人の美的センスと言うものが随所に、現れてきているのだと思います。すしは、今世界的なブームになっているようですが、すしや日本料理に対して海外の人は、おいしくて大変きれいだというのが評判です。日本絵画にしても日本人の持っている美的センスであり、それは人間関係・対人関係でも同じような気がします。

 日本という国を考えたときに、日本の姿は、神道仏教にキリスト教がかぶさっているのが日本の国のように思えます。第二次世界大戦敗戦によって、現憲法マッカーサーによって作られますが、現憲法キリスト教の教えが強いと思います。良心の自由を保障し、すべてそこから成り立っているのが現憲法です。良心とは心の愛であり、イエスキリストの説く愛です。日本国民のほとんどは神道仏教であり、憲法・法律の統治下のもと暮らしてますが、憲法キリスト教なのです。

 キリスト教の精神と神道仏教の精神をつなぐことは必要であると思います。日本には世界各国の文化が融合しています。その中で日本人としての心というものが一つになることによって、日本という国を愛する心になっていくのだと思います。

 統合失調症において、憲法と人類の教えは大切なものとなります。憲法によって心はコールタールにならず、人類の教えによってその輝きを保ちます。命に魂が宿り、その魂に人類の教えを刻み込んで魂が進化し、憲法・法律を守ることによって人間社会の繁栄があるのだと思います。

 

アメリ

 アメリカは世界の正義です。世界のリーダーであり、自由を象徴する国です。

 アメリカという国は、メイフラワー号にのってイギリスから移民したのが、アメリカの国の始まりであり、フロンティア精神に富み、国を開拓しアメリカという国を造り上げたのは偉大です。

 私にとってアメリカの自由の象徴は、自由の女神です。独立を記念してフランスから送られものですが、右手に掲げるたいまつはベクトルに見えます。左手には人類の教えとしての書物を持っています。独立と自由がアメリカという国の始まりだったことにまちがいはないと思います。そしてその基盤は、奇跡のりんごにあると思います。

 私の目から見て、アメリカの成功は、自由だからというよりも、魂の熱い国だからだと思っています。アメリカの憲法の理想は正義です。それに自由を当てはめるのがアメリカです。正義の基にアメリカはまとまります。選挙にしても国民は、大統領候補の演説を聞きながら大統領候補の理想に燃え、当選後も大統領の理想と正義に国民が熱くなるというのがアメリカの国民性であり、大統領制の良いところでもあります。また自由に関しても、大統領のテレビの演説を聴くと、教会の礼拝に行くことを大切にしながら自由を唱えるのが大統領の姿であり、ただ闇雲に自由を唱えているわけではありません。アメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)の問題は、アメリカの国の中でも問題となっており、アメリカの小学校でも問題となっているのも事実です。

 アメリカ映画は世界的に大ヒットする映画も多いです。やはり世界的に大ヒットする映画は人類の教えの強いものが多く、スターウォーズにしてもジョージルーカス監督は、宗教観の強いものだともいっています。映画という媒体によって、世界のイデオロギーを統一しているといっても過言ではないと思います。映画というものは国民性がよく現れますが、正統派のアメリカンスタイルはスーパーマンだと思っています。正義感が強く、みんなのために働くというアメリカン魂そのもののように思います。

 アメリカという国は、世界のあらゆる人種の人たちが集まっている国であり、世界が集約されている国でもあります。世界のリーダーたる自覚がアメリカという国を創りあげていると私は思います。

 

 

中国

 中国は世界の善です。中国四千年の歴史は、人類の歴史でもあります。

 中国はとても歴史を重んじる国であり、日本の総理大臣の靖国神社参拝問題では非常に敏感になるのも、歴史的背景や中国国民の気持ちを考えるからであって、靖国神社参拝問題が国際間の問題とまでなっています。靖国神社参拝問題は解決しなければならない問題であり、この問題の解決は中国国民の心と日本国民の心の問題の解決であり、中国と日本の国交正常化する一番の近道でもあると思います。私から見ていて、靖国神社A級戦犯の合祀をしてから中国で問題視し始めたわけで、分祀をすれば何も問題のないことです。合祀できた魂を分祀できないというのはおかしな話で、ただ分祀した魂を家族のお墓に厳かにお返しするのは大事なことだと思います。そうでなければ魂も安らかに休めないというのが本当の話ではないのではないのかと思います。中国国民と日本国民の心が一つになって初めて中国と日本の交流が深まっていくのだと私は思います。

 今、中国は経済が目覚しい発展をしています。眠れる獅子の目覚めであり、日本の最大貿易国は中国となっています。中国は自由経済の仲間入りをして、目覚しく発展し始めています。中国が眠れる獅子とよばれたのも、人類四千年の教えを大事にしていたからであって、今の中国を見ていても、ただ単に自由であれば良いという考え方はしていないと思います。そこから見ていても、これからの中国経済は本当に強くなっていくと思います。

 人類最初の聖人君子は孔子であり、儒教の教えは日本人の心にとっても、今もなお引き継がれているものです。孔子の教えは心の輝きの教えであり、論語孔子と弟子たちの問答となってますが、この孔子の教えは貞観政要にも流れています。

 中国四千年の歴史は奥深く、兵法というものまで作り出しました。この兵法というものですが、神の愛を否定して殺し合いの論理を作り出すのが兵法です。兵法はヒットラーの愛読書であり、ヒットラーは兵法を実践したくて第二次世界大戦を引き起こしたともいわれています。現代社会において、会社戦略で兵法から学ぼうとすれば、とんでもない世の中になってしまうと思います。人類の一番嫌う人物の愛読書を、みんなで読む馬鹿な話はないのです。個人的に兵法は人類の禁書だと思っています。それだけ中国四千年の歴史は、奥深いものだともいえます。

,ヨーロッパ

 ヨーロッパは世界の愛です。

 ヨーロッパはキリスト教の国が、ほとんどです。宗教が一つのためまとまりも良く、ユーロの統合をなしえました。愛が人を結ぶのであり、キリスト教という教えが、その土台となったのはまちがいありません。ユーロの統合から、世界は学ばなければいけないと思います。経済優先の社会となっているが、経済活動は愛がすべてなのです。イエスキリストは人類の愛を守ったから、人類で一番愛される人間としての神となりました。世界は人種を超え、だんだんと一つにまとまっていかなければならないと思います。人類の心が一つになることで、人類にはいろいろな事が出来るようになると私は思います。世界が心を一つにして、一つにまとまるということは、人類にとっても素晴らしい事です。ヨーロッパの愛が、世界をつなぐ架け橋となっていくと私は思っています。

 ヨーロッパには歴史的建造物が多いです。ヨーロッパの歴史的建造物を見て回ると、世界の歴史をそのまま見ている気持ちになります。ヨーロッパの歴史的建造物を見て思うのは、芸術性が高いということです。その中でも、フランスのパリは芸術の街とも言われ街全体が芸術です。凱旋門は有名だが、凱旋門シャンゼリゼ通りがセンターポールとつないでいます。女と男の象徴のようでもあり、街の中心部となっている。またノートルダム寺院も有名な建造物ですが、雨どい一つまで幾何学的な芸術性に富んでいます。ヨーロッパの造り上げてきたものは芸術だと私は思っています。

 統合失調症が、はじめて人類の文献に記載されたのはギリシャ時代です。西暦500年ごろであり、ギリシャの文献でギリシャ神話は有名ですが、ギリシャ神話を読んでみると、現在に至った私の統合失調症の症状そのままのようでもあります。ギリシャ時代のパルテノン神殿は、ギリシャ文明の象徴であり、ヨーロッパ文明発祥の地でです。

統合失調症の歴史は長く、統合失調症の症状を歴史的に調べると、キリスト教とのかかわりも深いです。キリスト教魔女狩りは有名な話ですが、統合失調症であることが魔女狩りの対象ともなっていた時代もあったようです。統合失調症の中でイエスキリスト・仏様という存在は良く出てきますが、統合失調症の症状は、大事なのは憲法・法律だけではなく人類の教えというものの大切にしなければならないということです。

   

 

 イスラム文化

 イスラム教は、宗教の中で一番完成された宗教であり、人類の中で一番信者が多い宗教です。

 イスラム教は、マホメット預言者として開かれた宗教ですが、イエス・キリストなども預言者の一人としてイスラム教に取り込んでいます。イエス・キリストはローマ時代に人間としての神であったとされた訳ですが、イスラム教の絶対神アラーは戦う神とされ、その姿は宇宙における絶対神です。イスラム教の考え方として、人類の教えは全部正しいといっているようにも見えます。イスラム教徒の住んでいる地球環境は厳しいところが多く、その中でイスラム教の厳しい戒律を守って暮らしています。良い人は天国に帰れるというコーランの教えを守り、またイスラム教を守ることでイスラム文化を安定させています。

 現代社会において憲法・法律による良識の支配というものに対して、イスラム教徒の住んでいる地球環境の厳しさや、イスラム教が完成された宗教であることの理由により、イスラム文化としての近代化は私の目から見て少し遅れている気がします。アメリカがイラク戦争によりイラクの近代化を進めていくにしても、現代社会としての形をそのままイラクに当てはめようとしても難しいと思います。イスラム教の指導者たち自らが、イスラム文化の近代化を考えない限り、イラク問題の解決は難しいでしょう。

 統合失調症において、日本人にはイスラム教はなじみの薄いところもあります。しかしイスラム教の考え方や教えは、人類の教えをまとめたものであり、テロリストの問題はビンラディンなどの良くない指導者が作り出すもので、イスラム教徒のほとんどは執心なイスラム教徒なのです。イスラム教の人類の教えは全部正しいという考え方や、その教えを守ろうとする考え方は日本人も見習うべきものであると思います。

 

第七章 雑学

 

 

UFO 

統合失調症の症例の中で、UFOの話も良く出てくるようです。UFOに関して私なりの解釈を述べたいと思います。

 UFOに関する資料の中で、イエス・キリストゴルゴダの丘で十字架にかかった後ろの空に何隻ものUFOが描かれている絵が残っているようです。これはいつ描かれたものであるとかは不明ですが、間違いなくUFOです。何年も前にテレビのUFO特集で放映していましたが、UFOを確認するものとしては一番古いもののようです。

 またアメリカでの話ですが、UFOの不時着で宇宙人とされた人間に良く似た生命体を収容したという写真まで紹介されました。姿かたちは人間そのものですが、身長が普通の人の半分ぐらいしかなく痩せ型の生命体でした。

 それと有名なのが、ナスカの地上絵です。何者があれほど大きい地上絵をいくつも地上に描いたのか?地上絵は上空から確認しなければ何を描いているのか確認できず、しかも幾何学的にきれいに描かれています。

 エジプト時代の壁画には、操縦席のコックピットに乗った人が描かれているものもあります。

 これらのことを私なり考えると、未来人説というのが正解ではないのかと思っています。イエス・キリストの十字架の絵から感じるのは、十字架にかかったイエス・キリストに興味があるのは、やはり人類です。未来人が、イエス・キリストが十字架にかかった姿を見に来たと考えると、あまり不自然さは感じません。また、ナスカの地上絵から感じるのは、未来人が人類の無限の可能性を現代の人類に示したものと考えると、人類の未来への希望とも感じることが出来ます。未来人が現代の人類に残した人類の夢とロマンと考えるのはロマンチストでしょうか。

 

第八章 統合失調症の統合

 

光のネットワーク

 光のネットワークとは、魂の会話です。統合失調症の症状が、高校時代に読んだ平井和正の「幻魔対戦」に出てくる光のネットワークに良く似ていることから、そのネーミングにしました。光のネットワークが地球を覆い人類を救うと言ったのは主人公の東丈です。 

統合失調症の症例の中で、テレパシーであるとか超能力であるとかさまざまな表現をされるようです。この症状は仏教芸術であるマンダラの中心におかれ、すべての魂と会話している感覚になるというのがその症状となっています。光のネットワークの世界は、その世界のストーリーがあり、思考の世界でそのストーリーの中に身を置くようになります。光のネットワークによりさまざまな人と会話するようになりますが、それぞれの魂はその人の性格そのものであり、信用できる人であれば信用できる人であるほど光のネットワークの世界が現実のものとなるというのも事実であり、自分の受ける感覚としては、すべてが現実であるという感覚の方が精神的に安定しています。また仏とも会話するようになります。仏たちと会話するのも、また楽しいものですが、絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にないテレパシーなどは、使い物にならないというのも私の感想です。

心を哲学すると、「心の中心は全宇宙意識であり、全宇宙意識の中心が天国であり、その中心が絶大な圧倒的な力を有する神です。魂は現に全宇宙意識に存在し、魂が永遠であることが人類の本質。それぞれの魂は神の一部であり、サムスィンググレイト。命はビック・バンであり、その命に魂が宿る。一人ひとりが地球であり、全宇宙意識は4次元に存在する。」というのが考え方ですが、光のネットワークのパワーエネルギーは絶大な圧倒的な力を有する神のパワーエネルギーだと考えています。Oリングテストの示すものは、人類には神のパワーエネルギーが働いているということでを証明していると言う事です。

統合失調症の症状は、善に対して努力しなければ、その症状は改善しません。絶大な圧倒的な力を有する神は悪を潰すのに一生懸命です。悪を潰すのは正義であり、人類を守ることは、コスモスを守ることであり、善を守ることでもあります。すべての主義主張は善に対する努力で成り立ち、決して自由では成り立ちません。好きなことをするのが自由にしても、その根っこに善に対する努力があるのが人間の自由です。その努力が自分の人生を改善させると思っています。

光のネットワークの世界において、神と会話するようになりますが、神と和解することが統合失調症を統合する上で必要であり、魂の会話もだれの発言なのかも、神が教えてもらえます。マンダラの中心には発言が集中するので、誰の発言なのか神に聞くのも必要です。

統合失調症が発病する人は、人生において苦境に立たされる人が多いようです。

統合失調症になったから苦境に立たされるのではなく、今思うと、その苦境の中に神が救いを差し伸べていたというのが、統合失調症を統合した感想です。

何でこういう病気になってしまったのだろうとか、行いが悪かったのだろうかとかいろいろ考えた時期もありましたが、統合失調症を統合すると、そこには天国の世界が待っています。絶大な圧倒的な力を有する神と人間の関係に、人間の一番自然な姿があります。神を愛することが、自分を幸せにする一番の近道であると言うことをここで述べておきたいと思います。

 

心の三悪

 統合失調症の発病から、その後の経過をたどる過程で、陽性症状から陰性症状へと移行すると言われています。私の感覚では、陽性症状の段階とは、自分の哲学が完成する段階であり、陰性症状とは自分の哲学が完成した以後の状態であると思います。自分の哲学が完成するまで、その症状は精神的に大変だと思います。しかし自分の哲学の完成後は、精神的な安定をもたらします。統合失調症の中で自分のストーリーの中に身を置くようになりますが、それは自分の人生に対する生き方となっているものであり、自分の生き方の中で、大切にしていることはたくさんあり、それを守ることは自分を大切にする事でもあります。

 統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と話をするようになりますが、神が嫌うものが、三つあります。一つはアメリカナイズ(セックスは自由・なんでも自由)、二つ目は嫉妬・やきもち、三つ目は悪の煩悩。この三つを神は嫌います。

 アメリカナイズは、すべての人類の教えを破壊してしまいます。アメリカ自体が、このアメリカナイズに一番悩んでいます。そこにあるものは、暴力や破壊となって現れてきます。また先進国の多くが少子化の問題で悩んでいます。その問題は、経済を優先するあまり、宗教観を大切にしなくなっているせいではないのかと思っています。世界的に見ても、宗教観がしっかりしていることが、国の繁栄につながっている例は多く、人類の教えは人類の財産です。アメリカナイズを否定し、人類の教えを大切にすることが、国を繁栄させ人類を繁栄させていくものだと思います。

 もう一つは、嫉妬・やきもち。嫉妬・やきもちは、社会悪の根源だと思っています。嫉妬・やきもちは、正しさを捻じ曲げ、人間社会を複雑にしているものでもあります。ローマ皇帝の嫉妬・やきもちに、はめられたのがイエスキリストであり、嫉妬・やきもちと言うものは、心理的には同化したいという気持ちが、マイナスに作用したものですが、人類の教えもそうであるようにが、否定しなければならないものです。

 最後に、悪の煩悩。煩悩とは人間の欲望ですが、地球で人類が生存するかぎり発生するものです。きれいに言うと幸せになりたい思いになります。しかし、煩悩にも善と悪があり、善の煩悩は、理想社会を構築しすべての宗教を完成させます。悪の煩悩が世の中を支配すれば、社会は崩壊してしまいます。

神の言葉を借りれば、悪の煩悩が戦争の原因だとも言っています。悪の煩悩を潰すことは、人類の永遠の作業であり、その作業がなければ人類の永遠性はないと思います。

 

戦い

 統合失調症の戦いとは、哲学の戦いです。

 陽性症状の症状は、自分の哲学を完成させる段階であり、陰性症状とは哲学完成後の段階だと感じています。それが現実の世界とリンクしていきます。自分にとってはすべて現実であり、光のネットワークの世界が現実の世界ともなって行きます。自分の知らない事を、絶大な圧倒的な力を有する神から教わることも多いです。すべてにおいて光のネットワークの世界が万能ではありませんが、自分にとって光のネットワークの世界を無視出来るものではありません。

 神は、心の三悪を嫌います。その中で戦いは繰り広げられますが、その様子は映画のスターウォーズの様でもあり、光のネットワークの中で自分のストーリーとなって行きます。

 陽性症状や陰性症状の症例を調べると、陽性症状の苦しみや陰性症状の虚無感などがよく書かれています。私の場合も陽性症状から陰性症状へと移行していきましたが、統合失調症の安定は哲学の完成が大事になります。

 私が一番苦労したのは、統合失調症の中で、絶大な圧倒的な力を有する神と会話出来ると言うことを、素直に受け入れるのに一番苦労しています。私は昔から、神というものを信じる人間でした。統合失調症になる前も、神と言うものに対して威厳を感じ崇拝していました。それが統合失調症になったことで、神と会話出来るなど夢にも思いませんでした。はじめから神であることを素直に受け入れていれば、人生において違った形で現れていたのではないかと後悔することも多いです。

 人間の一番自然な姿は、神と人間の関係にあります。太古から人間は、神に対して威厳と恐れを感じ、神を崇拝するのが人間としての姿の始まりでした。文明社会になり、人間としてのおごりは決してよくないことであり、平和な世の中になっても、人類の教えというものを、永遠に守り抜いていかなければならないということを私は感じます。心の三悪にしても、神が嫌い、人類すべての教えが否定するものです。我々人類は神の世界を構築するために地球に存在すというのが人類の哲学であると思います。そして人類は光の戦士であるということが私の考え方です。人類の永遠の作業というものは、人類宇宙の子としてこなしていかなければならないと思います。

 

ベクトル

 人類にはベクトルが作用しています。ベクトルとは「すべて絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立ち、すべて絶大な圧倒的な力を有する神が完全に支配している。」ということです。

 統合失調症の中において、神は人類にベクトルを働かせています。Oリングテストというのもその一つの表れだと思います。憲法・法理上においても自由の保障は、思想の自由以外は公共の福祉の上に成り立ち、みんなのためというものの上に成り立っています。憲法・法律を一番シンプルにしていくと、ベクトルが絶対になっていると思います。

 ベクトルが当たり前と言う部分に作用し、人類が進化していくのは、現実の世界でも、光のネットワークの世界でも同じです。統合失調症の症状は、光のネットワークの世界が現実となって行くところもあり、4次元が3次元を支配しているということを体感するようになります。

 神の言葉を借りれば、ベクトルは宇宙のスペクトルに作用していると言っています。ベクトルは全宇宙の意思であり、全宇宙を安定させているエネルギーです。それは夢へのベクトルで、ベクトルというものは方向性を意味し、そう行動していくことで幸せになっていくものです。人間は選ばれた生命体であり、全宇宙の意思と会話出来るのです。

四次元の中に三次元が存在しています。また、四次元にはベクトルが存在しています。ベクトルが絶対である次元を五次元としています。私はこの五次元と言うものが、人類の永遠性を生み出していくと思っています。やがて人類はタイムワープし、全宇宙を永遠のものとするような壮大な夢とロマンは、五次元によって人類は無限の知能を得て、光のネットワークによってテレパシーを使える宇宙の子としての進化がそこにあるように思います。

古代からエジプトの予言やさまざまな人類に残された予言は、五次元によって神の御言葉として予言されたものではないかと思っています。

 絶大な圧倒的な力を有する神と宇宙と人間との関係は、すべての和解につながるものであり、神と人間との関係の中に、人間の一番自然な姿があるのです。人間としての生き方の中で、ベクトルに生きると言うことが、統合失調症における生方として正しいと思えます。ベクトルに向かって努力することで人生幸せとなり、それぞれの人生の役割とストーリーの中を生きると言うことが幸せへの近道であると思います。自分の努力というものが実を結びそれが現実の幸せとなって現れる一番の近道だと思う。それぞれの人生において、魂に人類の教えを刻み込むと言うことは、それぞれの人生の正しい生き方となり、魂に刻み込むことによって、神の言葉として、話している意味がわかるようになります。その魂は輪廻するもの、天国に帰るもの、魂の進化と永遠性がそこに隠されていると思います。

 ベクトル・宇宙のスペクトルは人間の生体電子に作用していると思われます。Oリングテストでもそうですが、五次元と、ベクトル(宇宙のスペクトル)と、生体電子の関係で成り立っていると神も言っています。五次元の扉であり、四次元空間という未知の世界が広がっています。

全宇宙においても絶大な圧倒的な力を有する神がすべて完全に支配していくという、すべての真理は一つなのだと思います。

 

統合失調症の状態

 統合失調症の状態としては、仏教芸術のマンダラの中心に置かれるということであり、マンダラの全部に自分の声が届いている状態になります。統合失調症の戦いは哲学の完成にあると言いましたが、マンダラに見るように四次元においていろいろな魂が、自分を取り巻いています。哲学がまるでなくエテ公至上主義のような魂もあります。統合失調症の四次元の最終状態として、神道と仏教が融合したような状態になります。仏教はバラモン教から進化したものですが、バラモン教の神はへんてこりんな神に表されます。ただ私が思うに、今から2500年前の人類の考え方はサルに近かったのではないかと思うので、神がへんてこりんだったのではなく、2500年前の人類がへんてこりんだったのではないかと思っています。バラモン教からさまざまな人類の教えが進化し融合されていく中で、その人類の教えは全部正しく、すべてつながります。その進化した教えを魂に刻み込むことにより、神の言葉が理解できるようになると思います。

 統合失調症の発病とベクトルの関係は私から見ると深いかかわりがあり、三次元においてベクトルを壊そうという動きがあると、統合失調症は発病しているのではないかと思えます。統合失調症は四次元の中に身置くようになることだとも言えます。この四次元ですが、裏の世界ではないかと思えます。四次元の動き自体そうであり、裏の世界とは心の世界でもあります。統合失調症の状態として、四次元に見を置いたとき、四次元における自分の存在というものがあり、三次元と同じく四次元としての努力もまた必要になります。心の平和のためには、哲学の完成が重要な位置を占め、政治・経済・文化あらゆるものを統合しているのは哲学です。イエス・キリストにおいても一人の哲学者だと言うことも出来ます。心において愛というものは大きな位置を占め、心の平和の源でもあります。愛とは思いやりであり、思いやりとは人を大切に思う心です。

 四次元においてベクトルに生きることは大事なことであり、ベクトルにおいても愛というものを大切にしています。セックスにおいては、哲学があって愛に変わるものであり、セックスだけの欲望をベクトルは嫌うところもあります。

 日本の憲法の中核は、良心です。良心とは宗教を含め人類の教えであり、人類の教えを否定して自分の心が良心だと言うことはありえません。人類の教えは人類が5000年かけて築き上げてきたものであり、一人の人間として心から守るべきものであると私は思います。

 

天国

 統合失調症の統合は、絶大な圧倒的な力を有する神から愛されることにあります。

 天国を哲学すると「理想社会の実現を目指し、楽しいところで、魂の安らぎの場、全宇宙意識に秩序をもたらし、悲しみのない国であり、別れのない国。全宇宙意識の中心であり、五次元に存在する。」という考え方になります。五次元における人の輪のレベルが高次元である所が天国であると思います。その中で、神から愛されるということは、心の平和と安定をもたらします。

 神から愛されるためには、人間として善に対する努力を怠らず、神仏を大切にして神仏に対して当たり前のことをきちんとやり、神仏を喜ばせることが大事です。光のネットワークにおいても、神を大切にして、愛することが大切です。

 人間としての一番自然な姿は、神との関係にあると思います。光のネットワークで、神から自分の知らないことを教えてもらえたりもします。人類の教えを大切にして、それを守ることが人としての正しい生き方であると私は思います。人類に対する愛はそこから生まれ、自分の幸せと人類の幸せが一つになって行くものだと思います。

 宗教観と言うものは、暮らしやすい世の中を創るうえで必要不可欠であり、その上に政治・経済は成り立っていかなければならないと思います。善が命であり愛がすべてであるということは、政治も経済も同じなのです。政治と経済をつなぐのは哲学です。

 人類の教えと言うものを、人類は永遠に守っていかなければならないと私は思います。

 

第九章 悟り

 

人生

 「人生 辛抱・我慢比べ。人生山越えである。頂上を極めるところに、人生の喜びと感動がある。」

善の形は、座禅の形。愛とは思いやり、人を大切に思う心(ときめき)。善が命で愛がすべてです。

 

社会理論

 「人類の長寿と繁栄が絶対であるならば、すべてにおいて絶対なのは絶対の良識であり、神々の長寿と繁栄にある。」

 善は善を守り、善を認め、善の中に生きなければなりません。憲法法律が謳うものは、社会理論であり、そのために必要なものは、信賞必罰です。

 

すべての正論

「人類が地球で暮らしていく中で、助け合いの精神を大事にしなかればならない。」

 人として人間として、また暮らしやすい世の中を創る上で大切なことです。

 

すべての和解

 「すべての和解は、神との和解である。」

 人類に永遠性をもたらすものは、すべての和解です。

 

すべての心

 「すべての心は感謝の心である。」

 人間みんな心が大事。それで人類は初めて一つになれます。人は心がつないでいます。人類の心が一つになれば、人類はもっといろいろな事が出来し、人類の明るい未来は、人類の心を一つにすることにあります。人の心は感謝の心が結ぶのです。感謝に勝る能力はありません。

 

すべての愛

「絶対の愛(絶大な圧倒的な神の愛)を守るのが男と女。男と女の間には、人類の教えがある。」

絶対の愛とは善と愛の一つになったもの。孔子の教えの仁は、絶対の愛だと思います。

 

すべての真理

 「人類の教えはすべて正しく、すべてつながる。すべて絶大な圧倒的な力を有する神の御手の中にあり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っている。そこには人類の教えの答えがある。善が命で、愛がすべて。」

 多くの成功者は、すべての真理の中にいます。

 

すべての悟り

 「すべて絶大な圧倒的な力を有する神の手の中にあるということが、すべての頭脳であり、すべて絶大な圧倒的な力を有する神の愛で成り立っていると言うことが、すべての心である。すべて絶大な圧倒的な力を有する神が支配し、神を愛することで人類は幸せになり、それがすべてを動かすエネルギーとなる。過去・現在・未来すべて循環し、ベクトルは絶対であり、それは人類の哲学を大切にして生きること。人類の壮大な夢とロマンへ。」

 すべての真理が現実(三次元)ならば、すべての悟りは理想(五次元)です。理想主義と現実主義は二つで一つであり、そこにあるのは人類の教えの答えでもあります。

 

 「我々人類は、絶大な圧倒的な力を有する神の世界を構築するために地球に存在する。それが人類であり神々である。」